第七回
タイトルについて
原作と内容を改変したのにともなってタイトルも変えた。
「二賈」とは賈璉および賈蓉を指す。対句表現に改めたがなにぶん素養がないのでこれでうまくいったかは怪しい。
①焦大の場面:翻案
この場面は私が付け加えた。のちに焦大が登場するとき、秦鐘を連れて行く役に任じられるのがあまりにも唐突すぎるため、尤氏の侍女に不満を言っているところを目撃されたことにしている。また、焦大が漏らす不満があまりにも大きいような気がしたので、賈演を助ける際に指を失ったこととし、釣り合いをとった。彼の登場を冒頭におくのも唐突のような気がするが、前話の劉ばあさんが門から出て行き、焦大の門前の場面から始めるという苦しいつながりでどうにか話をつなげるという姑息な手段を取った。
②冒頭の香菱の描写;訳出の変更、解釈
昔、女の子は頭頂部を残し、長じるにつれ髪を伸ばし始める習慣があった。これを「留頭」と言う。岩波の新訳では、“髪を伸ばし始めた”となっているが香菱の年齢から考えて「髪を結い始めた」とあらためた。
香菱がここに配置されているのは、彼女が将来的に“情理の成熟した”女性として長じるからだと思われる。金釧児と一緒に遊んでいる描写があるのは何かの対比か、香菱と同列として扱われる何かがあるのかとも思うが今のところ判別できていない。いずれにせよ香菱が唯一の金陵十二釵副冊として配されるのは故有ることであり、他の女性を副冊、副又冊として勝手に定めるのは、早計に過ぎると思っている「髪がまだ生えそろっていない」のはまだ成熟する余地があることの暗喩かもしれない。
③薛宝釵(と鶯児)が下絵を描いている場面:考察
この下絵の場面から薛宝釵が花飾りの製作にかかわっている可能性は高いと思う。翻案ではそれに入れ込みすぎたため病を得たこととし、薛家が宮廷に卸している設定とした。それほど無理はない設定かと思う。
④周のおかみが宝玉のせいで薛宝釵の足が遠のいたのではないかと推測する場面:考察
私はここに家人に人気のある宝釵に媚びる周のおかみの姿勢を感じた。ここに限らず周のおかみは権威の強い人物に媚びる側面が多い。弱い人間は徹底的にけなす。あるいは無視する。
⑤薛のおばさまが花飾りを分ける場面:脂評1、考察
妙文なり。古今これほどの口ぶりのものはない。
着目すべきはそれぞれの数量である。薛のおばさまは見かけ上、三春の姉妹に表面上は敬意をはらっているが名前では呼ばない(心中の敬意は高くない)。花飾りをセットで渡す。林黛玉には姑娘呼びをし、少し離れた呼び方であり、花飾りも二本しか渡さない。王熙鳳には幼名で親しみを出し、四本の髪飾りを渡す(一番の特別扱いだがどういう形で四本渡すのか指示しない)。ここで薛のおばさまの疎漏な部分が露呈する。第一に、後述のとおり形式的にも今の三春の序列は高くない。賈母に寵愛を受けているのは黛玉なのだが、以前のままの序列で三春にセットのものを渡すことを指示する。第二に残りの花飾りをどう分配するのかを指示しない。後の黛玉の発言から推測すれば髪飾りはあと二つセットがあり、二つの余りがある(また、二つセットがある状況でなければ王熙鳳が秦氏に贈答するはずがない)。この結果、混乱が生じることになる。
⑥道筋どおりに進む周のおかみ:考察
本来であれば周のおかみは王熙鳳にまず指示をあおぎ、分配を相談するべきだった。そのためトラブルが生じるきっかけとなった。
⑦見事な名づけである。賈家四釵(=四春)の侍女は、琴、棋、書、画の四字をあてがわれている。この四字は文人の愉しみであるこの四字をあてがわれている:脂評2
⑧「司棋」といい、「侍書」といい、「入画」といい、後の文章で「抱琴」が加えられている。琴・棋・書・画の四つの字だけではきわめてありふれて俗っぽいが、その上に一つ虚辞(補助的な文字)を添えると、たちまち新鮮で雅趣を帯びてくる。脂評3
⑨迎春と探春の囲碁:考察
この二人が世俗のなかであがこうとすることの示唆かと思われる。(それぞれ白黒、陰陽に座す)
⑩周のおかみに立ちあがって礼を言う迎春と探春:考察・翻案
ここも含みがありそう(三春の地位低下)だったが、花飾りが対であることの必要性と迎春、探春の性格を描くことを優先して省略した。
⑪頑要の訳:翻訳
