2-1
翌日。俺はいつもどおり登校する。新樹は朝練があり、そろそろ来るだろう。菅野さんももう来ていて、状態は昨日と一緒である。
ひとつ違うのは、オーラがきちんと変わっていることだ。今は『不安』を現した青く濁ったオーラが纏っている。
たしかに事件は解決していたんだな、と実感した。
「おはよう、州」
「おう」
軽く挨拶を済まし席に着いた。しかしコウは、俺の顔色を窺うようにして言う。
「例の件、解決したみたいだね」
「なんでわかった?」
「澄ました顔をした州は、悩みがなくなったときしかしないからね」
「よくわかるな、コウ。超能力者かなにかか?」
「まあよく似たものだね。でもこれは、州と新樹ちゃんしかわからないと思うよ。ほら、腐れ縁だしね」コウは微笑み混じりに、俺にそう話す。
「それはそれで末恐ろしいな」
「州に言われたくないよ。州はいつも僕や新樹ちゃん。もしかすると世界中のみんなの心を察知できるんだから、これぐらいハンディーじゃないかな?」
「ハンディー……か。いい言葉だな」
俺はコウに昨日あったこと――。天使が現れたこと。オーラになったこと。これら全部秘密にしようと思う。べつにコウや新樹に話したら、有無言わず信じてくれるだろう。しかし、今は伏せておこうと思う。これが俺のハンディーならば――。
コウが、内容もなにも訊かずに席に戻るころ。廊下が騒がしくなる。少しして、教室に数人の女子と、新樹に肩を貸してもらっている宮坂さんが入ってきた。
「愛ちゃん!」新樹が叫ぶ。それに反応して、菅野さんが振り返った。
「宮坂!」
新樹に負けないくらいの大きな声を張り上げると、一目散に宮坂さんに駆け寄った。
「なんで、連絡くれなかったの。私心配して……」
「ごめん。落ちたときに携帯壊れたみたいでさ」
菅野さんは左膝に巻かれた包帯を見て、
「謝るのはこっちだよ……。ホントごめん宮坂。私のせいでこんなケガ……」
「違うよ、愛。これはあたしが選んでしたことなんだから。愛はなにも悪くない」
「でも宮坂は明日――」
そこで宮坂さんが菅野さんの口を、人差し指で制する。
「いいんだよ、これで……。あたしの運を愛にあげる。受け取ってくれるでしょ?」
宮坂さんが新樹に乗せた手と逆の手を、菅野さんに差し伸べる。
「うん。ありがとう……私、頑張るね」
菅野さんが手を握り返す。その手を俺も見た。ただの握手じゃない。がっちりと交わす腕相撲の握り方。少しいいな、と思う。
「そんなに菅野さんが気になる?」といきなりコウが頬杖をついて、俺に訊いてくる。
「え? 俺、そんなに見てた?」
「けっこう見てたよ。それとも……」ジッと俺の眼孔を覗きこむ。
睨みを利かせて、「なんだよ……」と訊くと、
「新樹ちゃんのほう?」
「そ、そういうことにしとけ」愕然としつつ、俺はそっぽを向く。
菅野さんよりかは、いいだろう。どうせ冗談だと通じるだろうし。それよりも、なぜかコウが背後からイタズラな笑みをしているのが、目に浮かぶ。
(――お前さんよ)
不意に、まだ聞き慣れない声が脳内に聞こえだす。だが、知っている声だ。
外の景色を見ていた目線を、さらに左に寄せるとリラがロッカーの上で寝そべっていた。
いつからそこにいる?
(最初から見てたし、全部聞こえてるよ)
そうかよ。たしか朝、家にいろと言わなかったか?
(暇でね。代わりにお前さんの残した朝食をいただいたよ。あとご飯も。なに、知られて困るようなことでもしてるのかい?)
スクランブルエッグの残飯処理をしてくれたのか。まるでサバンナのハイエナだな。
……わかった。その代わり邪魔するなよ。
(あたいは大人だからね。そのような幼稚な行動は卒業済みさ。でも、口は挟ませてもらうよ。いわゆるお節介さ)
それはそれで、大人な行動とは言えないような……。いや、リラが悦に浸っているんだ。みなまで言うまい。俺は気分を害さないように。
言っとくが、大概無視するからな。そう聞き流した。
(それでかまわん。所詮、あたいの独り言だからさ)
そうかよ。虚しくなったら、勝手にやめろ。俺はリラを視界からはずす。
(隣のが、昨日母ちゃんと話をしていたとき名前が出た、コウって奴かい?)
