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一ノ瀬の射抜くような視線に怯み、呼吸すら忘れてしまいそうなほど。
すると一ノ瀬は、緩やかな曲線を描いた口から舌をベロッと出した。
「嘘。そんな事出来るわけないよ」
高校生の頃の一ノ瀬は至極真面目で、でもどこかくだけた感じの話のわかる奴……。
でも自らおどけるような事は、絶対にしない。
誰もが抱いているだろう、一ノ瀬像。
少なからずとも、外面だけなら私はそう思っていた。
「本気にした?」
そんな高校時代の一ノ瀬からは想像もつかない、突拍子もない動作と、悪戯をしてやったといった楽しそうな笑顔。
してやられたと思う悔しさ半分、こんな風に悪戯っぽく接する事が出来るんだという思いが半分。
子供っぽい、もう一つの一ノ瀬を見た気がした、そんなお得感が一握り。
「一ノ瀬は……私をからかってるの?」
「少しだけ。昔出来なかった事を、桜井にしてみたかったんだ」
「昔出来なかった事って?」
またわけのわからない事を言う一ノ瀬は私の腕から手を離し、手を繋いできた。
「こんな事」
一ノ瀬の強引な行動に私は再び怒りを覚えるが、それは小さな炎に水をかけたように一瞬で音を立てて消えてしまった。
変わりに芽生えたのは、戸惑う気持ち。
「今日の一ノ瀬……変」
「どこら辺が?」
「こんな事するから」
私は繋がれた手を持ち上げ、一ノ瀬の妙な行動を主張した。
それを見た一ノ瀬の横顔は微笑んでいて、私の手を強く握り返してきた。
街灯が照らす一ノ瀬の姿。
闇に溶け込んでしまいそうな黒髪は艶やかで。女の私から見ても、十分過ぎるほどの色気を纏っていた。
「祭り囃子が聞こえる……、どこかで祭りでもやってるのかな」
私の問いには答えようとはせず、星が瞬く夜空を少し見上げながら独り言のようにソッと呟いた。
どこか遠くでテンポの良い太鼓の音と、小気味良い笛の高い音色が重なって聞こえてくる。
夏だなぁ、なんて考えていると互いに無言になり、何も喋らなくなる。
祭り囃子に気を取られて、私は一ノ瀬の返事なんて気にならなくなっていった。
ただひたすら、駅までの道を月のない星が輝く空に見守られながら、私達は歩いて行った。
ここらでは唯一の繁華街を抜け、ひっそりとした駅に着く。
「俺の家で飲み直さない?」
耳を澄まして祭りの音を聞いていると、突然言われたそのセリフ。
「はい?……一ノ瀬の……家?」
「そう、ここらで飲んでたら、誰かに邪魔されるかもしれないし」
確かに。
もし誰かに見つかりでもしたら、からかわれるのは必至。
それだけは避けたい。
ただでさえ、明日は由美と電話で格闘しなければならないのに。
「良いよ、一ノ瀬の家に行く」
「じゃあ、電車降りたらコンビニで飲み物とツマミでも買って行こっか」
一ノ瀬の言葉に乗ったのに、目の前の昔懐かしのクラスメイトは少し複雑そうな顔をしながら券売機で2人分の切符を買った。
そして手を繋いだまま、私達は電車に乗り15分もの間、とりとめのない話をしていた。
7年振りに会ってから約3時間。
高校時代に抱いていた一ノ瀬に対しての嫌悪感が、不思議なくらい綺麗にどこかに吹き飛んでいた。
それは始めて見る一ノ瀬の行動や表情に人間味が溢れていて、次々に現われる見た事のない一ノ瀬をもっと見てみたいと思ってしまったから。
恋とはまた微妙に違う、自分でもよくわからない怖い物見たさなのか、興味本位なのか……そんな感覚に似ているのかもしれない。