岩波新訳では遊ぶとしていたが、つながりと古語の語意を優先して「談笑する」と訳出した。
⑫智能(尼僧)と話す惜春:考察
前述の二人と異なり、後に世俗を捨て出家するための伏線である。寧国府に住む彼女は賈府が斜陽にあることを理解していた。また本回の寧府の腐敗という主旋律の一要素もなしている。
⑬この花をどこに挿したらいいのかしら:考察
栄華を受けないという惜春の決意とも取れる。
⑭庵主(原文:師父);翻訳
智能の上役にあたるが人間の代名詞だが師父とすると男性のイメージが強く、宗教色が薄まるのであらためた。
⑮つるっぱげのくそ婆(原語:禿歪拉):翻訳
頭の薄い人に対する罵倒語であり、女性に対する罵倒語である。岩波新訳では禿のやくざ者となっていたが、男性と錯覚する可能性があるため改めた。
⑯十五日はもう過ぎているでしょ(原語:十五的月例香供銀子):翻訳
十五日の月ぎめのというの寄進のお金というのが直訳だろうが、日本語のつながりを考えてあらためた。周のおかみが智能らに高圧的なのも賈家の水月庵への寄進の割が大きいため。
⑰于老爺も庵主もことごとく愚人である:脂評4
⑱智能が金を受け取ったかどうかについて知らないと答える場面:脂評5
妙なことだな。年若い尼僧できちんとした仕事が決まっていないとはいえ。あらゆる布施や供物に対する悪事は庵主の行ったことである。(脂評の取り方によっては智能も悪事の片棒をかついでいるとみれないこともないが、翻案では分かりやすく智能はかかわっていないという前提にした。そうでなければ惜春が彼女と同席した場で悪事について詳らかにするはずがない。
⑲余信:脂評6
明らかに愚性の二字である。
⑳智能とおしゃべりに興じた後で:考察
智能と話していた惜春の話し相手を盗ったばかりでなく、惜春を無視するという周のおかみの惜春への軽視、および三春が賈府内で地位が失墜していることの暗示ともとれる。
㉑李紈の部屋の裏窓:考察
これはチャットGTPから示唆をうけたのだが、上記と同じく寝室の場所から賈珠を亡くした後の李紈の失墜の程度がうかがえる。続く王熙鳳の描写との対比ともなっている。
㉒豊児が手を振る;考察
王熙鳳が房事に興じていることを示す。そのため、豊児が来ちゃだめと合図をしている。
㉓私が以前から所蔵している、仇十洲の『幽窓に鶯を聴く暗春の図』――その構想も筆の運びも、すでに比類のないものだ。
いまこの阿鳳が模写したものを見てみると、どうにも筆致が硬直していて、画工としての出来はあまりに平板に思われる:脂評7、考察
王熙鳳が閨房のことに通じないことを指すと思われる。賈璉の笑い声が聞こえるという描写からも、単に性技を指すのではなく、王熙鳳に情の不足があることを指しているのだろう。
㉔豊児から一連の描写:「何と奇抜で妙なる文章、妙なる着想であろう!
阿鳳(王熙鳳)の人柄というものは、どうして『風月』の二文字(男女の情趣や艶事)に心を留めずにいられようか。
もしこれをあからさまな筆で直截に書いてしまえば、阿鳳の名声を唐突に貶めるだけでなく、また文章としての妙味も失われてしまうだろう。
しかし、もし一切書かずに済ますのなら、それも決して許されない。
だからここでは、いわゆる『柳に鸚鵡の語を隠して初めて分かる』手法を用い、ほんのりと一刷毛だけ皴染(しゅんせん:ぼかしを入れること)した。
こうすることで、文章には隠微が生まれ、同時に阿鳳の気高く颯爽たる気風と品格をも汚さずに済むのだ。
これこそ、この書に一つとして妙ならぬところはない、という所以である。」:脂評8
㉓「もう一人の姐兒、鳳の姐兒もまだお昼寝のようね。あちらは寝すぎのようだからもうそろそろ起こしてあげたら?」
おじょうちゃんではなく、若奥さまとなっているテキストもあるらしいが、ここでは周のおかみが王熙鳳らのいないことをいいことに皮肉っているという方が正しいだろう。
㉔あなた様は、“また”こちらにやってきたのね。何のご用かしら?:翻訳
原文:「你老人家又跑了來作什麼?」、平児の台詞、周姐姐と呼んでいた彼女としては他人行儀で、“又”にも皮肉が混じっている。翻案ではこの文章からさらに昼寝の部分を追加してさらに皮肉を言わせた。“真”の理の立場にいる彼女が、“仮”の理である周のおかみを喝破している証左である。
