31話 特別な存在
「えっ……」
予想しなかった理由に、手からカップが落ちそうになってしまった。
『天女=香奈子』であり、その『片割れの少女』を探しているナナシ。ようするに、香奈子と一緒に落ちてきた少女を探していたのだ。……つまり、斉藤澪を。
何故?
何の目的で?
「あぁ……そういえば、アーニャがくれた情報に含まれていたな。
『天から落ちてきた少女は2人いる』って」
私の動揺をよそに、ルーシェが納得した様子で茶を啜る。
一瞬、ルーシェの右目が私の方に向けられたのは……気のせいだと信じたい。
「だが、その少女は接触する前に『処分』されたと聞いたぞ?
なんでわざわざ『死人』を探す?」
ルーシェの問いかけに、ナナシは黙って頷いた。
「私は傭兵だ。金を積まれれば仕事をする。
今の主人……ゼクス・エドネスから頂いた給金分の仕事を、果たそうとしただけのこと」
ナナシは、静かな声で淡々と言葉を続けた。
「『俺が天下統一するために、手足となって働え』と命じられた。
だから、その助けとなるであろう黒魔術師をルーシェ殿の下へと逃がした。
そして、天女の対抗策として処分された少女の行方を追っていた」
「なるほど、な。
同じく天から降ってきた女だ。なにか特殊な力が宿っているかもしれない上に、天女の弱点を知っているかもしれない。
しかしだ、それで肝心の少女は見つかったのか?」
ルーシェは、面白そうに口元を歪ました。
私はカップを割れんばかりに握りしめ、あぁ……とうとうバレテしまうのか、とその瞬間を恐れる。
異世界人だと、言われたくない。
異世界人だから特殊な能力を持っていると思われたら、そして何も持っていないと知られたら……
期待を裏切りやがってと、捨てられるかもしれない。
せっかく、ここまで来たのに……黒魔術の修練を積み始めたのに、ここで追い出されたくない。
追い出すなら……せめて、もう少し香奈子対策が整ってからにして欲しい。
人は裏切るって分かっているけど、たぶん私の意志は踏みにじられると思うけど、もう少し……もう少しだけ……ここにいたいんだ。
「……いや、崖に落されてからの消息は不明です。結局、生存の証拠は発見できなかった」
「はい?」
思わず変な声が出てしまった。
ナナシが不思議そうに私を見てくる。
「何か変なことを言ったか?」
私は首を横に振るった。
なるべく自然にしていないと、怪しまれてしまう。
気がつかれていないなら、それでいい。このまま知らないふりをしておこう。
「い、いいえ。消息不明ってことは、何でここに来たんですか?」
「あぁ。
ルーシェ殿の情報網に引っかかってないかと、最後の期待を込めてきた。
……その途中で足を滑らせ、岩棚に落ちてしまった」
なるほど。
だから、崖に落ちていたのか。……ナナシ程の腕前の傭兵が、うっかり落ちるとは考えにくいけど……でも『弘法も筆の誤り』ということわざがある様に、時には失敗することもあるのだろう。負傷し食料も持たず、精神が極限に達していたら、なおさら足を踏み外しかねない。
多少モヤモヤとした消化不良感は残るが、今はそう言うことにしておこう。
「……」
ルーシェが黙り込む。
元々口数の少ないナナシは、何も話さない。
私も話すことがない。
ハヤブサの皿を舐める音だけが、静かな空間に響いていた。
そのハヤブサもすっかり満腹になったらしい。ふぁっと大きな欠伸を漏らし、私の膝の上に這い上がってきた。そこで、猫のように丸くなって眠る。
茶はすっかり温くなってしまっていた。
一気に飲み干し、自室に下がっても良し。でも、そんな空気には到底思えなかった。
幾分かましになった黒の毛並みを、ゆっくりと撫でることにする。
「……天女は、次の矛先をヴェーダ帝国へ向ける」
ルーシェが、何でもないように呟いた。
そのポツリと口から零れた言葉は、いつになく重みを帯びている。
ルーシェに目に視線を向けて、思わずドキリとしてしまった。ハヤブサを撫でる手が止まってしまう程の、衝撃を感じる。
冷たい炎が、彼女の細められた瞳に宿っているように思えた。触れるのも恐ろしい、冷たい炎を―――
「ミオ、お前は天女がどんな人間だと思う?」
「私が……ですか?」
このタイミングで、何故私に話をふるのか。
全く分からない。
応えに戸惑っていると、ルーシェはテーブルに両肘をつけた。
「あぁ。今までにも天女の能力については話しただろ?
