3話 異世界のシエスタ
午後のひと時。
まるで、現実世界の茹だるような暑さが夢のよう。春の爽やかな風が、なんとも心地の良いことだろう。紅茶を口に含めば、特有の渋みと鼻孔をくすぐる甘さが、見事に丁度よい調和を醸し出している。
東屋の外を視れば、見上げればラピス・ラズリ色の空、下に広がるはルビーやトパーズを連想させる花々が咲き誇っていた。
ほぅっと意気を溢す。
「異世界に来て正解」
現実世界だったら、こんな優雅な午後を過ごせる余裕などない。
次に何をして、その後何をして、と予定がびっしり詰まっている。予定のない日があったとしても、後先のことを考えず安らかにいることなど滅多にないのだ。
私は香奈子の『逆ハーの加護』に期待して、彼女たちが世界を救うその日を気長に待てばよい。
あぁ、なんて優雅な日常なのだろう。
(ただ、問題点が1つ)
華やかな会話を繰り広げる4人に、スッと視線を向ける。
「これは、君のために仕入れたんだ」
そう言いながら、アルフレッド王子はライチとよく似た果物を用意させる。
差し出す相手は、優雅に金髪を編み上げた香奈子だ。果物が好きな香奈子は、心の底から嬉しそうに受け取る。ちなみに……果物は1つしかない。どうやら私の分は、考えていなかったらしい。
……いや、私の分まで調達できなかったと考えよう。
何事も、前向きに考えるべきだ。
「ありがとう、アルフレッドさん!!」
「アルフレッド、君と言う人は天女様を甘やかし過ぎですよ」
ブルース次期宰相が、眼鏡を押し上げながらアルフレッドを注意する。
「今は勉学の休憩時間。すぐに勉学・魔術学に戻らなければならないのにもかかわらず、毎度毎度、押しかけられたら迷惑です」
さりげなくアルフレッドから引き離すよう、ブルースは香奈子の肩をつかみながら言い放った。
ブルース次期宰相よ、アンタが香奈子と私のために作った勉強時間は1時間にも満たなかったと思うのだが?
座学を始めて10分過ぎたあたりで『お茶にしましょう。休憩時間です』と言い出して、それ以後いまに至るまで2時間は余裕に経過している。
これだと、『お茶のついでに勉学』となっているんですけど?
というか、『魔術学』と言うのはいつ行うのだろう?
いや……香奈子が『魔術』を習う様を見ているだけなんだけどさ。
魔術師曰く『私がミオ様に教えられる魔術はありません』『澪様にはいくら鍛錬しても、この魔術の才能が有りません』と正面切って言われてしまっていた。
でも、『魔術』っていうのは異世界の醍醐味だ。だから、早く観てみたいのに。
「ブルースの奴は愚かだねい。勉学を口実に天女サンに近づきたい癖に」
白熱されるアルフレッドとブルースの口論を傍観しつつ、呟くのはチェイン伯爵だ。
夏の山を思わす深緑の髪を、ポニーテールにしている伯爵は、テーブルの上の砂糖菓子をつまんでいた。
「口喧嘩を辞めさせた方が、いいのかな?私のせい、みたいだし。澪ちゃんは、どう思う?」
「別に気にしなくていいんじゃないの?」
小さく呟く香奈子の声を、私以外に聴き洩らさなかったのはチェインだけだった。
ニヒルな笑みを浮かべると、チェインは香奈子の耳元で囁く。
「あ~、大丈夫。天女サンは心配しないで。どうせすぐ終わるから。
それよりさ、これから一緒に庭園散策に出ない?ちょうど、薔薇が見ごろなんだよね」
「なっ、チェイン。抜け駆けですか!?」
最後の言葉だけは、しっかりと聞き取ったらしい。
むっと顔を引き締めたブルースが、びしゃりと言い放つ。ブルースに追従する様に、アルフレッドも言葉を荒げた。
「カナコ、チェインは獣だ。一緒について行ってはならない」
「王子サンの方が、人の好い皮を被った狼でしょうが。自分のことを棚に上げてはいけませーん」
「天女様。あの2人は放っておいて、図書館で物語でも探しましょうか?こちらにも、不思議な物語がいくつもあるのですよ」
「ブルース!!」
ずっとこの調子だ。
紅茶の最後の一滴を飲み干すと、私は静かに席を立った。気がつく人は、だれ一人としていない。いつまででも、香奈子を中心に賑やかな会話を繰り広げている。
この調子だと勉学が再開されるのは、0に等しい。
いや、それ以前に本当に世界を救うことが出来るのか?
