〜1〜
ここ数日、ホーリア市は雨の日が続いていた。
この時期に冷たい雨が降り続くなんて珍しいとニーアが言っていた。
しかし、ホーリア市に着任して2か月経つか経たないかの俺にはわからない。
雨が降ろうと晴れようと、俺の仕事ぶりは変わらないから、事務所で魔術書を読んで見識を深めたり、剣の稽古をして鍛錬を積んだり、勇者として日々忙しい。
観光客は宿から出てこないし、薄暗く重い空気に満ちた街に隠れるように、市民の苦情もしばらく少なかった。
久方ぶりに穏やかに過ごせると思っていたのに、リリーナが腹が減っただの、空気がじめじめしているだの、髪が決まらないだの。ずっと、ずーっとうるさかった。
しかし、リリーナの言う通り、雨のせいでニーアも俺も買い物を控えていたから、事務所の食糧が尽きている。
ようやく晴れた今日、ニーアと俺は街に買い物に出ていた。
「業務時間中に、私用の買い物をしていいんでしょうか?」
雲1つない青空を水たまりが映して、街は眩しいほどだというのに、ニーアは暗い声で言った。
「これは、パトロールだ」
「……パトロール、ですか?」
「街に事件が起こっていないか、危険が迫っていないか、見守るのも勇者の仕事だ」
俺が前世で見てきたヒーローは、8割はマントを着けて街の上空を飛んでパトロールしていた。俺も空を飛ぶくらいわけないが、狭いホーリアの街を飛ぶと一瞬で終わってしまう。
そんなに焦って帰らなくても、事務所にはリリーナがいる。
リリーナが何の役に立つかとか、万が一の来客に対応できるかとかはさておき、一応、いる。
「では、業務時間中に勇者様が隣街まで買い物に行くのも、パトロールなんですね?」
「……」
「近隣市まで気にかけるのはご立派ですけど、勇者様は一応ホーリア市を担当しているので、街を離れられるのは……ちょっと、どうかと思います」
ニーアはネイピアスに行ってエイリアスに会ってから、俺への厳しさに磨きがかかっている気がする。
上司と部下が切磋琢磨して、互いに成長し合う。いい傾向だ。
俺だって、業務時間中に仕事を放り投げて遊びに行く自分は、ちょっと、どうかと思っている。
しかし、事務所にいて暇で居眠りしているくらいなら、買い物をして経済を回したほうが世間のためになる。
それに、俺は勇者だ。優秀な職員は業務時間中に何度タバコ休憩に行っても目をつぶってもらえるのと同じで、ギリギリ許されていると思う。
「ニーアは、リリーナにくるみパンを頼まれてたよな。俺は肉屋に用事があるから」
「1番街のお肉屋さんですか?私が行きますよ」
「平気だ」
1番街の肉屋は、ホーリア市民の中でも特に俺を恨んでいる。
主人は俺を見ると肉切り包丁を構えるし、奥様はあることないこと俺とニーアの悪い噂を流している。
しかし、今は店に2人がいないことは、魔法で確認済みだ。
ニーアはそう簡単に透視魔法を使えないから、俺が身1つで肉屋の主人と対話するつもりだと考えているらしい。
俺の覚悟にはっと息をのんで、辛そうに唇を噛みしめた。
「そこまで言うのなら、ニーアは止めません……!勇者様は、ニーアの心の中で生き続けますから……!」
そう言い残して、パン屋のほうに駆けていく。
どうやら、最悪のパターンを想定したらしい。
それなら、もっと本気で俺を止めてくれてもいいんじゃないかと思う。
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前世の俺は、勇者は他人の家に勝手に入ってアイテムを奪っていいんだと思っていた。
そうでなくても、街中に宝箱があって、中のものは勇者のために準備されているから、無料で持っていっていいんだと思っていた。