『洗脳の力』を持つ天女は―――どのような人間だと考える?」
「そうですね……」
一言で言えば、憎い元親友。
自分には与えられなかった逆ハーの加護の下で、悠々気ままに暮らしている。
『戦いは良くない!』だなんて、綺麗ごとばかりの甘ちゃんだ。
……もっとも、それは間違いではない。誰であっても、戦いを避けようとするのは当然だ。
『戦いを避ける』点だけみれば、香奈子は自分の能力を最大限に引き出していると言えよう。
だけど―――『死人』が出ないというだけで、そのせいで犠牲になる者が、やっぱりいるのだ。
何かが成り立つには、何かの犠牲が必要だ。
「何かを得るためには、同等の『犠牲』を支払っている。それを理解していない人だと思います」
私も十分に理解しているわけではない。
でも、香奈子はそれ以上に理解していないはずだ。なにしろ、自分の身を割くような犠牲を払ってこなかったのだから。
元の世界にいた時のことを、ぼんやり思い出す。
例えば、香奈子が『限定版のDVDが欲しいけど、お小遣いがないな~』と呟いた次の日には、ざっと数えて100以上もある限定DVDが貢がれた。
『私が沢山持っていても仕方がないから』と言われて譲渡されたけど、なんだかもやもやとした気持ちが拭いきれない。
あの限定DVDは、1万円以上もした。
香奈子は1円も支払っていない。だけど、香奈子のために、血反吐を吐く思いで大金を支払った人がいる。
それを、香奈子は『申し訳がない』と言っただけ。
オマケの飴程度感覚で、私にあっさりと手渡してきた。
そして次の瞬間には、全く別の話――文化祭の出し物についての話に変わってしまっている。
そう……そこまで感情をこめてない『謝罪』だった。
口にも顔にも出さないけれど、香奈子にとって『貢がれる』とは当然のこと。
人並みに苦に感じることは、きっと香奈子にもあるだろう。
だけど、その感覚は私達『一般人』とは明らかに違う。
「生まれながらの『特別』を『普通』だと勘違いしている。その『特別』を当たり前だと勘違いしている。
そう、あの人は『特別』な存在」
ずっと前から、気がついていた。
気がつかないふりをしていた。
私は『特別』の周りに漂う『親友A』であり、『特別』を盛りたてる役。
もちろん、香奈子自身はそんなことを自覚していないだろう。でも、簡単に切り捨ててしまう香奈子は、心の奥底では私を『楽に付き合える取り巻きの一般人』としか見ていなかった。
一緒に異世界トリップしたことで『一般人』ではなく、ある意味で私は『特別』になってしまった。
そして、自分に反論するようになったら―――『楽に付き合える』利点はなくなる。
取り巻きではなくなるのだから、切り捨てても痛くもかゆくもない。
その立ち位置に納まることが出来る『一般人』は、大勢いるのだから。
「なるほど……『特別』な存在か」
つまらなそうに聞き終えると、ルーシェは茶を啜る。
「私もナナシも、ある意味でお前『特別』だ。
しかし、私達は『天女』と違うと断言できるのか?」
「はい」
即答する。
「あの人は――真綿に包まれた箱入り娘、他人に飾られたお姫様。
少なくとも、私とは違います」
だから、香奈子に復讐をしたい。
『特別』な香奈子に、私の気持ちが分かるわけがない。
だからこそ、一矢報いたい。このまま泣き寝入りなんて、悔しくて悔しくてたまらない。
たとえ、勝てないとしても―――いや、必ず勝ってみせる。
そのために私は、ここにいる。ここで、侍女みたいな仕事をこなしながらも、必死に黒魔術を学ぼうとしているのだ。
「現実を視ようとしないのではなく、視えていない。それが、天女ということか」
カップをコトリと置く音が、やけに大きく響き渡る。
勝機観たり、と言わんばかりにルーシェは意地の悪い微笑みを浮かべていた。
「喜べ、お前たち。―――勝ち目は0ではないぞ」




