19話 残り5日
「ん?ソウレ山に行くのかい?」
白さが眩しい鉢巻が特徴的な親爺に、尋ねてみる。
親爺は鳥串焼きを焼く手を止めずに、私の質問に答えてくれた。
「この道で会ってるよ、嬢ちゃん。
あと、そうだな……5日歩いたところにあるさ」
「5日ですか」
噛めば、じゅわりと汁が唇を伝う鳥串焼きを頬張った。
美味いのだけれども、どことなく口にべた付く感覚で、安い品だな……と思ったけど、そんなことに文句を言える身分では無い。むしろ、食べ物にありつけるだけで幸せなのだ。
「わんこうも一緒に、行くのかい?」
親爺さんは、私の足元を覗き込んだ。骨にしゃぶりつくハヤブサは、食べる手を止めて親爺さんを一瞥すると肯定する様に『ワン』と吠えた。そして、何かに急かされるように再び骨に噛みつく。
「しっかし、ソウレ山かぁ……嬢ちゃん、観光かい?それとも―――」
「観光ですよ」
編笠をちょいっと触り、私は微笑んだ。
黒髪が忌避されていることには変わらないので、ここは黙っておく。
下手に黒髪だとばらして、ぼったくられたら、たまったものではない。
「魂が集まる場所ときき、興味を抱いたので」
「興味本位で行くところじゃねぇぞ。魂が集まる場所って言われてるけどな、それはただの噂だ」
丁度いい塩梅に焼けてきたのだろう。
炭の香りに交じって、鳥の香ばしさが鼻孔をくすぐる。じゅぅっと鳥から染み出た油が、鉄板に当たり蒸発する音が聞こえてきた。
「だけどなぁ……一度、行ったことある。戦争で死んだ婆さんの魂を供養するために、な」
「どうでしたか?」
「不気味なところだよ」
こんがりと焼けた鳥串を、タレに浸す親爺の横顔は、寂しそうに歪んでいた。
「岩しかねぇ寂しいところさ。至る所から煙が噴き出してな、岩肌は焼きただれたようだった。正直、何度も行くところではねぇよ。俺には霊感がないから、婆さんの魂なんて視えねぇし。
だけどなぁ……」
思い出すように目を細め、その瞳には涙が浮かんでいるようにも視えた。
「魂が集まる場所ってのは、わかるかもしれねぇ」
「視えなかったのにですか?」
新しく焼きあがった鳥串焼きを受け取りながら、私は尋ねてみる。
親爺さんはコクリと頷いた。
「視えねぇけど、なんとなく『いる』ってのは分かる。気配って奴だな。
そんな静かな場所だった。あそこにいた黒魔術師たちも、噂に聞くようなオドロオドロシイ連中じゃなかったしな」
「…そうですか…」
串に残った最後の鶏肉を一口で放り込む。
「教えてくれて、ありがとうございます。……行くよ、ハヤブサ」
代金の銅貨を皿の脇に置き、私は立ち上がった。
ハヤブサは名残惜しそうに骨を視ていたが、文句を言わずに私の後に従う。
赤い暖簾を払い、路地を出ると喧騒が一気に遠ざかった気がした。向かう先は宿屋ではなく、そのまま本日の寝床として目を付けた橋の下へと、足を運ぶことにする。
私とハヤブサは、北へ北へと旅を続けていた。
とりあえず、頂いた地図を『参考』にしている。決して、全面的に信頼しているわけではない。万が一、騙されている、からかわれているということも念頭に置いて、この道で間違っていないかどうかを、こうして屋台の親爺さんや行商人、旅人に尋ねるように心がけている。
(それにしても……なんで、もっと真剣に母さんの手伝いしなかったんだろう?)
