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004:魔女の魔法

 

「……偽装。隠して、見つからないように。解除するまで無期限で行使。――魔力、提供者はミライ」


 ふわりと魔法陣が現れ、溶けるように小屋へ消える。


 違和感を避けられないほどに自覚したのは、知らない文字が理解できたときだった。

 ツヴァイの遺言を読めたとき、ミライははっきりと気が付いた。

 やっぱり自分は普通じゃない。何かがおかしい、と。


 それから何度も考えて、最終的に異世界という言葉に着目した。

 言葉を交わせるようになった。文字が読めるようになった。急にこの世界にきた。

 おそらく、自分は同級生たちの中でずいぶんと流行っていた漫画やゲームなどでいう「召喚」というものをされたか、何かの事故によりこちらに飛び込んでしまった、と考えても別に突飛ではない。


 ここは異世界で、ミライは間違いなく日本人だ。どう考えてもこの世界の人間ではない。


 世界の壁を越えたことで、何かしらできるようになったことがあるかもしれない――否、既に文字と言語は使えるようになっている。

 ならば、超能力――魔法なんかも可能性としては有り得る。


 ツヴァイがいなくなってから、ミライはあまり笑わなくなった。

 魔法というものが使えることがわかり、ホッとして笑った以降はツヴァイを思い出して泣きそうに笑うくらいで、楽しげに笑うことなど一切なくなった。


 ミライの中にある魔法というものはひどく曖昧で、非現実的だ。

 魔法について知りたいと強く願えば、なんとなくの使い方が分かった。

 行使したい魔法の種類、その為に必要な魔力とその提供者。

 それだけを明確にすれば、できるかできないかが直感的に分かる。できている、できていない、という感覚も自分にちゃんとあった。魔法がどういう原理で、どういう風に成り立っているのか、細かいことは分からないが――使えるということだけは事実として理解できた。


 頭が良ければ原理なんかも理解できたのかも知れないが、あいにくミライの成績は平均。そしてミライに与えられた力はミライにひどく優しいらしく、わからないことは噛み砕いてわかるようにしてくれる。

 ミライの知能レベルに合わせて説明を変えていると思って良いだろう。

 現に、魔法については子供に説明するような言葉を受け入れて理解していったし、パンの作り方について知りたいと強く願えば葉酸やらグルテンやらと小難しいけれど知っている言葉で理解を促された。


 ツヴァイと暮らしていた頃にこの力に気が付いていたら、もっと美味しいパンを焼くことができたのに。

 そう思わずにはいられないミライだった。



 偽装(ぎそう)――大きな膜で小屋を隠す為の魔法だ。

 外からは見えない隠れた状態にする為の偽装だった。

 ツヴァイと過ごした大事な小屋を誰かに壊されては堪らない。ツヴァイのお墓も隠してある。荒らされたりなど、しないように。


 この地域、というよりもこの周辺の治安は良い。

 盗賊や山賊が出ることもなければ、戦争が起きていることもない。住民は慎ましやかに生きていて、それほど価値のあるものを持っていないというのが狙われない理由だろう。

 街の治安も悪くない。それがミライに分かったのは探索の魔法を使ったからだ。


 なんだかすごい力、と言ってもできることとできないことがちゃんとあるようだった。


 知らない地域、行ったことのない地域の情報は知りたいと強く願っても知ることができなかったので、ミライが現地に行って探索の魔法を使うことでしか情報は得られない。

 お菓子の作り方やパンの作り方、料理のレシピなんかは知りたいと思えば出てきてくれるが、自動車の作り方や化学物質の作り方なんかは願っても出てこなかった。賢くないのでどういう基準で出てきているのかミライにはわからない。

