1-8
意識が戻り、重い瞼を開けると見慣れた天井が広がっていた。ずいぶん寝ていた気がする。
瞬きを数回し、確認を含めて上体を起こす。ここは……俺の部屋、だよな。
「兄ちゃんだいじょうぶかい」
「ああ、なんとか」
たしかに俺の部屋だ。本棚も机も間違いない。窓の外を見るともう真っ暗だった。
それよりも、と記憶を巡らせる。菅野さんを追いかけて広場に入ってみたら、菅野さんがいて、と思ったらオーラが人型に変わって、そしたらなぜか俺もオーラになったんだよな……。
そのまま成り行きで言い争いになって……途中で気絶してしまったらしいな、俺。
「あ、そういえば菅野さんは……」
「あのコギャルの子なら一人で帰ったよ」
「そっか。ならよかった……ってキミ誰!?」
屋台のオヤジみたいな馴染みやすい語り口だったものだから、思わずさっきから返事をしていたが、そこには金髪の女の子がテーブルの上で寝転んでいた。
見た目はすごく幼い。六、七歳ぐらいだろうか。格好はなんていうか、ギリシャ神話に出てくる女神とでも言っておこう。そこよりも気になる部分があり、顔をじっと見る。
「なんだい。あたいの顔になにかついてるのかい?」
勉強用として置いている四本足の小型テーブルに乗って、片方だけ頬杖をついて、こちらに身体を預けている。パッチリしていそうな目を半目にして、ジト目と言うのだろうか。愛嬌のありそうな唇もムッとしていて、無愛想な感じだ。なんという宝の持ち腐れの多い女の子。
最後にもうひとつだけ。俺は顔から頭部に目線を移動させる。
「?」「アフロ……」
「アフロじゃないわ! これはクセ毛。わかった? ク・セ・毛。ったく、ようやく目を合わせて喋ったと思ったら、なにを言ってんだか」
「すまん。つい」
声を荒げた女の子は、俺にアピールするようにアフロを突きつけ、短い指で前髪を引っ張る。本人の言うとおり髪はピョローンと跳ねる。どうやら、正真正銘の天然アフロのようだ。
「ていうかキミ誰? 親戚……じゃないよね。見たことないし」
「もちろん。あたいとお前さん、解森州はなんの関係もない」
「なんで俺の名前を……」
「あたいはね。お前さんらの世界でいう『天使』ってやつさ」
「て、てんし……?」アフロで金髪……なんかすげぇデジャヴ。
「そう。そんでもって、あたいの名はリラックス。天界から来た諜報員。気軽にリラと呼んでいいから。あ、間違ってもフルでだけは呼ぶな、わかったかな?」
リラックスか。安心しそうな名前だ。本人は気にしているようだが。
「おう。わかった。それでリラ。その、いきなり天使とか諜報員とか言われても普通に、はい、わかりました。と理解できると思うか?」まあ俺も人に言えた義理じゃないが。
「なんだ? 証拠が欲しいのかい?」
「そりゃな、ないよりかは」
「ま、それが普通か。でも、お前さんには悪いけど面倒だし、あたいはべつにお前さんと慣れあう気は、さらさらない。あたいは任務でお前さんのそばにつかせてもらう。それだけだからね」
「あくまで仕事で、ってことか」
「そうだよ。この任務にはお前さんの――オーラを視るチカラが必要不可欠、だからね」
俺は目を見開いた。――オーラを視るチカラ。この能力を知っている人が目の前にいる。
ここである一説を立てた。大海原を泳ぐ魚に擬餌を仕かけたとしよう。たとえそれが偽物だと知っていても、俺は食いつくだろう。だって、それしか方法がないのだから。
「俺の――この能力の正体を、知ってる……のか」
リラは、どうだろうね、と俺をあしらおうとする。
「リラ。教えてくれないかいろいろと。そして、俺のことを」
「あたいに説明させろ、と?」
「訊きたいことがたくさんあるんだ。お願いだ」
俺は押し迫った。絶好の機会を逃すまいと、必死になる。
「あ~……面倒だね。じゃあ条件に明日、あたいにうまいものを食べさせてくれないかい? それで手を打ってやるよ」
