第9話:取り戻した記憶
「────はッ……!!」
境界すら無い白き空間で、ドレイクは目を覚ました。
自身の胸を確認するが、やはり傷跡はない。だが、じゅくじゅくとした熱い痛みが、まるで幻影のように燻っている。
そして、ドレイクは思い出した。
自分が……戦いに敗れて死んだことを。
「ふぅ……うぐ……ううぅぅッ!」
胸を力任せに掴み、ドレイクはその場で泣き崩れた。そんなドレイクの頭に、重厚な声が語りかけてくる。
『どうやら、全てを思い出したようだな』
不得手と言った記憶の操作が上手くいったことに、タイロスの声もそこはかとなく満足げだ。
一方で、ドレイクはその声に気づくこともなく、ただただ懺悔の言葉を繰り返していた。
「うぁああ!! ごめんッ……ごめんよミレイア……ぼくは……ぼくはッ──」
幸せな未来が、すぐそこまで迫ってきていた。
絶望の日々を耐え忍び、やっと見えた希望……だが、ドレイクは妹を遺して死んだ。
それが、ミレイアにとってどれほど残酷なことか。
それが分かっているからこそ、ドレイクは妹に詫び続けた。
『妹のミレイアがそんなに気掛かりか? それなら心配の必要はない』
「……え?」
二人を束縛していた借金はもうない。そして、ミレイアのそばには親友のモーガンがいる。
モーガンならきっと、悲しみに暮れるミレイアを支えてくれるはず。
……そう考え、ドレイクは涙を流しながらも少しだけ落ち着きを取り戻した。
だが──
『ミレイアは既に死んでいる。現世にいない者の心配をする必要はない』
タイロスの言葉に、ドレイクは首を傾げ、ゆっくりと顔を上げた。
その眼は虚で、流れ出ていた涙も止まっている。
「いま……なんて……?」
『ミレイアは死んだ。貴様の死体が燃やされた後すぐにな』
最愛の妹が死んだ。
神から告げられた残酷な事実に、ドレイクの表情が歪んでいく。そして、現実逃避をするように笑い始めた。
だが、時間が経つほどに……その薄ら笑いが消えていく。
「はは……嘘だ……なんで……なんでミレイアが死ななくちゃならないんだッ!!」
目を見開き、激昂するドレイクの身体からは、赤黒い瘴気が溢れ始めていた。
「だれがッ……だれがミレイアを!? よくも……よくもぼくの妹をッ──!!」
ドレイクから溢れ出る瘴気が白い空間を侵食していく。
『狂おしいほどの殺意よ。その力を解放していれば、無様にやられることもなかっただろうに。いや……だからこそ、こうして貴様と我は邂逅しているのだがな』
ドレイクから溢れ出る瘴気は殺意。
殺意を褒め称えるタイロスだが、その殺意が徐々に薄れていく。
「なんで……どうして……あんなに優しい子が死ななくちゃいけないんだ……」
『……この期に及んで、まだ殺意を抑えることができるのか』
タイロスの声には、困惑と落胆……そして驚嘆が込められていた。
最愛の妹の死を知ってもなお、ドレイクは殺意に蝕まれることがない。
戦いを生業とする者としては致命的な弱点。だが、それこそがタイロスの求めし人材だった。
『なにか勘違いしているようだな。ドレイク……妹を殺したのは貴様だ』
「……」
うずくまるドレイクだったが、再び顔を上げてゆっくりと立ち上がった。
そして、再びドレイクの身体から殺意が溢れ始める。
「ぼくが、ミレイアを? ……ふざけるな。なんでぼくがミレイアを!!」
『ミレイアは貴様という存在を糧に生きてきた。貴様と自由になるという希望を胸に抱いてな。だが、闘技場から出てきたのは死体となった兄の姿……ミレイアの絶望はどれほどのものだったのだろうな』
「あ……ぁ……」
『ミレイアは貴様が奴隷となることで生かされた存在。貴様に対して、大きな罪悪感を抱いていたはず。貴様が戦いで死んだ後も、のうのうと生きていられると思うか?』
「そんな……じゃあミレイアは……自分で命を……」
『そうさせたのは貴様だ。貴様は勝たねばならなかった。貴様の甘さが──妹を殺したのだ』
その言葉が、ドレイクへのトドメとなった。
殺意は消え去り、ドレイクは力無くその場に座り込んだ。
その表情に熱はなく、ぶつぶつと妹の名を呟いている。
『──妹を、蘇らせたくはないか?』
「……え?」
この質問に、もはや意味はなかった。
答えは決まっているのだから。
全ての条件は整った。
いまこの時より、腐敗を極めたロヴァニア帝国は────生まれ変わるのだ。
『奴隷の戦士ドレイクよ、今一度問おう。貴様──我に雇われる気はないか?』