 ただ、予想としてはミライができる範囲でのものしか教えてくれないのではないか、と思っている。


 できない魔法というのは蘇生や異世界召喚の類だ。

 蘇生は魔法陣すら作れない不可侵の領域で、異世界召喚というのは神様の同意がなければ行使できない魔法らしい。しかし、圧倒的にできることの方が多い。

 ミライはその果てしない可能性に怯えてしまうほどだった。

 創造魔法というジャンルでは、できることの多さに途方にくれた。


 ミライは魔力というものがものすごい量あるらしく、魔力計測という魔法を行使しても最大値が分からなかった。

 いつまでたっても計測が終わらないのだ。

 二時間待っても計測が終わらないので、ミライは魔法を打ち消して計測をキャンセルした。


 この世界の魔法には属性という概念はなく、属性がある魔法を使うのは精霊と呼ばれる種族だけらしい。そもそも、魔法というものを行使できる人間が数えるほどしかいないらしい。

 どこに誰がいる、ということはわからないが、魔法が使える人間は数えるほどしか存在しないということは知識として入ってきている。




 この世界へ来て、そろそろひと月が経った。

 ミライは自身の力を概ね把握して、ツヴァイと過ごした小さな小屋をようやく出発する。


 木こりで質素な生活をしていたはずのツヴァイが残したお金は相当な額だった。

 どうして質素な生活をしていたのかわからないほどの貯蓄額だ。



 ミライはもう知ることはないが――長い間、嫌われ者と呼ばれていたツヴァイは人との関わりを持つことに恐怖を抱いていた。

 いつもの店で同じものを買い、いつもの店で同じものを売る。

 その生活を崩す勇気のなかったツヴァイは娯楽品や嗜好品のある高級店には一切目を向けなかった。

 誰かと酒を飲むこともなく、娼館で楽しむこともなく、ツヴァイはひっそりと誰にも見つからないように小さくなって暮らしていた。


 ミライが来てからツヴァイの心は満たされたが、それでも自分の娯楽よりミライの服を買うことに勇気を振り絞り挑戦した。


 その時のツヴァイをもしもミライが見ていたら、きっとツヴァイからの深い愛情を感じることができただろう。

 老人がぎゅっと拳を握り、真っ赤な顔でお金を差し出すのだ。


 ――娘の、服を。ちゃんとした服を。


 震えがちな声でツヴァイは言った。

 顔見知りにミライを紹介して回るときも、内心は冷や汗が止まらなく緊張しっぱなしだったのだ。



 そんなツヴァイがミライへ遺したもの。

 ミライは大事に袋を握り、

「……収納、亜空間。大事なものだから奥へ仕舞って。魔力提供者はミライ」

 亜空間へその袋を大事そうに収納した。


 盗まれたくないものはここへ仕舞うとミライは決めてある。琥珀も一緒に仕舞っている。

 ツヴァイの愛用していた上着もこの中に大事に仕舞ってあった。


 遺品はすべて、ミライのものになった。

 だからミライは旅の伴としてツヴァイの愛用していた上着を連れて行くことにした。

 いつも着ていた、ぼろぼろの上着だ。若い頃からずっと着ているとツヴァイが語った思い出の服。

 老人のツヴァイの身体には少し大きくなってしまった上着だが、ツヴァイは新調することなくずっと愛用して着ていた。

 ミライが着ると、やっぱり少し大きいが――それでも、ツヴァイの匂いがして安心できる。

 木の匂いだ。染み付いたその匂いに、泣きそうだった。


 今より寒くなったらこれを着よう。


 そう決めてミライはくしゃりと顔を崩して微笑む。


「行ってきます、お父さん。ちゃんとお父さんの遺言通りに仕事、探してくるね」


 残っていた食料もきっちり食べ尽くし、小屋の整理も終了した。

 出発の準備は万端だが、ミライはその場に少しだけ留まることにした。

 否、動けそうになかったのだ。


 ちゃんと行くから。

 言われた通りにするから。

 もう少しだけ――ここに居させて。



 それから、一時間後。

 ミライは涙を袖で拭って小屋を後にした。その際に、万が一にも道中襲われたりしないよう、隠蔽の魔法を自分自身に向かってかけて。


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