㉕平児および王熙鳳の花飾りの分け方。:考察
二セットある(であろう)花飾りの一方を秦氏に渡すのは、彼女らが理の人間であると同時に、その限界も表していると思う。
㉖周のおかみが引き回される場面:脂評9
忙しい中にも忙しさが重なる。~
㉗周のおかみと娘の会話:脂評10 考察
このようなことは寧・栄両府では日常茶飯事である。だが、このようなことを書いていないで花を配る描写に徹すればすぐにつまらないものになってしまうだろう。これこそが“石頭記”の筆致の妙である。(実はこの娘の言も嘘だとのちに分かる。原因は酒の口論ではない)
㉘九連環:考察
宝玉と黛玉の間柄が解けない、離れられないことの寓意か。ほどけてしまえばばらばらになってもとに戻せないという性質もある。
㉙宝玉の部屋で黛玉が九連環で遊ぶ場面:脂評10、考察
妙の極みである。このとき宝玉と黛玉は離されているのだ。
もう二人が子どもでないこと、次回のように黛玉に性愛の芽生えが出てくることのあらわれか。
㉙もう分かったわ。不ぞろいのものを他の人たちは選ばない、それって私には何もやらないってことよね:翻訳、考察
ここの訳出は非常に難しかった。原文は「我就知道,別人不挑剩下的,也不給我」岩波訳では「分かってるわ。他の方が選び残したお余りでないと、わたしには回って来ないのよね」。直訳すれば「もちろん分かってる。他の人は余りなんて受け取らない、私になんてあげないわ」ただここで留意しなければならないのは黛玉が箱の中をのぞいて気づいた、ということ。三春の花飾りは一対になっていた。王熙鳳は六本のなかから四本を選び二本を秦氏に送った。贈答用のものを不足のものにするはずがないと考えると、その四本も二対であったと考えられる。そのため、黛玉の本意としては、「不ぞろいのものを他の人たちは選ばない、(ということは他の方のものは対になっていたってことでしょ。私のものは対じゃないじゃない)それって私には何もやらないってことよね」と言うことだと思われる。補ってもよかったが黛玉の面倒くささを表現したかったため、のちに絶対に言い訳のつかない季節の違う花飾りという部分を補って、もとの台詞はあえて飛躍のあるかたちを残した。
㉚宝玉が宝釵を見舞おうとする台詞:考察
この時点では宝玉はまだ学堂には行っていない。あからさまな嘘をつくのは黛玉に対する媚(“仮”の情)だと思われる。このままだと宝釵を侮辱するような見舞いの仕方をすることになる。そのため茜雪は自分が立候補せざるをえなかった。
㉛茜雪、薛家へ:考察
ここで“理”の側にいる(かつ宝玉の妾のような立場の)襲人が薛家に向かえば宝玉の言葉をそのまま伝えてしまうかもしれない。原作でも宝釵が屈託なく宝玉を迎えていることを考えると、学堂のくだりを言わなかったかうまくごまかしたのだろう。平児が理の人間の完成形だとすれば茜雪は情の人間の完成形の位置にあると思われる。また同じ情でも自分にしか意識が向いていない黛玉、“仮”の情である宝玉との対比となる。脂評によれば茜雪は宝玉に光を与える存在となるらしい。
㉜紫鵑改名:翻案
鸚哥から紫鵑への改名の場面はどうにか葬花吟のエピソードまでにしあげておきたかった。ほととぎすは血を吐いて死ぬ。役割を反復するだけの鸚哥から紫鵑という自らの意思で主人に殉ずる侍女への変貌としてエピソードを追加した。
㉝宝釵と茜雪:翻案
完璧な人間に見える宝釵だが、誰に、どのような花飾りを送るかまでは想定していない。情の欠落している部分だと思われる。その宝釵に対して完璧な情の施し方をするような演出をしたかった。うまく仕上がったのかどうか定かではない。平児にせよ、宝釵にせよ理の側の人間は紅楼夢において情を表出しない。ここに鶯児がいてくれて助かった。原作者の配置の妙だと思う。
㉞賈蓉と王熙鳳:翻案
作者があえて欠した箇所だけにどのように書くかは迷った。ただ王熙鳳と秦氏、王熙鳳と賈蓉との関係からみて、陥れようという意志はなかったと思いたかった。「風月のこと」には疎い王熙鳳のため、ここでの失敗は悪くなかろうと思う。最後に焦大をおいて後の伏線とした。周瑞的家人の娘婿は冷子興としてすすめることにする。
㉞賈蓉と王熙鳳:翻案
