001:先代魔女と世界の神様
「どうか、お願いします! 貴女様が継承の儀式を受けて下さらなければ、この国は近く立ち行かなくなってしまいます……!」
絹の貫頭衣らしきものを着用した白髪の老人は、絨毯に頭を押し付けて何度目か分からない懇願を告げた。
部屋の中には六人、一人は膝をつき頭を下げ続けている老人でもう一人は壮年の筋肉質な男性――国王その人である。
残りの三人は青年と呼べる若者たちだが、顔を伏せて膝をついているのではっきりと顔は見えない。
老人が膝をつく前で、精巧な造りの装飾が惜しみなく施された豪華な椅子に座る少女がひとり。
マロンクリームのような色合いの髪を持ち、短いスカートを穿いた少女は紛れもなく――日本人だった。
「だぁかぁらぁ、無理だって! あたしにそんなことできるわけないじゃん! 大体、こんなとこに呼び出しておいて帰らせないとか誘拐だし」
「しかし、初代様の召喚陣はきちんと選別を行っているはずで――」
「こっちに来てもいいよって人を呼ぶんでしょ? 昨日も聞いた。でもあたしは帰りたいの! こんなとこにいたくないの!」
と、反論している割には侍女が用意したお茶と菓子を優雅に堪能している。
言っていることと行動が一致していない少女に対し、国王は厳しい顔を一層厳しくさせた。
話し合いは平行線を辿り、ずっとこの調子だ。
贅沢を求める割に継承の儀式はいつまでたっても受けようとしない。
与えられたものにわがままを繰り返し、継承の儀式について話せば帰りたいと喚き出す。
「どうしてもっていうからここに居てあげてるのに、継承の儀式? とかなんとか、受けろってマジしつこいんだけど。国王もなんとか言ってよ! あたし、その儀式受けたらもう二度と帰れないんでしょ」
「……受けなくとも、帰ることはできん。恐らくだがな」
「そのおそらくっていうのが気になるの。だってもしかしたら帰れるかもしれないじゃん。その可能性を潰すのって馬鹿じゃない?」
「……そなたは何がしたいのだ。帰りたいと願うならば、方法を探せばよかろう。召喚されてから毎日のように贅沢をしては文句を言い、一向に帰る手段など探そうとしないではないか」
「……は? 帰る方法を探すのってそっちの仕事でしょ! なんであたしが探さなきゃいけないのよ!」
少女は立ち上がり叫ぶ。
部屋の外で侍女が「またか」と溜息をそっと溢した。
魔女――ティー・シーは初代から今代までの全員が異世界から召喚された十七歳の少女だった。
初代は地球という惑星のフランスという国から喚ばれ、二代目はイギリスという国からこの世界に喚ばれている。
そして、召喚されると自動的に不老不死になる。
継承の儀式で知識の継承を行い、先代の魔女の記憶と知識と全て次代は取り込むのだ。
そうして次代はまた次代へと同じことを繰り返した。
初代だけは特別で、この世界の神と呼ばれる存在と取り決めを交わしたことがあるそうだが、その取り決めの内容は継承の儀式を行った魔女しか知らないことになっている。
魔女の中だけに受け継がれている真実はこうである。
初代は元々、世界の均衡を守るために神からこの世界に喚ばれた。
彼女は自分の世界に絶望し、新しい場所で生きることを強く願っていたのだ。
彼女の魔力が膨大なことに気付いた神は彼女の世界の神と交渉し、彼女がその提案を受け入れることを条件に身柄を貰い受けた。
彼女は一も二もなく頷き、この世界へとやってきた。
ただ、生きれば良い。
魔力を保有するものが少なくなっているこの世界に、魔力を膨大に有する彼女はただ入るだけで充分だった。
世界の均衡はそれで保たれた。
それでもこの措置は、一時的なものに過ぎない。
考えた神は彼女に不老不死を与えた。彼女もそれに納得した。
しかし――百年が過ぎた頃、彼女は生きることが辛くなってしまった。
孤独になり、笑顔を失い、生きることに疲労した。
