4話 フクロウ鳴く頃に
「おい、こっちで道はあってるよな」
遠くから、声が聞こえる。
「あぁ、そうだぜ。まったく、王子も面倒な仕事を押し付けてきましたね」
暗い視界の中で、断続的に。
地震とは異なるリズムで、心地よく地面が揺れている。
いったい、何が起こっているのだろうか?ゆっくり瞳を開けてみるが、暗闇に包まれているせいで良く視えない。唯一の光源は、小さな小窓だけだった。青白い月明かりが、狭い空間を照らし出している。
どことなく怠い身体に鞭を打つと、小窓に顔を近づけてみる。
そして、息をのんだ。
「っ!?」
外の風景は、流れている。
さっきまで視えていた木が左へ消え、別の木々が右から現れるといったように、移動している。先程から木々しか見えない、ということは森の中を移動しているということなのだろうか。フクロウの鳴き声に似た夜鳥の声が、物寂しく響いていた。
他に、特に物音は聞こえない。
しかたなく、物寂しい鳥の声に耳を傾けていた時だった。
「それにしても、もっと速度ださねぇの?これじゃあ着く前に、嬢ちゃん起きるぜ?」
小窓とは反対方向から、男性の声が聞こえてきた。
『嬢ちゃん』というのは十中八九、私のことだろう。狭い空間を見渡しても、私以外に誰かいるようには見えなかった。
「駄目だ駄目だ。速度を上げたら、よけい起きるだろうが。俺達は慣れてるが、あの嬢ちゃんは馬車に慣れてないらしいぜ? 振動で起きるに決まってら」
どうやら、私はどこかへ移送されているらしい。
でも、何故?私は小窓から顔を離し、考え込む。そして、全てを思い出した。
そうだ、私は香奈子に裏切られたのだった。
最後に視た香奈子の笑みを含んだ泣き顔を思い出すだけで、涙が込み上げてくる。
それと同時に、浮かんでくるのは「怒り」。火花が散るような激しい怒りではなく、ひっそりとした焚火のような怒りだ。
「…香奈子…」
私は首を振るって、怒りを玻璃の奥へと押しこめる。
きっと、なにか理由があるはずだ。
優しい香奈子のことだ。加護を受けていない私を、戦いと言う『危険』から遠ざけようとしたのだろう。
王都から遠ざかった森奥の小さな村であれば、私は静かな生活を送ることが出来る。そこで、私は香奈子が『世界を救う』のを待っていればいい。
異世界的な暮らしも堪能できるし、私は『危険』に手を出さなくて済む。
うん、きっと……きっと、そう考えたんだ。
馬鹿馬鹿しい。あの香奈子が、優しすぎて虫も殺せぬ親友の香奈子が、自己満足形成のためだけに、私を裏切るわけない。
一瞬でも、親友に怒りを向けた自分が恥ずかしかった。
「しかし、えげつないな」
「あぁ、まったくだ。2人も天女様が舞い降りて目出度いと思った矢先、片方が『偽物』だなんて」
聞き捨てならない言葉に、私は凍りついてしまった。
周囲の気温が急降下したような気がする。
声が聞こえてくる壁に耳をつけ、出来る限り聞き取ろうと息をひそめた。
「『女神の加護』がないんだろ?」
「しかも、髪の毛の色からして『黒魔術師』なんだよな。まったく、天女が黒魔術を使うって、ありえねぇって」
そう、私は天女じゃない。
でも、それは香奈子も同じなのだ。天女じゃなくて、私も香奈子も異世界人。容姿を除けば、『女神の加護』があるかないかという違いしかない。
というより、『黒魔術』とは一体何のことだろう?
確か城の魔術師は『使える魔術がない』と言っていたような気がする。
混乱する私に追い打ちをかけるように、2人の会話が続いていく。
「お嬢ちゃんの方は、天界を追放されてきたんじゃねぇの?だから、空から落ちてきたってことじゃね?」
「あ~、一理あるな」
哀れみのかけらもない、どことなく面白がるように交わされる会話が繰り広げられていた。
全身から血の気が引いていく、今のような状況のことだろう。
「だから、お嬢ちゃんも文句言えねぇな。天界の罪人なら」
「少し可哀そうな気もするけどな。適当な崖から突き落とす、だなんて」
適当な崖から、突き落す?