「うまいものってなんだよ。具体的に」
「そうだね。甘いやつがいい。とびっきりので頼むよ」
甘いやつか。しかもとびっきり……アイスやケーキとかだろうか。
リラはあぐらをかいて、俺に向く。
「あたいの任務は、たったひとつ。幻界から逃げだした不のオーラを説得し、捕獲すること」
「説得ってどうやって……あ、まさか……」心当たりが、俺にはもちろんあった。
「そのまさかだよ。こいつを使い、お前さんにオーラになってもらい説得してもらう。簡単だろ?」
リラが襟の中から首に紐で下げている、銀色に輝く十字架を取りだす。
「お、俺が……? 無理だろ。夕方のだって、無我夢中だったし」
「かまわん。現に夕方のオーラは捕獲に成功した」
「そうなのか?」
「初めてにしては、かなりの上出来だった。褒めてやる」
「どうも……。なら、協力する身として訊くが、不のオーラって厳密に言うとなに?」
「簡単に言うと、過剰や欲求などの類いが集まったオーラが多い」
「それってつまり『増力』てことか?」
「九割方当たり。正確には、『加わっている』んだよ。元々あったどちらかにね」
今日の菅野さんの場合は、「欲求」に当たるのだろうか。
「オーラにも性別はあったりするのか。今日見たのは明らかに、武士で男だったし」
「もちろんある。生前は人間だったものが多々だからね。それをあたいらの裁判長が幻界で管理をしていた」
「『していた』? 逃げた日になにかあったのか」
「まあね。裁判長も四六時中、監視しているわけにはいかないからね。たまの息抜きもするわけよ。そこをつけこまれて、逃げられたってこと。ひとつの執念しか持たない魂なのに、よくもやってくれたよ。おかげでこっちは……」
急に愚痴っぽくなった。天使もいろいろ大変なんだな。
「それで生きたオーラの正体は、ひとつの執念だけが集まった思念体ってことなのか」
「そのとおり。ざっと世界中に万は逃げたね。ま、あたい以外にも捜索してる天使はいるし。どうにかなると思うけど」
「さっき見せた十字架は?」
気だるそうになったリラが襟から取りだす。
「これ? これでお前さんをオーラにするのよ。まあ時が来たらまた教える」
「リラ、俺以外にも、オーラが視える人っているのか?」
「うーん、多分いないと思う。多分だけで、調べたわけじゃないけどね。あたいの場合は楽しようと、たまたま居合わせたお前さんをスカウトしただけだし。お前さんがなんでオーラが視えるかも、あたいはなにも知らない。ごめんよ」
「あ、ああ……」心でため息が出る。結局なにもわからなかった。仕方のないことだ。俺が勝手に期待しただけで、リラに非はない。しかし、やはり期待した分だけ、気分が沈んだ。
落ちこんでいても仕方ないか、と、もう一度リラの顔を見て気づいたことがある。
「あれ? 天使にはオーラはないんだな」
「うん? そうだよ。人間じゃないし、第一心という概念が存在しない存在なんだから、あたいらは」
そういうものなのか。と、不意にドアが二回軽くノックされる。
「どうぞ」と、俺が返事をするとドアが開けられる。入ってきたのは、俺の母さんだった。長身な母さんは、背中にストレートロングの黒髪がかかっていて、それをひとつに束ねている。
そこで俺は気づいた。
「あら、州くん帰ってるの。帰ってるなら、ただいまぐらい言ってくれれば……州くんどうしたの?」
「え、いや、その……こいつは、その……」
慌てて母さんのところに駆け寄る。やばい……俺がこんな小さな女の子を連れこんでると思われたら……。
しどろもどろな俺の脳内に声が響く――。
(だいじょうぶ。お前さんの母ちゃんにあたいは見えていない)
「へ?」後ろを見やり、リラを確認した。とくに変わった様子はない。
目線が泳いでいる俺におっとりした目で母さんは、「どうしたの、そんなに慌てて」と優しく諭される。
「え?」視界を戻して、母さんの顔を見る。そこにいたのは、いつものキレイな母さんだ。
