10話 夕暮れ時の戦場で
※今回のみ、メルト国王視点です。
暦の上だけではない。
肌で感じる感覚も、全てが春だと語りかけてくる。
まるで、うとうと午睡をしたくなる陽気だ。しかし、それは昼間だけだ。夜の訪れとともに、掌を返したように寒くなる。
今はこうして行軍を進めているが、夜になると霧が出てきてもおかしくはない。
「霧の中での行軍は、やめた方が良いな」
いくら格下の「エドネス国」とはいえ、万全の態勢で進まなければならぬ。
万が一、霧の中に伏兵を置かれていたら、我が民を殺すことになってしまうからの。
「メルト王、逆に霧の中を進んだ方が良いかもしれませぬ」
「霧の中を?」
そう進言したのは、我が腹心の軍師だ。
多少、迷信深いのが玉に傷の軍師よ。もはや通り名が「迷信軍師」。だが、軍師としては有能なはずだ。とりあえず、まともな理由があると信じ耳を傾けてみることにしよう。
「何故だ、軍師?」
「はっ、実は『霧を苦手とする幽霊が出没』すると……」
「却下」
素直に聞いた我が、馬鹿であったな。
幽霊などを恐れ、霧の中に身を隠すというのか? 愚策よ、なんとも愚策。
迷信に捕らわれ勝機を失うなど、言語道断よ。
「い、いえ!本当なんですって!!
この周辺の民に、実害も出ているんですよ!」
汗水たらし、迷信軍師は必死に訴えかけてくる。
夏場の蝿のように、小煩い奴だ。追っ払うように手を振り、軍師を去らせようとした。
「どうせ自然災害だろうに。いちいち煩い奴よ」
「だから!幽霊の害なんですって。幽害!」
あまりにも煩い。
まったく、別の軍師を連れてくれば良かった。本当に――選択ミスだ。ため息をつきたくなる。だが、連れてきてしまった以上、仕方あるまい。こいつで我慢しよう。
「霊魂が夜空を舞い、手近な命を吸い取るらしいのです。命を吸い取られた農民は、見る影もない屍になってしまうのだとか……」
「それで、霧の中へ逃げ込めば霊魂が追ってこないと?」
馬鹿馬鹿しい。とんだ迷信だ。
迷信軍師は身振り手振りで言葉を重ねる。なんでも、地元の農民は霧の中で過ごすようになっているのだとか。そのせいで、最近の巷では「霧かくれの民」と言われているのだと。
我は、酒を煽り迷信軍師の言い分を一笑する。
「ふん、問題なかろう。むしろ、『迷信に捕らわれるメルト王』と馬鹿にされるわ」
「しかし――」
「それで、敵将は誰だ?エドネス国王か?いや、あ奴は60過ぎの老人よ。
そろそろ世代交代する年頃だろうに」
無理やり話題を変えると、迷信軍師の苦々しい顔色に変化が視えた。
いや、いまだに「霧の中に隠れた方が…」と口にしてはいるがな。だが、幾ばくか表情に余裕と面白そうな色が戻っていた。
「はっ、今回は国王が出ないらしいですぞ。
なんでも、国王の1人息子が兵を一任されたようです」
「ほう、あの小童が」
先程までの鬱陶しさは、どこへやら。
かなり遠くまで飛んで行ったように、我の気持ちは晴れ晴れとした。
エドネス国の老王には、息子が哀れなことに2人しかおらん。
1人は生まれたばかりの赤子。
そして、今回の軍を任された19歳の息子は、間抜けだと聞く。
なんでも、老王の取り仕切る政治を手伝おうとはせず、いつも外をフラフラ出歩いているらしい。最近では、拾った子犬とやらの世話に明け暮れる日々を送っているのだとか。
その話を聞いたときは、思わず嘲笑が抑えられなかったわい。跡取り息子の教育が出来ていない時点で、もうあの国は終了よ。
実際に、エドネス国を見切って我が国の傘下に入った臣下もいるようだしな。
「実際に、先鋒軍が城を1つ落としていますから。
どうやら、護りも素人同然。本人は戦場を恐れてか、ギムレット城から出てこようとしないらしいです」
我はギムレット城で怯える跡取り息子を思い描き、微笑を深めた。
迷信軍師の先程までの評価を、撤回することにしよう。こやつの囁き声は、良い酒の肴になりそうだ。……まぁ、コイツが攻め落としたわけではないが。でも、今回の大まかな作戦を立案したのは、迷信軍師だからな。
「冥途の土産だ。名前だけでも、覚えておくことにしてやろう。
して、その跡取り息子とやらの名は?」
「はい、ゼクス・エドネスでございます」
我は、出来る限り覚えておいてやることにしよう。
もっとも、『元』エドネス国の人間は覚えているだろうがな。自国を滅びに導いた、優秀な王とは比べられないくらい無能な跡取り息子として。
「ちなみに、ゼクスとやらは『魔術』を扱うのか?」
「『氷魔術』を扱うと聞きます。しかし、実戦で使用したことはないようです」
実戦では使えない。
つまり、魔術を扱えるとしても、御遊戯レベルということか。
所詮、戦闘で使用できるほどの威力ではないということだろう。戦闘で使用できるほどの使い手は、ほんの一握りだからの。我が軍にも、魔術をつかえこなせる達人となれば、数えるほどしかおらん。
まぁ……使えるレベルだったとしても、我の魔術は「炎」。氷など一瞬で空中に溶かしてみせよう。
我の勝ちは、視えたようなものだな。
「では、今夜はここで野営を張る。準備するよう伝えろ!」
熟した柿のような空を見上げ、我は迷信軍師に命令する。
案の定、迷信軍師が否定の意を並べ上げたが、そのすべてを無視して直接兵士に野営を伝える。それでも、軍師は腑に落ちないような顔をしていたが……故国の空が藍色に染まるころには、何も言わなくなっていた。
「ほれみたことか。何も来ないではないか」
「……」
迷信軍師は、何も答えない。
ただ不安そうに震えながら、辺りを見渡している。余程、幽霊が怖いのだろう。
そんな非現実な存在を怖がっているようでは、先が思いやられる。特に、この島を統一して、西の大国「グランエンド」と戦争をする時にはどうするつもりなのだろうか?
