24. 油断する
湧水を煮沸し雪室の冷却用パイプに流して水差しに汲めば、王都では味わえない新鮮な飲料水の出来上がり。寒いばかりの雪山にやっと一つ良い所があった、と彼女は満足しながら冷凍果実のスライスを加える。
鐘でチン! を使えば冷凍パンもカリっとふわふわ、冷凍オムレツに燻製肉も絶妙な温度に温められる。マッシュドグリーンビーンズで彩りも添えておく。
「出来ましたー、雪山にいるとは思えない朝食です」
「鐘でチン! のおかげです。普及しすぎて大気中の魔力が枯渇する日が来るかもしれません」
感謝と共に朝食を頂きながら、後輩魔闘士は真面目な顔で言う。
「刻紋蓄魔晶石内蔵の魔術具は飛躍的に増えていくでしょう。さらに魔獣が討伐されたことで王国は内政に資金を集中させ発展し、隣国は王国を地政的、経済的な標的と考え始めます。防衛力を強化する魔力需要は魔術省の今後の大きな課題ですが」
うんうん、と真面目にうなずき聞いていた彼女に彼は緩んだ笑顔を向けた。
「今日はそれよりあなたを僕から防衛しましょう。攻撃の刻紋石をアームガードに組付けてみました。落下の心配がなく、近接攻撃を防ぐこともできます。後で調整させてください」
一緒に朝食を準備するなんて同棲みたいと彼女はどきどきしたが、話題は最新武器での彼との模擬対戦だ。八つ当たりで燻製肉を分断するナイフに力が入る。
逃げる際は門を通るのも有効です、と彼は言う。闇堕ち後に研究所に入る時に門番の精霊に半闇性魔力を渡すよう指示されたため、門番の精霊はもう彼と取引しないそうだ。
研究所は北嶺を果てしなく横切る断崖絶壁内部の岩窟だ。研究所から行けるのは奥の旧魔獣棲息域、横に抜けた山頂部の霊木自生地、前人未到の北の酷寒地しかない。門を通行不可にし、帰路の転移紋を撤去して、魔術省は彼を雪山の牢に隔離した。
彼女の胸の奥に魔術省への不信が澱のように溜まる。
「後輩さん、眠る時間はあったんですか?」
「短時間で集中的に何度か。僕はそれを睡魔の拾い寝と呼んでいて…」
「名づけるほど習慣化させないでください」
「効果的なはずなんですが、今日は…急に…まさか『すぐに眠れる魔法の錠剤』」
「連行された時に着ていたエプロンに残ってました。吐いても遅いです、『すぐに』効きます」
答としてオムレツに添えたマッシュドグリーンビーンズを指差す。
「食感が嫌いな人、丸飲みするんですよ。後輩さんがいつもこっそりやってたみたいに。小さな錠剤を隠してくれました」
彼は愕然として立ち上がろうとするが、上体をぐらりと揺らして食卓に手を突く。
「座っててください、危ないので」
常用者として彼女は錠剤の効果に自信があった。悠然と歩いて暖炉へ向かい、端の炭を拾って彼のそばの床に紋を描き始める。
「がさつでそそっかしい兄のローブを、わたしが何度修繕したと思いますか? ポケット内側の見慣れない紋を覚えるほどです」
油断を悔いているのか、彼はため息をつく。
「妹さんの眼を侮ってた…転移紋を一発模写して…来たんでした」
「古株さんの手帳に専属精霊の開錠を使ったのに必要なかったと分かった時、後輩さんは恥ずかしいと口では言っても耳が赤くなってなかった。古株さんのバディだった兄が解錠権限もらってて、精霊で開錠する必要はないって予想してたから。開錠の精霊じゃないってことも分かってたからですよね」
「耳? …見過ぎ」
頭を抱える彼の耳がまた赤い。
彼女は片手で紋を描き続けながら、もう片方の手で飴の包み紙を見せる。
「専属精霊の紋のポケットに入ってた紙です。落書きだと思ってて、見返したら違ったんです」
『妹、善き後輩、君たちは幸福を自分の目で見つけ自分の手でつかみ取れる、そういう人だ』
「メッセージでもあるし、専属精霊の使い方なんだって気付きました。つまり…定義です。兄の最期の言葉を聞いて確信しました。兄は定義の精霊で『君を善くしすぎた』んです、闇堕ちしてまで仲間を救うチャンスを諦めないほど善い後輩にしすぎた」