「ふふ、州くんも年頃なのね。一人のところをお母さんが悪かったかな。でも、そんな州くんも大好きよ」口調を聞くに、本当にリラが見えてないみたいだ。
俺は「あ、うん……」と母さんに曖昧な返事をした。母さんに「大好き」と言われると、そういう言葉しか浮かんでこない。
「お母さんこれから仕事なのよ。お留守番お願いね。夕飯は、とんかつを作っておいたから、レンジで温めてね」
「わかった。それと母さん」
俺を気遣って、用件だけ済ませて部屋を出ようとする母さんに、頼み事をする。
「明日、新樹とコウが泊まりに来るんだけど、いい?」
「あら、久しぶりね。もちろんいいわよ。じゃあ、明日のご飯は張り切って作らないとね。あ、それなら買い物も行かないと」
精いっぱいに取り繕った笑顔だ。でも、それは決して嘘で作られた笑顔じゃない。心の底から喜んでくれているのだけは、わかっている。母さんはすごく優しいんだ。
「ありがとう。いつも」
「ふふ、じゃあお母さん仕事行ってくるわね」最後にニコッと笑い、扉を静かに閉める。
「あれがお前さんの母ちゃんか。ずいぶんと若いね」
「そらそうだよ。義理の母だから。十年ぐらい前までアイドル歌手をやってて、それなりの人気を誇っていたほどだったんだ」
解森深砂――今も芸能界でコメンテーターとして、活躍をしている。美人だし、アイドルを辞め、結婚した現在でも需要は得られているみたいだ。
「すごいじゃないか。仮に義理の母ちゃんだとしても」
「だから俺は少し遠慮してる。迷惑はかけられないから。見ていてわかっただろ」
「あたいには、よくわからないね。それで親父は? 親父のほうは本当の親かい?」
「父さんも違う。俺は九歳のときに養子で引き取られたんだ。といっても、父さんは大学病院の院長をやってるし、ほとんど帰ってこないけどな」
リラは「大変だね」と興味なさげに反応した。あまり自分の話をするのは、好きじゃない。話を変えることにする。
「それより俺の脳内に直接話しかけたり、姿を見えなくしたり、なんだよ、あれ」
「見えたほうがいいかい?」
「いや、そっちのほうがいいけど……」
「テレパシー通信はいつどこにいても、あたいと通信ができる。助かるでしょ、いろいろと」
「そりゃ、リラには今後いろんなことを訊くだろうし、便利だが」
「まだいろいろできるよ、あたいは。そういえばご飯ができてるんだったね。じゃ、さっそく移動しようか」
リラがテーブル上で立ち上がり、色白で小さな手を俺の肩に乗せた、次の瞬間。
「へ? え? え? ええええぇぇぇぇ……」
視界が映り変わり。いつの間にかダイニングテーブルに俺は向かっていた。
理解がついていかない俺に、リラが「歩くのメンドイでしょ」とレンジの扉を開ける。
「こ、これって……」
「なに? テレポーテーション知らない? お前さんを部屋に運んだのもこれ。テレポ。わかった?」
レンジから宙に浮いたとんかつ皿が出てきて、テレポーテーションで俺の前に置かれる。
「知らない? じゃないだろ、まさかリラってなんでも有りか?」
「なんでもじゃないよ。お前さんが死んでも生き返らせたりは、さすがに無理」
そう言い放つと食器とソースを用意して、俺の向かいに座る。
「食べていいかい?」
「…………どうぞ」
イスに座らず、テーブルに乗って食すリラ。サイコキネシスってやつか。一人でに動くフォークで、とんかつのひと切れを刺すとリラの口に運ばれた。
う~ん、ともしゃもしゃと咀嚼をし、顔を綻ばせて一言。
「やっぱり、定食屋より手作りのほうがうまいねー」
「そりゃどうも……」
とんかつをひと切れ食べてリラを見るが、なにかと納得がいかない部分が多い。課題だらけで、頭が痛くなる。けど、とりあえずは天使で諜報員のリラが、俺について回るようになった。
これで第一章は終わりです。引き続き第二章をお楽しみくださいませ。
友城にい