なんでも香奈子が女神から聞いた話では、戦乱で荒れる国々を平定すれば帰れるらしいが……これでは、平定より前に、他国の魔の手に落ちてしまう。
それでは、せっかくの異世界を楽しめないではないか。
真面目に政務に取り掛かるよう、香奈子を通じて頼んでみよう。
ただ、この状況では切り出しにくい。
今日の夜にでも、香奈子に相談しに行こう。そう思いながら、東屋を出ようと一歩足を踏み出した。
「あっ」
その瞬間、視界が反転する。
急速に近づいてくる地面。倒れる、と思い手を前に出そうとするが、手にまったく力が入らない。足も、まるで自分のモノではないようだ。
そのまま音を立てて倒れてしまった。呼応するように、視界もボンヤリと始める。いったい、何が起きたんだ?疲れが出たのだろうか、いや、それとは違う気が……
「澪ちゃん!」
香奈子が駆け寄ってくる音が、遠くから響いてくる。
涙を溜めこんだ香奈子が、視界に映し出された。心配をかけて御免、と口に出そうと重い口を開こうとする。だが、その前に気がついてしまった。
「ごめん!本当にごめんね、澪ちゃん!」
眼からは涙をこぼす香奈子だったが、口は歪んでいる―――いや、笑っている。
涙の奥の瞳も、笑っていた。
驚きのあまり目を見開き、問いただそうとする。でも、口から飛び出すのは言葉にならない息のみだ。
「天女は2人もいりません」
ブルースが眼鏡を押し上げる。その隣に立つアルフレッドは、同意する様に頷いた。
「国の旗頭は、1人で良いんだ。逆に、2人いると仲間割れが起きる」
「それに、なーにもできない天女を養うのは、ただの浪費だしね」
「だから、悪いけど紅茶の中に睡眠薬を混ぜておいたんだ」
アルフレッドとチェインも、ブルースの上に言葉を積み重ねていく。
どくん、と心臓が脈打つ。
何もできない? それは、戦う術を持たない現代っ娘の香奈子にも言えることではないのではないか?
靄がかかったように、脳がうまく機能しない。それでも、なんとか気力で働かせる。
まず、3人の話を総合してみよう。
3人は『天女=香奈子』だけだと考えている。3人にとっての『斉藤澪』は、唯の非力で世間知らずの『異世界人』。護るだけの魅力も、利用する価値もない。なのに、愛しの『天女』である香奈子の常に傍を離れない女。
つまり、彼らにとっての私は『お邪魔虫』に過ぎないのだ。
香奈子に向ける視線とは、まったくもって打って変った冷徹な眼差し。その眼差しが、逆に靄を吹き飛ばした。
これは、私を追い出すための口実だ。香奈子を独り占めするため、私が邪魔だったんだ。
もしかしたら、香奈子も彼らの口車に乗せられたのかもしれない。
だから、私を裏切るような行動に出たのだ。
「お願い、澪ちゃんのためなの」
だけど、不自然なくらい歪んだ笑みをみていると、ただ口車に乗せられたわけではないような気がしてきた。
香奈子は、誰もが羨む万能女性だ。頭の良さも、ころりと甘言に騙される馬鹿な少女ではない。
では、この笑みは何だろうか?
まさか、彼女自らが企画したことなのだろうか。
いや、そんな馬鹿なことは無い。だって私たちは、一緒に元の世界に帰るのだから。
「澪ちゃんにはね、この世界でね、ずっと平穏に過ごして欲しいの」
「――っ!?」
言葉にならない声が、口から放たれる。
ふざけるな。ふざけるな、私は帰りたいんだ。
現代に帰って、平凡な生活を送りたい。
高校を卒業して、大学を出たら働いて、結婚して子を産む。順風な人生を送りたいんだ。なのに、どうして右も左もわからぬ異世界で生きなければならないのだろう?
『ずっと平穏に過ごせ』ということは、香奈子は異世界から帰らないつもりなのか!?
「加護を貰えなかった澪ちゃんをね、危険なことに巻き込みたくないの。
きっと、このまま城にいたら……澪ちゃんも危険に巻き込まれちゃう」
口では、心配そうな声を出す。
でも、本当は違う。私を追い出そうとしているんだ。
この自分中心の世界で、生きていたいから。現実世界で一生を送るより、ちやほやしてくれる美青年に囲われて過ごしたい。
だけど、私はハーレム形成を邪魔しようと動く。だから、動かれる前に『澪』を排除しようと考えたのだ。
ハーレム陣の意志を巧みにくみ取り、『巻き込みたくない』という一見、真っ当な理由を付加させて。
「親友だから、生きていて欲しいの」
親友だからこそ、私の心も読みとってよ。
果たして、目的のためなら切り捨てられる友達を、『親友』と称していいのだろうか?
「だから、平穏な人生を送って」
私は現代で、平凡な人生を送りたいんだ。
異世界は、観光気分で楽しめればいいって思っていたのに……
こんな右も左も分からない世界に、骨を埋めたくない。
親友なら、私の気持ち、分かるよね?
だけど、その言葉を伝える前に意識が沈んでいく。
私、これからどうなるの?
何もわからない世界で、どうやって生きていけばいいの?
※8月22日 誤字訂正
※8月20日 一部訂正




