第7話:負けられない戦い
鉄の扉が軋みをあげて開く。
アッシュゲートの薄暗い通路に、わずかに光が差し込んだ。
石畳に響く足音は、地獄へと誘う招き声のように反響を繰り返す。その音が、歩を進めることを躊躇させる。
だが、今日はいつもと違う。
通路を進むドレイクの足取りは、いつになく軽かった。
ドレイクとミレイアの兄妹が背負わされた借金は、全て返済した。
あとはこのエボル闘技場のルールに則り、勝利を重ね鉄輪を外すだけ。
その先に待つのは、モーガンを含めた三人の幸せな未来。
(……いつもと、風景が違って見えるなぁ)
闘技場へと続くこの通路を、ドレイクは幾度となく歩いてきた。灰の檻の名の通り、無機質で冷たい、この通路を。
しかし、今日は全てが色付いて見える。
壁も、石畳も、徐々に強くなる外の光も……そして、自分の武器である剣さえも。
(ふふ、なんでかな。今日は……きみが頼もしく見えるよ)
お世辞にも上等とはいえない剣。刃こぼれはしているし、切れ味に関してはナマクラと評するのが妥当だろう。
(到底、人を斬ることなんてできない剣。でも……ぼくはそれでいいんだ)
人を殺すことができない剣──そんな相棒に頼もしさを覚えたドレイクは、柄を強く握りしめて歩みを早めた。
観客のざわめきが聞こえる。
声援もあれば、聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられたこともあった。
かつては、罵声を浴びるたびに身体が震えた。心が軋み、足がすくんだこともあった。
それでもドレイクが闘技場で戦い続けられたのは、妹・ミレイアへの想いが恐怖を上回ったからだ。
そして今、その想いは最高潮に達している。
ドレイクに嵌められた鉄輪の数は四つ。だが、鉄輪の重みなど微塵も感じない。
(モーガンも言ってたじゃないか。そうだ……ぼくは強い。誰が相手だろうと、絶対に勝ってみせる。鉄輪を全部外して、ここを出るんだッ)
通路の先、眩い光が口を開けていた。ドレイクは顔を上げ、陽光の中へと足を踏み出す。
鉄の門をくぐる瞬間、ドレイクの影が光りの中へと溶けていった────。
☆
────光が視界を白く焼いた。
乾いた風が頬をなぞり、砂の匂いが肺に満ちる。
地鳴りのようなどよめきが、四方を包む。ざわめく数千の声が観客席から湧き上がり、一つの波となってドレイクの身体を打った。
(……いつもより盛り上がってるなぁ)
闘技場に満ちた異様な『熱』に、ドレイクは違和感を覚えた。
今から行われるのは、奴隷同士の決闘。戦いという極限の場において、その空気に当てられた傍観者が興奮するのも理解できる。
だが、何かが違っていた。
観客から感じる熱は、肌を切り裂くような、心を蝕むような不快な熱だった。
『狂気』とでも言うべき負の感情……それはまるで、観客がドレイクの死を望んでいるかのように。
(な……なんだ……?)
ドレイクは、自分に向けられるこの感情を知っていた。
それは戦いの中で、幾度となく対戦相手から向けられた感情。
そんなものが本当にあるのかは分からない。
だが、ドレイクは幼少の頃からその感情を敏感に感じ取ることができた。
死を願う心。害そうという心。
それは俗に……『殺意』と呼ばれる感情。
自分に向けられる殺意に気づいたドレイクは、狼狽えながらも辺りを見回した。
かつて、観客にここまで殺意を向けられたことはない。
全ての人間が自分の死を望んで……いや、期待している。
今まで以上に膨れ上がった観客のどよめきに、ドレイクは慌てたように視線を下げた。
ドレイクの視線の先……対戦相手が門から姿を現したのだ。
「……え?」
ドレイクは悟った。
なぜ観客が死を期待しているのか、その理由を。
現れたドレイクの対戦相手……その四肢には、ドレイクと同じく四つの鉄輪が嵌められていた。
今日──この戦いに敗れた者の【死】が確定する。