エッセイ**トモダチコレクションで自分の登場人物を作ってみた
新しい取り組みとして、『トモダチコレクション』で自作小説の登場人物たちを作って遊んでみた。
自分は昔からJRPGが好きで、『どうぶつの森』のようなスローライフゲームはどちらかといえば苦手だった。
けれど実際に触ってみると、意外なほど楽しめた。
特に面白かったのが、登場人物を「アバター」という具体的な形に落とし込む作業だった。
顔つきや服装、口調のような視覚的・聴覚的な情報は、その人物の性格や属性を読者へ直感的に伝える。
少しゲーム音楽に似ていると思う。砂漠のステージではアラブ風の旋律が流れ、雪原では雪が静かに降るような音色が流れる。
そうした演出は、説明よりも早く「この世界らしさ」を感じさせる。
キャラクターも同じで、細部を具体化することで、ぼんやりしていた輪郭が急に立ち上がってくる。今回の体験ではそこからいくつもの発見があった。
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:人格は「核」ではなく、「関係性」で変わるのかもしれない
自分は昔から、キャラクターに強すぎる属性を与えるのが少し苦手だった。
属性を固めすぎると、物語の流れよりも「キャラらしさ」が優先されてしまう気がしていたからだ。だから普段は、意識的に輪郭を曖昧にしていた部分がある。
しかし、実際にアバターを作り、彼らの何気ない台詞を考えてみると、それが想像以上に面白かった。
『トモダチコレクション』では、
* 行動(ゆっくり ↔ きびきび)
* 言葉(やんわり ↔ キッパリ)
* 表情(クール ↔ ゆたか)
* 考え方(まじめ ↔ お気楽)
* 個性(常識人 ↔ 個性的)
といった項目を8段階で設定できる。
この作業をしていて興味深かったのが、「人間の性格とは何を基準に決めればいいのか」という問題だった。
腹の内を見せない人物の場合、普段表に出している振る舞いを基準にするべきなのか。それとも、本人が隠したがっている部分こそ、本質として設定すべきなのか。
どちらにポイントを振るべきか考えるだけでも、新しい視点が得られた。
そして考えているうちに、そもそも人間には「核となる自分」など存在しないのではないか、と思うようになった。
人は他人に自己紹介するとき、状況に応じて「今重要な属性」を並べ替えているだけなのかもしれない。
仕事なら、
「○○会社に勤めていて、○○部署所属で、○○大学出身で……」
という情報を語る。
だが趣味の場なら、
「○○作家が好きで、このジャンルを読んできて……」
という話になる。
つまり人格とは固定された核ではなく、関係性によって浮かび上がる網の目のようなものなのではないか。
仕事では言えない本音を、酒の席で打ち明ける人もいる。
けれど、「会社人としての自分」が嘘で、「酒の席の自分」だけが本音なのかと言われると、たぶんそうではない。
たとえば会議の場で、
「この案で進めるべきです」と発言する人間がいる。
内心では別案の方が魅力的だと思っていたとしても、組織全体の事情や責任、納期、人員配置まで含めて考えた結果、その判断を“正しい”と理解している場合がある。
それは単なる偽りではなく、その場における役割を引き受けたうえでの本心だ。
一方で、酒の席になって、
「本当はお前の案の方が好きだった」
と漏らすこともある。
そこでは、効率や責任ではなく、「個人として何に惹かれたか」が優先されている。
つまり人間は、場面ごとに嘘をついているというより、関係性ごとに“どの価値基準を前面に出すか”が変わっているのではないか。
仕事相手の前では、「組織の中の自分」が前に出る。友人の前では、「趣味を共有する自分」が前に出る。家族の前では、「弱さを見せる自分」が前に出る。
人格とは、ひとつの核からすべてが生えているというより、状況によって照らされる面が変わる立体物に近い。
だから、自分の登場人物を考えるときも、「この人物の本当の性格は何か」を決めるより、
“誰の前で、どの面を見せる人間なのか”
を考える方が、むしろ自然なのかもしれない。
そう考えると、『トモダチコレクション』の中で登場人物たちがどう振る舞うか、誰にどんな顔を見せるのかを観察すること自体が、キャラクター理解に繋がっていく。
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:「会話」は内容よりも、関係性によって意味が変わる
もう一つ面白かったのが、登場人物同士の会話だった。
『トモダチコレクション』では、アバターたちに好きな言葉を覚えさせることができる。自分はそこに、小説の設定やキャラクターらしい台詞を大量に入れて遊んでいた。
すると、当然ながら「そのキャラクターらしい反応」を見せることもある。それを見るのは単純に楽しいし、愛着も湧く。
しかし、それ以上に興味深かったのは、「拒否する反応」が出たときだった。
本来なら好きな話題のはずなのに、なぜその相手には冷たい反応を返したのか。
最初は単純に「解釈違いだぁ」と嘆いていた。だが、そこから一歩踏み込んで考えると、意外な発見があった。
タイミングが悪かったのかもしれない。関係性によっては、自慢や嫌味に聞こえたのかもしれない。
逆に、苦手な話題なのに楽しそうに会話していることもある。
なぜその空気になったのか。なぜ相手によって受け取り方が変わるのか。
そうしたことを考えるのは、創作においてかなり良い訓練だった。
キャラクターの「好き嫌い」は固定された設定ではなく、相手との距離感や空気によって揺れ動く。その当たり前のことを、ゲームを通して改めて実感した気がする。
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:振り返り
登場人物を一度、具象に落とし込み、観察してみる。
ただ設定を整理するのではなく、どんな場面でどんな顔を見せ、誰にどんな言葉を選ぶのかまで考えてみる。
それだけで、ぼんやりとしていたキャラクターたちが、不思議なほど生き物らしく動き始めた。
人格とは固定された核ではなく、関係性によって浮かび上がる側面の集まりなのかもしれない。
だからこそ、アバターとして形を与え、会話させ、反応を観察することで、作者自身も知らなかった一面が見えてくる。
思っていた以上に学びが多かったので、新しい創作の取り組みとして記録しておこうと思う。