そこまで至れり尽くせりじゃなくても、街を歩いていれば誰もが好意的に声をかけてきて、慣れ親しんだ商店街のおばちゃんのように食糧をなんでも分けてくれたり、馴染みの八百屋に顔を出せば無言で果物の1つや2つくれたりするものだと思っていた。
「コロッケ、あるか?」
「ないよ」
肉屋の1人娘、チコリは俺に冷たく言って、店先の商品に寄ってきた野良猫をしっしと追い払う。
腕の振り幅が大きすぎて、俺まで追い払われているような気がするが、おそらく気のせいだ。
「ないのか?肉屋なのに?」
「だから、ないよ。聞いたこともない。どこの料理だ?」
チコリはニーアの幼馴染で、親友だと聞いている。
だから、両親と違って、ニーアの上司である俺にホーリアでは珍しく好意的だ。
どれくらい好意的かというと、財布を持って店に来れば、客扱いしてくれる程度には親しみを持って接してくれる。
「ネイピアスにはあったんだけどな」
「そんなら、そっちで買ってくればいいじゃないか。勇者サマなんだろ?」
チコリが野良猫を追い払おうと、ホウキを伸ばした。
遊んでもらっていると勘違いした野良猫が、ホウキにじゃれついて俺の足元に転がり、俺の黒いマントが、猫の毛で白く変わっていく。
チコリに、勇者が一時出国するのがどれだけ面倒か説明しても無駄だ。
諦めて帰ろうとしたけれど、肉屋の娘らしく未知の料理に興味があったのか、チコリは結んだ前髪を揺らしながら、カウンターを乗り越えて俺に顔を近づけた。
「そのコロッケってのは、どんな料理なんだ?」
「たしか、芋と肉を混ぜて丸めた揚げ物だよ」
「肉を揚げたのなら、そこにあるだろ」
チコリは売り物として並んでいる、揚げた肉を刺した串を指さしたが、俺が求めているものとは全然違う。
ホーリア市にないなら、自分で作るしかない。
俺は前世では料理などめったにしなかったが、人並みに知識はあるし、この世界に生まれてからは養成校で料理も学んだ。
少し形は違うが、じゃがいもと同じような野菜がこの世界にもある。塩も胡椒もある。
芋を蒸して潰して、肉と混ぜてパン粉を付けて揚げれば、それなりに似た料理はできるはずだ。
「で、それに使う肉は?羊?山鳥?」
チコリに尋ねられて、俺は肉屋に並ぶ赤い塊を眺めた。
前世では、肉はきれいに刻まれてパック詰めされていた。今にも蘇りそうなくらい生前の姿を残した肉塊を見ても、全然ピンと来ない。
たぶん、兎とか熊ではなかった気がする。
「何だと思う?」
「あんたがわかんないなら、こっちだって知らないよ」
チコリは冷たく言って、野良猫の次は俺の頭をホウキで突き始めた。
それにじゃれついて肉屋に媚びるほど、こっちは暇ではない。
「待て……あの歌を思い出せば、コロッケの作り方が明らかになるはず……」
俺は前世の四角いテレビ画面を思い浮かべて、そこに映っていた日常ロボットアニメを、記憶から掘り出した。
料理の手順を歌っていたのは、確かオープニングのほうだ。
しかし、一度世界を超えているから、少しも思い出せない。それなのに、エンディングは出てくる。そっちなら今でもかなりいい感じに歌えるのに。
俺が頭を抱えて唸っていると、しびれを切らしたチコリが、ホウキの柄で俺を突いて店からはじき出した。
市内放送に肉屋への苦情を読み上げるコーナーがないからといって、この肉屋は客に対する態度がひどすぎる。
「あんたがいると、他の客が寄ってこないんだよ。ニーア、こいつ、連れてってくれ!」
パン屋の紙袋を抱えて歩いていたニーアを見つけて、チコリが怒鳴る。
ニーアはチコリと周囲の人々に一通り謝ってから、俺の腕をつかんで引っ張った。
「勇者様、街の人に迷惑をかけちゃ駄目ですよ」
ニーアはそう言って、俺を引きずっていく。
俺は買い物をしていただけだ。
そう訴えても、ニーアはボケた老人を相手にするように、「はいはい、そうですね」と優しい口調で言いながら、握る力はまったく緩めなかった。