あの国には、「天女」と呼ばれる存在がいると聞く。
迷信軍師のことだ。「天女に手を出すな!」と猛反対するのだろう。瞼の裏に浮かぶようだわ。
後日、世界会議でグランエンドへ向かう際には、この軍師を連れて行かないようにしよう。
「あっ、あそこに幽霊が!!」
「ひゃぁい!」
我が適当な方向を指さし、告げてみる。
すると、案の定と言うべきかな。迷信軍師は、尻に火がついたように飛び上がった。
一層震えだし、恐る恐る我が指さした方向を見つめる。
「かがり火と間違えた。そう怯えるではない」
「お、驚かせないでください。本当に現れたら……」
「現れるものか」
そんな非現実な存在を。
もし、実在するのであれば、我は呪い殺されているだろうよ。
メルト王国の領土拡大の際には、かなりエグイことをしてきたからの。
そう、口にしようとした時だ。
「ぎ、ぎゃぁぁっぁぁああ!!」
野太い悲鳴が、本陣から上がる。
それも、1つや2つではない。合唱でもするかのように、あちらこちらから湧き上がってくるのだ。
「敵襲か!?」
屈みこんでしまった迷信軍師は、あてにならぬ。
我は手近な武将を捕まえると、問いただした。しかし、髭面の武将は顔を真っ青に染め、ぶるぶると首を振るばかりだ。震えるあまり、言葉を放つことが困難だとみた。
……敵襲、でここまで腰抜けになるメルト軍ではない。
では、いったい何が起きたというのだ?
「もう一度聞く。敵襲か?」
「ぁ、あ」
武将は何か言葉を紡ごうとするが、口で語るより見た方が早いと判断したのだろうか。
我の手を引き、震える指である一点を指さした。
我は、腰の剣鍔に手をやりぬけるように構えた。そして、指さされた一点を凝視する。
「なんだ?」
炎が視えた。
野営の朱色の炎とは違う。我が放つ魔術の炎とも異なる。こうして視ているだけで、薄ら寒くなる青い燐光だ。
脇目もふらず逃げる歴戦の兵士たちに、纏わりつくように進撃する燐光。一部の猛者が大刀を抜き、燐光を斬りにかかる。しかし、燐光は2つに割れても何事もなかったかのように進み寄る。
「く、くるな!」
懇願の叫びを聞き入れず、燐光は猛者の顔に吸い付いた。
しばらく苦悶の声を上げていた猛者だったが、燐光が離れた時には悲鳴を収めている。恐怖に歪んだ表情も奪われ、ただただ全てを吸い取られたような無表情で、ばたりと地面に倒れ込んだ。
「ば、ばけものだ!!」
「逃げろ!いや、戦え!ちがう、戦うな!」
「助けてくれぇ!!おいら、なにもしてねぇよ!!」
歴戦の猛者が倒れ込むのを目撃してしまった兵士は、まさに阿鼻叫喚だ。
なにより、身体全身で恐怖のあまり生まれた混乱を具現化させている。
これでは、我が一喝しても聞き入れそうにない。
いや、何より我も震えはじめていた。
「まさか……本当に怪奇現象があるとは……」
剣を握る掌が、冷や汗で湿り始める。
我の魔術は、炎を操る力だ。だが、我の炎の威力では、謎の燐光に太刀打ちできるとは思えない。
我は歯を食いしばると、半分泣き始めた迷信軍師に視線を落とした。
「こ、国王様」
すると、視線を向けられたことに気がついたのだろう。
迷信軍師は、震える手で我の衣を掴むと必死に懇願し始めた。
「に、逃げ、逃げましょう!霧の中へ!!」
がくがく震える迷信軍師の問いに、我は頷くより他なかった。
幽霊に負けて本陣総崩れ、では末代までの恥だ。それに、この危機的状況下で、万が一……エドネス国に襲われたら、我が軍は大きな打撃をくらってしまう。
「皆の衆、聞け!霧の中へ退却だ!」
9月2日:一部改訂