簡単に、そうだよ、と。相槌を打つ。
(お前さんと違って、かなりの好青年のようだね。まあ、あたいの好みではないけど)
と。返事じゃないが、べつに聞いてないが、と思う。見た目とのギャップを狙っているような、色っぽい声なんか出して。
(新樹というのは、あっこのイイ感じのおっぱいが大きくて、身長はお前さんと大差なさそうな、あのおなごかい?)
見るところがオヤジだぞ……。俺の第一印象の屋台を省いて、「オヤジ」はあながち間違いじゃないのかよ……。
(べっぴんさんだね。お前さんとは不釣りあいだよ。ああ、それよりあのおっぱい揉みたい)
……ほっとけ。そんなことは百も承知だ。それとなんか、リラの邪な欲望が俺にまで流れてきてるぞ? させないからな?
(まあまあ、それでお前さんは、あのでかぱいのおなごのことが好きなのかい?)
一部、訂正する要請を出したいが。リラのちょっかいの質問に「…………」と無言でいると。
(おお。急にほっぺが赤くなった。黒だね。そりゃ、あれだけ魅力のあるおなごは、そういないからね)
リラがなんで、顔を合わせてもいない俺の表情の変化に気づいたのか。それは窓に映っていたからだ。俺は急いで顔を伏せる。
「わかってるよ、そんなことぐらい……」と誤魔化す。が、リラに言われて改めて考える。
そして、隙間から片目を出して、コウを遮って菅野さんたちと楽しく話す新樹を見つめる。
まがい物じゃない眩しい笑顔。スカートから伸びる健康的な脚線美。どこを取ってもグンを抜いて、美人とか可愛いとか「容姿端麗」とか言えるだろう。
おまけに内面も優しくて気さくな人が、俺なんかといる。こんな贅沢はほかにない。もったいないぐらいの幸せを実感し、息をつく。
「俺は噛みしめているのか……」
「また新樹ちゃんを見てたのかな?」
爽やかな顔をしているコウが、こっちを見ていた。俺が固まっていると、ニヤつく。
「ち、ちげぇーよ。友情っていいな、って見てたんだよ」
あんまり否定的になっていない気がするが……。
ちょっと失言気味な雰囲気で戸惑う俺に反して、コウは「そういうことにしといてやるかな」と前に向き直る。ニヤニヤは止まっていないようだったが。
すぐに「真似するよな」と苦笑混じりに言う。コウもオウム返しに「州も、真似、するなよ」と俺とは違い、バリエーションをつけ、天井を見上げた。
(お前さんたちも負けず劣らず、充分な青春をしてるじゃないか)
「どうだか」コウとリラに、同時に返した言葉がこれだった。俺は、ひねくりの意味もこめて窓に見やる。
そこに俺の心を察したようにチャイムが鳴り、みんなが席に着き始めた。目だけを動かし、黒板を見ていると肩をトントンと二回、つつかれる。
ん、と反応を見せ、そのほうへ首を回す。
「おはよー、州」
「新樹か。早くしないと先生くるぞ」
「わかってるってば。それよりも、今日、楽しみだね」
新樹の満面の笑み。会うたび見せる笑顔なのに、たじろいでしまった俺は、ググーっと肩に力が入った。
「え、あ……母さんも、ご馳走作るって張り切ってたぞ」
「そうなんだ! 深砂さんの料理おいしいよねぇ。私大好き」
うっ……。やばいな……。コウのせいで妙に意識して、「大好き」に過剰反応してしまった。胸がドキリと一段階高めに跳ねたのが、熱を帯びた耳でわかる。
「州どしたの? 顔が赤いよ、だいじょうぶ?」
「いや、なんでもない。今日も一段と暑いからじゃないか?」
手の甲で額を拭うふり。うわ……俺の顔、めっちゃ熱い。ホームルーム終わったら、水でも飲んでおこう。
「うーん、たしかに暑いねぇ」
そう言って、男の俺の前だというのは、目の前でスカートをパタパタと扇ぎだす。
見ないようにして、「おい、俺も一応は男だぞ。少しは女の嗜みを」と注意を促すが、
「うん? いいじゃん、州だし」
続けて、「スカートのなかは蒸れるんだよぉ」と、注意を軽く受け流す新樹。それって、俺は男として見ていないってことか? そんな疑惑を抱いていると戸が開き、先生が入ってくる。
「みんなーホームルームを始めるぞー」
「あ、じゃあ、またあとで話そうね」
おう、と目で送ると新樹は、二つ横の席に戻っていった。
出欠を取り、業務連絡を淡々と進める先生を片目に、新樹とコウをチラッと見た。
二人は俺のことを、本当はどう思ってんだろう。それだけをいつも自問自答し続けている。
(もっと悩メ、少年)
リラの悟ったような一言に、うるせー……、と抵抗するのが精いっぱいだった。
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