彼女は神は願った。
もう生を終わらせたい、と。
けれども、彼女の存在はこの世界になくてはならない。そのための不老不死だ。
神は再び提案した。そして彼女は――その提案を受け入れた。
自分と同じ存在を作っていくことを。
彼女は心優しき女性で、神もまた慈悲深かった。
彼女は魔法を造り、神は召喚の許可を出した。
異世界から魔女を呼び出す条件は魔力の量が膨大なことを除いて世界に絶望していること、周囲から迫害されていること、違う世界に行きたいと強く願っていること、元の世界に戻れなくともこの世界を恨まないことの四つだった。
全てを満たし充分な魔力を持ち、尚且つ長い時に耐えうる人間だけを呼び出すことにした。
神は別の世界の神に交渉したが、条件が広すぎることを理由に拒否された。
そして、彼女は決める。
自分と同じ十七の歳で自分と同じ性別の人間だけに絞ることを。
そうして魔女は在り続けることが決まった。
魔女が次代を呼び出して継承の儀式を行うのは、生きることに耐えられなくなったときだ。
神が関与していないのは、初代の婚姻と建国だ。建国は神には関係のない、初代魔女のわがままとも言える行いだった。
とにもかくにも、元の世界で周囲の悪意に晒され続けていた少女たちは忍耐強かった。召喚が行われた回数の少なさがそれを雄弁に物語っている。
そんな忍耐強いはずの――条件を限定して喚ばれたはずの今代の魔女が継承の儀式を拒否したことに先代の魔女はとにかく驚いた。
そして、調べ続けた。
召喚されたからひと月、ようやく先代は原因に気が付く。
「陛下! 国王陛下! 原因が分かりましたよ……!」
ノックも窺いもなしに開いた扉にその場の全員が驚いたが、飛び込んできた先代の魔女の姿がひどく薄汚れていたことに更に驚いていた。
先代の魔女は息を乱して片手を宙に伸ばす。
「この部分の――」
浮いて現れた魔法陣を指差して魔女は説明を始めたが、魔法というのはこの世界では――ひと握りの人間しか扱えない代物だ。
国王は代表して先代の魔女に待ったを掛ける。
「待たれよ、ミーツェア。その魔法陣は出されても我々には理解できぬ代物だ。口頭で説明を頼む」
「あっ……そうですね。そうでした。魔法は神様の贈り物なんでした」
この世界での常識を思い出したのか、ミーツェアと喚ばれた少女は慌てて魔法陣を消した。そして、ずり落ちかけている丸眼鏡を押し上げてコホンとひとつ咳をする。
「神様が代わったみたいなんです。先ほどレターを見つけまして……今回、召喚に使った魔法陣は神様の名前の部分が違っていて、前の神様の名前になってしまっていて――言うなればバグのようなものでしょうか。そのせいで召喚ミスをしたみたいです」
「……ミーツェア。レターとはなんだ?バグと、ミスも意味が分からん」
「ええっと、レターはお手紙です。神様からのコンタクト……連絡がきていたみたいで、さっき気が付いて……」
ミーツェアの本名はミア、アメリカから召喚された四番目の少女である。
フランツェルバ王国で使われている共通言語は普段自動翻訳で話せるとは言え、今のミーツェアは自動翻訳の魔法を省エネの為に自ら切っている。そのため、魔法なしに共通語で話しているが焦った時に母国語が飛び出してしまっていた。
バグは不具合、ミスは失敗と言い換えて説明すると国王は分かりやすく深い溜息を吐き出した。
最初からおかしいとは思っていたのだ。妙に喧嘩腰で話をまともに聞かない少女。
協力的でこの世界に好意的な少女が来ると魔女からは言われていたのに、何故か召喚された少女は文句しか言わず協力しない。
一体どうしたことだとミーツェアに聞いてみても、本人は原因が分からないと顔を青くして早急に原因を調べ始めたのだ。
魔女が神と密接な存在だということは国民には知らせていないが、国の中枢に位置する人間なら誰でも知っている。