「はは」
夢に浮ついたような声で善き後輩が力なく笑う。
「僕は定性調整…と、仮称していました」
降参の言葉だった。彼は兄の専属精霊の能力を推定していて、自分にはあえて開錠と偽って何かをさせた。
「謝罪します」
騙されたと分かったけれど、彼女に怒りは湧かない。きっと理由があったという信頼がある。それでもちょっとだけ仕返ししたくなって錠剤を仕込んだ。
「以前は、わたしと兄の魔力は確かに違ったんです。わたしが上京した二年間で、いつの間にか同じになってた。魔術師みんながびっくりするくらいあり得ないことだけど…専属精霊で少しずつ定義したら可能かもしれない」
「僕に何をしたいの…」
描き終えた紋に固有魔力専用の蓄魔晶石をいくつも転がす。ローブを脱いで後輩の肩を抱え、紋の上へ引っ張り込む。
「兄が後輩さんに願ったことを、わたしが引き継ぎます。精霊ごと」
ぎゅう、と後輩に回した両腕に力をこめる。彼の赤い耳と少し高い体温に、めまいがするほど彼女の心臓は疾走している。
「定義の精霊さん、」
乾く喉をごくりとしてから彼女は願った。
「後輩さんの半闇性魔力から有害性を消して。今だけじゃない、この先もずっと」
「だめだ。調整が大きすぎる…あなたが…超過する…」
止めようとする彼の手は力なく空しく宙から落ちる。
「じゃあできる期間でいい、何度だって一生かかったってやるから。後輩さんは絶対に闇性魔力の害悪に侵されたりしない。兄の善き後輩さんはそういう人です!」
視界いっぱいに魔力が揺れる。泥を投げ付けられたようにべた、べたと視界が黒に埋まっていく。ごつんと痛そうな音がして、意識が低く暗くなる。
そのまま数十分なのか数時間なのかも分からない泥濘のような時間が過ぎる。寒い、と不快に感覚を叩かれた彼女はゆっくりと意識と記憶を探した。
まぶたが上がらない。暖炉の薪が燃え尽きた後の、ぬるい煙のかすかな匂いがする。規則正しい寝息が聞こえる。
「後輩さーん…?」
どん、と空気が揺れるほどの特急魔導の不穏な気配がしておののく。
「っ…あぶね。撃ちそうになった」
「えっと、ちょっと魔導超過しちゃいました。口以外動きません。降参しますから撃たないで…」
どうしようかな…と、緩慢で思わせぶりな呟きがする。
「だいぶ悪い夢を見たみたいで。妹さんと朝食をとっていて素晴らしくいい気分だったのに罠だったなんて、現実とは思えませんし」
「ごめんなさい、せめて食後にすべきでした」
そうじゃなくてね。と小さな声が聞こえた気がした。
「幻覚攻撃の耐久訓練中なのかな、頭がはっきりしないな。魔力索敵してみたら、真横にいるみたいなんですよ…ずいぶん弱ってる個体が。反撃の好機だな」
「まだ眠気がひどいようなら兄特製、『全てを無かったことにする魔法の白い錠剤』が」
「それが一番やばい」
やばい薬を飲みたくないようで、バンバンと肌を打つ痛そうな音が響いた。
「よし、集中。あなたを所内の除染室に連れて行きます。抱き上げていいですか」
「不本意ですが本意です。あっ、そうだ後輩さん、体調はどうですか」
「魔導超過で口以外動けない人に心配されるようなことは何もありませんし、」
言い含めるような穏やかさが怖い。
「睡眠不足も解消してます。出し抜かれた自分の格好悪さだけが最悪で、安全に暴走発散して完璧に原形復旧する策を練っているところです」
「『善い』の定義を精霊が間違えている気がします」
抱き上げられた彼女の額に近い場所で、小さなため息が聞こえた。
「奇襲する性格まで兄妹で似てるなんて」
「忘れたころにまたやりますので」
ふ、と笑った気配が苦笑なのか呆れなのか諦めなのか、妹には確かめられない。
「こんな献身的な仕打ち、忘れるわけがないでしょう」