私はため息をついた。
宿に泊まらずに屋台で飯を取るのは、金銭的な問題だ。
だけど、本当に残り少ない路銀のことを考えるのであれば、自炊が一番良い。だけど、自炊が出来るほど料理が卓越していたわけではないのだ。
旅に出たばかりの頃、魚を釣ってみたことがある。
やっとの思いで釣り上げた魚は、陸に打ち上げる前に針ごと川へ落ちてしまったり、予想以上にヌメッとした魚を捕まえておくことが出来ず、両掌から抜けて川へ逃げてしまったり……結局、2時間で釣れた魚は1匹だけだった。
だけど、その魚を捌くことが出来なかった。
料理の手順は、なんとなく知っている。
まずは、はらわたを取り出さなければならない。そう思ってナイフを突き刺そうとする。
すると、予想以上に弾力がある腹で、ナイフを押し返してきたのだ。ちょっと強い力だったはずなのに、それでも傷をつけることが出来ない。
あの時の白い魚の腹は、今でも覚えている。
少し日に焼けた褐色の手の上に、映える白さ。
それは、どこまでも残酷な程に白かった。
この下に、内臓が詰まっている。もっと力を入れれば、白い腹は鮮血に染まるのだろう。
それを想像すると、すっぱいものが腹の奥から喉へと持ち上がってきた。
魚はもっと簡単に、捌けると思っていた。事実、母親はテキパキと捌いてムニエルにしたり蒸し焼きにしたりしてくれた。でも、それは『スーパーに陳列した、すでに死んだ魚』だ。
……生きた魚は、簡単に捌くことが出来ない……
結局、私は魚の腹を捌くことが出来ず、川に逃がしてしまう。
一瞬、ぷかりと腹を上に向けた魚だったが、意識を取り戻したかのように震えると、逃げるように川の奥へと消えて行った。
もしかしたら、今なら……捌くことが出来るかもしれない。
でも、捌けたら捌けたで、よくよく考えてみるともう1つ、非常に重要な問題が発生する。
料理以前に、火を起こすことが出来ないのだ。
ライターやマッチがあれば火が起こせるのだけれども、この世界にそんな文明の品があるわけない。
木をこすって火を起こすとか、火打石の火花で火を起こすという方法を、日本史の資料集やテレビで見たことがあるけれども、実際問題そうはいかない。だから、結局は料理する術がない以上、屋台に頼ることになってしまうのだ。
「まぁ、灯りには困らないけどね……」
瓶から適当な燐光を1つ、取り出してみる。
魂の放つ光は淋しく冷たい光で、料理なんて出来ない。でも、こうして手元を照らすくらいにはなってくれる。
このおかげで、私は『黒魔術書』を読み解くことが出来る。
「へぇ……身体から魂を引き出す術なんてあるんだ。怖いな」
まだ私の実力足りないのか、呪文を読み取ることが出来ない。
でも、その呪文の効果は読み取ることが出来た。
「魂を抜き出すなんて、まさに黒魔術」
そう思わない、ハヤブサ…と問いかけて、口を閉じる。
ハヤブサは燐光が嫌いだ。私の背中にしがみつき、耳を塞ぐように蹲っている。
……いや、怖がるようなことを刺せたのは私だけどさ。
「でも、どうやったら読み取れるんだろう?」
ゲームだと、敵を倒して経験値を高めてレベルアップ!というのが定石だ。
でも、ここは現実。
自分のステータスも固定値も分からない。そもそも、レベルアップという表現があっているのか分からない。
スポーツのように、何度も何度も繰り返して練習すればいいのだろうか?いや、練習したくてもまず、呪文が読み取れないし……
「他の呪文をたくさん使って、経験点を高める感じなのかな?」
分からない。
つい、ゲームのように考えてしまう。
私は頭を振るうと、書物を閉じた。燐光を瓶に戻し、眼を閉じる。
ソウレ山に行けば、きっと強くなる方法も教えてくれる、はず。その時までに方法を模索しながら、旅を続けよう。
あと、5日の旅なのだから。




