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ヴィルドルク国、国境沿いの山間の街ホーリア。
早朝の澄んだ空気の中、俺は事務所である洋館へ続く道をのんびり歩いていた。
正義の味方とかそれに準ずるものは、意味もなく街を歩くものだ。
前世の俺だったら不審者情報のトップに載っただろうが、十代の若者に転生した今、近所の目に怯えることなく、優雅に散歩ができている。
事務所の玄関を開けると、キッチンから元気な声が飛んできた。
「おはようございます、勇者様。お帰りなさい!」
魔法剣士のニーアが、エプロン姿でお玉を片手にぴしりと背筋を伸ばして立っていた。
「朝ご飯できてますよ。勤務開始前に食べてくださいね!」
完全に朝型のニーアは、この時間から元気だ。腹から声が出ている。
そして、俺が勤務時間になってからダラダラ朝飯を食ってサボろうとしていたのがしっかりバレている。
「コルダさんも。勤務前に食べてください」
広間のソファの上には毛布の山ができていた。山の端から銀色の狼耳がのぞいている。
「今日は無理なのだ……」
毛布の中から獣人のコルダのくぐもった声がした。
昨日の夜、お絵かきが盛り上がって遅くまで起きていたからだ。
止めるのが面倒で途中で寝たから、朝になって俺の部屋の壁がクレヨンで前衛的な模様になっているのには驚いた。
「まだ眠いのだぁ……」
「コルダさん、水でも被って外を走れば目が覚めますよ」
ニーアは今時、運動部の顧問でも言わなそうなセリフを吐くが、毛布の上から優しくコルダの背中を撫でる。そして、湯気の立つカップを隙間にそっと差し入れた。
「はい、カフェオレです。サンドイッチは黒苺のジャムですよ」
「……うぅ~……勇者に盗られる前に、食べるのだ……」
毛布からコルダが渋々顔を出す。
眠そうな目は半分も開いていないが、毛布をかぶったままジャムサンドを食べていた。
「もう、口の周りに付いてますよ。あー、耳の毛が跳ねてますよ……」
ニーアがブラシでコルダの銀色の毛並みを整えていく。
コルダは気持ちよさそうに目を細め、ふさふさの尻尾をぱたぱたと振った。
こういうところが、ニーアのいいところだ。
そこへ、階段からぺたぺたと足音が降りてきた。
白魔術師のリリーナだ。腰まで届く真っ白の髪、透き通るような白い肌、人形のような長いまつげの下の水色の瞳。
彫像のように整った顔立ちは、街を歩けば誰もが振り返る美しさ。
のはずが、ボサボサの髪は数日風呂に入っていない様子で、てろてろのスウェットを着ている。
「おはようございます、リリーナさん。部屋から出てきたんですか!?」
「お腹空いたの」
天変地異の前触れかと驚くニーアに、リリーナはぶすっと不機嫌そうに短く返事をする。
テーブルに置いてあったパンを勝手に掴んで、パンくずを落としながら齧っていた。
「今から寝るから。起こさないで」
リリーナは雇い主の俺に欠勤宣言をして、部屋に戻っていく。
昼夜逆転の引きこもり白魔術師。黙っていれば完璧なのだが、黙っていなくても、見た目だけは完璧だ。
「リリーナさん、いつも夜更かしして大丈夫でしょうか……」
ニーアが心配そうに呟く。
俺は答えなかったが、昨日の夜も遅くまでリリーナの部屋からミシンの音が聞こえていた。また新作のコスプレ衣装でも作っていたのだろう。
その時、ニーアの腰のポーチからラジオの音が聞こえた。ニーアはすぐにラジオを取り出して、ノートを広げる。
『——朝の定期通信です。首都の勇者アウビリス様。本日はオルトー連合国に向かわれる様子。農園、大学、生物研究所を視察後、昼から会談を予定——』
「やはり、首都の勇者様はお忙しいですね。今日はオルトー連合国ですか……視察の場所は見当がついているので、今度、聖地巡礼に行きましょうかね……うひひ……」
ニーアはノートに書き留めながら、口元が緩んでいる。
首都の勇者の動向は、国民には最低限の広報しかされていない。同じ勇者の俺でも詳細は教えてもらえないくらいだ。
ニーアが聞いているノイズ混じりのラジオは、いつもの勇者オタクたちの情報網による非公式放送だろうが、果たして合法なのだろうか。
相変わらず、勇者が絡むとニーアは気持ち悪い。
俺がニーアを眺めていると、ちょうどニーアがノートから顔を上げて俺と目が合った。
俺を数秒見たニーアは、ノートの新しいページを開いてペンを走らせ始める。
ペン先の動きを辿って、俺はニーアが書いている内容を読み取った。
『本日のホーリアの勇者様の記録。睡眠時間マイナス2時間。寝癖あり。夜中のおやつのせいで若干むくみあり。午前中に二度寝を計画している模様。健やか』
昨日、定時に自宅へ帰ったニーアは、知っているはずのない情報だ。全て当たっていて恐怖を覚える。
ペンを止めたニーアは、満足そうに頷いた。
「……よし!」
「よくない」
その情報を、一体どこで共有するつもりだ。
睡眠時間マイナス2時間で寝不足だが、俺は看過できずにつっこんだ。
ホーリアの勇者の事務所の朝は、大概こんな感じだ。
騒がしくて、緩くて、誰も勤務時間を守らない。
前世の俺が見たら、卒倒するだろう。
だが、これでいい。いや、これがいい。
連日日付を越えるまで続く残業。昼飯も取れずに給料泥棒と怒鳴られる日々。
日和見主義の役立たずの課長。煙草休憩から帰ってこない先輩。心を病んで休職しているがSNSでは元気な後輩。
スーパーもとっくに閉店した帰り道、コンビニ弁当を買って1人、アパートで詰め込むように食事をする。
そして、シャワーを浴びて朝日に怯えながら途切れ途切れの睡眠をとる。
それで俺は、死んだらしい。死因は過労か、カフェイン中毒か、寝ぼけて車に跳ねられたか。そんなところだろう。
今は真逆の立場だ。勇者として地位も名誉もあって、穏やかに寿命を全うするための理想の職場。
この生活は、何があっても守り抜く。
真面目に、全力で、サボり続ける。
上司には、絶対にバレずに。