作者があえて欠した箇所だけにどのように書くかは迷った。ただ王熙鳳と秦氏、王熙鳳と賈蓉との関係からみて、陥れようという意志はなかったと思いたかった。「風月のこと」には疎い王熙鳳のため、ここでの失敗は悪くなかろうと思う。最後に焦大をおいて後の伏線とした。周瑞的家人の娘婿は冷子興としてすすめることにする。
㉟花を贈る場面について:脂評12
私は花を送る回を読んだとき、薛姨媽が「宝丫頭(宝釵)はこういった花やおしろいのような飾り物を好まない」と語る。それを見て、これはまさに宝釵を中心とした「正伝」であると思った。
しかし、次に鳳姐(阿鳳)と惜春のくだりが出てくると、今度はこれは阿鳳を中心とした正伝であろうと感じる。
さらに今また黛玉(阿顰)の章になると、その生まれついての性質が骨の髄からまで描かれていて、やはりこれは黛玉の正伝なのだと知らされる。
このように、小説の中には、一本の筆致が二筆三筆にも及ぶことはある。
一つの出来事が、二つ三つの別の事柄を引き出すこともある。
だが、『紅楼夢』のように、それがまるで恒河の砂の数ほどに及ぶような、無数の筆運びによってなされる作品は、かつてなかったのである。
㊱尤氏と王熙鳳が冗談を言い合う部分
原作のここやり取りはやや不自然だった。王熙鳳のみがここに来た理由が薄いための違和感を表現するためかと思われる。
㊲王熙鳳の寧府でのふるまいについて:脂評13
ここで王熙鳳が奔放に振舞うのは後の伏線である。
㊳秦鐘と宝玉が出会う場面;脂評14
明らかに宝玉のことを書きたいはずなのに、熙鳳を中心としている。→筆法のことを言っているのかと思われる。
㊴秦鐘について:脂評14
たとえばこれを「情種」と言おう。
古詩に曰く:「未嫁にして先ず名を玉とし、来るときは本姓秦なり(=嫁ぐ前から名は“玉”、来たときの姓は“秦”)」と。
この二句こそが、この書(=『紅楼夢』)の大綱=全体の要旨、大比托=大きなたとえ、大諷刺=最大の風刺の核心なのである。
㊵平児らが贈り物を用意する場面:脂評16
一人として強将(王熙鳳)のもとに弱卒はいないのだ。
㊶秦鐘と宝玉の内心:脂評18、翻訳、考察、
また作者は読者を騙そうとしている!
本来A(宝玉)とB(秦鐘)二者の内面を描くと拙くなることが多い。この達者な作者がなぜそれをしたかについて着目した。
宝玉と秦鐘は知音(通じ合っている)しているようで、知音していない。
宝玉の気持ちは真情であるが、秦鐘の本質を見抜いておらず、秦鐘は宝玉の上皮(裕福な部分)だけを見て、宝玉そのものを見ていない。宝玉のものは幻想であり、秦鐘のものは羨望であり、共鳴しているようで二人の感情はずれている。
何の書を読んでいるのかと問われた際、秦鐘が答えたのは「本当のこと」だとする。それが本当に「本当のこと」なのかは疑問が残るが、少なくとも熙鳳に答えたことと宝玉に答えたことが異なっているのは間違いない。秦鐘の不実さを暗に表している。
私は「宝玉がちやほやされている」と訳した。他訳では「溺愛されている」となっている。前者では秦鐘が宝玉の上皮しか見ていないことになり、後者は宝玉の内面まで考察していることになる。「溺愛」をどう訳すかだが、日本語のニュアンスとしては「ちやほや」が適当なのではないかと思いそう訳出した。
周礼という儒学にとって基礎的でないもの、宝玉の埒外にあるものをもってくることによって、秦鐘の見栄の表現とした
㊷栄府も忙しそうなので~と秦鐘が語るシーン。
ここも欺瞞の可能性が高かったためあえて誇張した。
㊸焦大のモノローグ
演出のために追加した。
㊹尤氏の言い方
敬の老爺さまも、珍のお兄さまも取り合わないという言い訳を用意したのち、焦大は忠臣である(おそらくここが尤氏の葛藤)と述べ、責任を管事に帰属するというちぐはぐなことをやっている。それを熙鳳が指摘するのもやむをえない。
㊺王熙鳳が尤氏および寧府を弾劾するシーン:脂評19
ここは寧国府を管理する伏線である。
㊼頼二という名前:脂評20
栄府であれば頼大にあたる。あえて交差させたのが妙技である!
㊽鶏~灰の上を這う:解説
本文で言及それぞれ乱倫が横行していること、密通の隠語
㊾賈蓉の怒り:翻案
何の脈絡もなく怒るのは変なので、焦大を説得→焦大が侮辱→賈蓉怒るの順に改変した。




