感情を解剖するシリーズ14:『祝福』とは、世界の見え方が変わること
当初、『罪悪感』について考えるために読み返したはずだった。
しかし、カミュの『異邦人』から受け取ったものは、まったく別の場所にあった。
私の目に映ったのは、「祝福」という言葉だった。
♤祝福とは、自己のゲシュタルト崩壊である
人を殺した罪によって、斬首刑を言い渡された男。
刑を宣告された直後、彼を支配したのは死への恐怖だった。
歯をカチカチと鳴らし、独房の毛布の中で身体を縮める。
彼の頭を満たしていたのは、迫りくる夜明けへの恐怖と、上訴するべきかという迷いだけだった。
『恐怖』
その感情だけが、彼の世界のすべてになっていた。
しかし、ある瞬間から彼の抽象度が上がった。
<<補足:抽象度が上がるとは、
例えば、「もっとお金が欲しい」と考えている人がいる。
その人は、お金を得るためなら、やりたくない仕事や苦しいことも「仕方がない」と受け入れてしまうかもしれない。
しかし、そこで一つ視点を上げて考える。
「なぜ、自分はそんなにもお金を欲しているのだろうか?」と。
すると、お金そのものが目的なのではなく、その先にあるものが見えてくる。
家族を安心させたい。大切な人と穏やかな時間を過ごしたい。愛する人が朝、元気に目を覚ますことこそが幸福なのだと気づく。
お金という手段だけを見ていた状態から、その奥にある本当の目的へ視点が移る。
それが抽象度が上がるということ>>
死を目前にしたことで、彼は「生きる」とは何なのかを考え始める。
自分は、他の人より先に死ぬ。
それは変えようのない事実だった。
しかし、人生の価値は本当に長さによって決まるのだろうか。
三十歳で死ぬことは、七十歳で死ぬことより不幸なのだろうか。
生後三ヶ月の命が失われることは、不幸なのだろうか。
誰にも愛されず、誰にも必要とされないまま長く生きることは、本当に「生を全うした」と言えるのだろうか。
幸せも不幸も、出来事そのものに最初から備わっているものではない。
私たちが後から意味を与え、その意味によって感情を生み出している。
そう考えたとき、彼は死を受け入れる。
助かるという希望も、救われるという期待も手放した。
未来への執着を空にしたとき、初めて彼は世界そのものに心を開くことができた。
そして最後の日。
彼は、自分を取り囲む大勢の見物人たちを見る。
そこにある憎悪も、好奇心も、嘲笑も。
そのすべてを否定することなく受け入れる。
そして彼は、彼らへ祝福を向ける。
なぜ、死を目前にした男が他者へ祝福を与えることができたのか。
それは、彼自身の世界の見え方が変わったからではないだろうか。
人は、自分が当然だと思っていた世界の形が崩れたとき、大きく揺さぶられる。
死とは、その人が持っていた価値観や固定観念を崩壊させるきっかけになる。
イエス・キリストもまた、十字架によって既存の世界から切り離され、その死を境に人々の世界認識を変化させる存在となった。
そして、その姿を目にした人々もまた、以前とは異なる自分へ変化していった。
これは、小説の世界でも起こる。
私たちが物語を読んで涙を流すのは、ただ情報を受け取っているからではない。
物語の世界に自分自身を置き、その出来事を追体験しているからだ。
だからこそ、『異邦人』の男の死を見届けた読者もまた、彼の変化に触れることで、自分の中にある価値観を揺さぶられる。
祝福とは、何かを与えられることだけではない。
自分が当たり前だと思っていた世界の形が崩れ、新しい世界の見方を得ること。
その瞬間、人は以前の自分から生まれ変わる。
そして、生まれ変わった者は、初めて他者を以前とは違う存在として見ることができるのではないだろうか。
その先に、他者を慈しむ感情が生まれるのだろうと思う。