慌てて、壁から離れた。
その時に音を立ててしまったが、そんなこと気にしている余裕はない。
崖から突き落とす、ってつまり殺されるということではないか。
つまり、この先に待っているのは『ほのぼの村で異世界ライフ』ではなく、『火曜サスペンス』的な展開。
やはり、香奈子は裏切っていたのだ。思わず腕をさすると、鳥肌でざらついていた。
「お、おい!今の音って」
「あぁ、起きてる。聞かれたか!?」
御者と思われる2人の声色も動揺していたが、それ以上に私も動揺していた。
冗談とは思えぬ『死』への恐怖が、私を混乱の縁まで追い込んでいたのだ。
「いや!死にたくない死にたくない、開け、開け、開けぇぇぇ!!」
壁に拳を打ち付ける。だけど、壁はうんともすんとも言わない。
せっかく異世界に来たのに、なんで私だけこんな運命に会わないといけないのだろう?
拳からは血が滲み始めていた。じんと浸みるような痛さを感じるが、私は拳を止めなかった。
「煩いな、なぁどうする?」
「そうだな……ちょうどいいし、ここで捨てるか」
哀れみを一切含まない非情な声が、私の運命を宣告する。
ずっと続いていた荷車の振動が止まり、御者台から誰かが下りる音が聞こえてくる。
停まってくれ、と願うが足音は止まらない。がちゃり、と小窓がついたドアが開かれる。それと同時に飛び込んでくるのは、眩いばかり鋭い光。思わず掌で両目を覆う。
「悪く思うなよ、命令だからな」
「追放された上に殺されるなんて悲惨だな」
どこか小馬鹿にしたように笑うと、私の腕が強い力で引っ張られる。
ようやく明かりに目が慣れてきた。光の正体は、男の持つランタンだった。髭を生やした2人組の男は、私を急き立てる様に腕を引きずり、無理やり歩かせる。
「違う!
私は香奈子の親友で、香奈子と同じ異世界人!
ただ、町を歩いていたらトレーラー……馬車みたいな乗り物に轢かれて、気が付いたら香奈子と一緒にこの世界にいたんだ!」
「はいはい、弁明はイイから」
「見苦しいって、嬢ちゃん」
言葉では、どうやら説得できないらしい。
なら、無理やりでもこの拘束を解かなくては。
そう思ったが、所詮は無理な話。
高校生になったばかりの少女と、大の男の力の差は歴然だ。力の限り腕を振りまわし、足をばたつかせる。しかし抵抗むなしく、私は崖の方へと進んでいく。
「いや、私……死にたくない!」
私は、自分の意志で異世界に来たわけじゃないのに。
私はただ、新宿に映画を観に行っただけなのに。映画を観終わったら、カラオケに行ってバカ騒ぎして。その後は―――お母さんの作ってくれた夕飯を食べて、友達にメールして――あぁ、そうだ。夏休みの宿題だって、まだ半分も片付いていない。かかさず録画していたアニメだって、帰らないとたまってるだろう。早く観ないと。
「なんで、こんなことに」
涙が絶え間なく頬を伝う。
厳しいけど料理が美味いお母さん、仕事で疲れ切っても家では笑顔を絶やさないお父さん、私のバカ話でも笑ってくれる友達、そして
『澪ちゃん!これから一緒に帰ろう!』
柔らかい笑顔を浮かべて、私の手を引く小学生の時の香奈子の姿が脳裏を横切る。
夕日に照らされた香奈子の横顔は、女の私でさえ見惚れしまうくらい可愛らしかった。
『ずっとずっと、お祖母ちゃんになっても親友でいようね!』
「嘘つき」
ここにはいない親友に呟きながら、崖下の海を見下ろす。崖に打ち付けられる波の音が、現実離れしているように思えた。
「悪いが、運命だ」
小匙分の哀れみを含んだ言葉と共に、ドンっと男に背中を突き飛ばされる。
一瞬感じるのは浮遊感、そして次に感じるのは耳元で風を切る音。
月夜の下、私の身体は海の中へ吸い込まれていった。
まるで、荒れ狂う波に引き寄せられるように――
…やっと、『黒魔術師』って単語が出てきた…
※8月20日 誤字訂正
※8月20日 一部訂正