ミーツェアは神の名が代わったことを知り、早急に神へと連絡して現況を報告した。
神も代わったばかりで大忙しだったから、と現在の状況に大層同情的で間違いで召喚してしまった少女は送り返すと言ってくれた、が。
「あれ……? もうひとり召喚されてるよ?」とのこと。
その少女が自身の名で呼ばれるはずだった少女だとも付け加えた。
不具合で二人、前の神と現在の神の両方の名で二名呼ばれてしまったらしいのだが、前の神の召喚魔法陣は既に効果が薄くなっていることもあり、条件が甘かったらしい。
そうして呼ばれたのが、現在王宮でわがまま放題の日本人の少女だった。
「も、もうひとり召喚されていると……? その少女はどこに……?」
「それが……魔法を独自で覚えちゃったみたいで、神様でも居場所が見えないらしいんです。元々、魔女はこの世界で生きていく為に神様から沢山のものを貰いますし……」
「なんと優秀な……!」
白髪の老人――現在この国で宰相と呼ばれる地位にいる老人はひどく感嘆していたが、国王は渋い顔のままだ。
それもそのはず、いくら優秀でも見つからなければ国の未来はない。
「どうすべきか……ふむ……」
「大丈夫です! 召喚時の記録と姿を隠してしまう瞬間までの記録を神様が見せてくれたので、特徴はわかります!」
「おお!それは素晴らしい……!」
宰相の言葉にミーツェアは誇らしげに胸を張る。が、国王は嫌な予感をひしひしと感じていた。
今までのことでもはやわかりきったことだが、ミーツェアはものすごくドジな少女だ。
大事なところでいつも抜けていると言っていい。
そんなミーツェアが誇らしげにしているあたりで国王の表情は暗くなった。
「黒髪で、身長は低いです。そして日本人です。絵も描いてみました!」
自信満々にミーツェアは指を鳴らす。
すると、一枚の大きな紙が部屋の中央に現れた。
しかし――
「……これは、人間か?」
国王はついに脱力して頭を抱え込んだ。
情報が少なすぎる。絵が残念すぎる。
それでも、探さなければならない。国の未来の為に。
「ミーツェア。少女はどこで姿を隠したのだ?」
「フラスティ大陸のマーメントですね。召喚された場所がランダム……えっと、自動で選ばれたみたいで」
フラスティ大陸は若干似た響きを持っているフランツェルバ王国からは遥か離れた全く関係のない大陸である。
今から準備して早急に向かってもふた月ほどはかかる。ふた月も国をこのままにしておけば、飢饉は免れない。
「……国王陛下、大丈夫です。必ず、すぐに見つけますから」
ミーツェアは真面目な顔で、国王をじっと見つめた。
――この国は大好きだ。それでも、私は長く生きすぎた。
ミーツェアは大事なひとをもう三度も亡くしている。三人目の夫が亡くなったことを切っ掛けに次代の召喚を決めた。
そして、準備をしてしまった。
継承の儀式の為に、ミーツェアが持つ全ての知識と記憶を一つにしてしまった。
その全てをまとめる為には魔力がかなり必要だ。そのために魔力を回収したのだが、国の至る所に分け置いていた魔力は既に枯渇し始めている。
水は濁り、土は弱り、緑は枯れ始めていた。
継承の儀式に備えて集められたミーツェアの魔力は既にひとつになったものを守っている。どうやっても取り出せない。
今はミーツェアの中に残っている魔力でなんとか国の魔力の不足分を補っているが、長くは持たない。
継承の儀式を終えるまでの間は持つように計算してあったが、予想外の自体に対応できるほどの量は残していなかったのだ。
ミーツェアが死にたいのは――継承の儀式を終えてから死にたいのは、転生したいからだ。
魔力が枯渇して死ぬと転生は望めない。存在が消えてしまうだけだ。
転生して会いたいひとがいる。三人も、いるのだ。
だからミーツェアは魔力の枯渇では死にたくなかった。
「……絶対に、探します」
ミーツェアのその言葉に国王は静かに頷いた。