エピローグ
涼やかな風の吹く秋の午後。
ソルヴェール領主館は、ひとつ前の季節の慌ただしさが幻だったように穏やかだ。
園庭の花々も鮮やかな原色から様変わりし、樹木は黄金の葉を揺らす。食卓は身の詰まった芋や南瓜に彩られ、敷地全体に満ち足りた気配が漂うようだった。
ダイニングでも、お茶の時間に合わせて供された南瓜のプディングが甘い香りを振り撒いている。
柔らかな日の差し込む長テーブルの上座で、グレンは夕刊を広げていた。
「――ラドフォード侯爵家の大醜聞。長年に渡る計画的な児童略取と殺害、実行役だった女中の告発と失踪で判明。共犯関係にあったと見られるロンサール伯爵家にも警邏隊保安部より捜査が入る。往診医としての顔を持っていたヴァレリス製薬工房のポール・ガラン研究員は巻き込まれ殺害されたと見られる、か……また収まりのいい話を作ったもんだな」
地下水道にあった女中の遺体は、保安部に所属するヴァレリスの息のかかった者らによって内々に処理された。関係者に顔を知られている以上、大っぴらに調べられてはカバーストーリーに綻びが出かねない。"長年の自責に押し潰され、新聞社に主家の悪事を暴露して逃げ出した小悪党"として、今後も永遠に裁かれず追跡もされぬ端役でいてもらうことになった。
ポール・ガランに関しては、後付けの診療資格を以て完全な被害者のポジションに落とし込んでいる。本意ではないが、ヴァレリス製薬工房の名声を汚さぬためだ。ポールの骸はモルグより引き取られ、今はソルヴェールの民間墓地に眠っている。
これでヴァレリス製薬工房は"優秀な一研究員を失い、身寄りのなかった彼を私費で手厚く弔った"という社会的評価を新たに獲得した。
「先代様のお抱えだった記者です。脚本の腕はまずまずでしょう?」
グレンの隣には、当然のようにレネの姿がある。
地下室での禁固を経て三ヵ月、ラドフォードの一件が明るみに出たことで「これ以上は動きたくても動けまい」と判断され釈放されたばかりだ。
ブランクを感じさせぬ手つきでカップ二杯分のお茶を淹れ、ひとつひとつ卓に供する。
「アルビン様、カラメルは苦くありません?」
「そのまま舐めると苦いですけど、口の中で混ざると美味しいです!」
夢中でプディングを掬っていたアルビンが顔を上げ、弾んだ声で答える。なんたってプディングを食べること自体が初めての体験だ。全身から喜びが放射されている。
幸い、二人に蟠りは残っていない。相変わらずアルビンはレネに懐いているし、レネはアルビンに甘い。
それは、グレンが「レネが裏で動かなきゃいけない理由を潰してくる」という約束を果たしたためでもあった。
「――本当によろしかったのですか、一言物申すこともできないままで」
「元々、直接お会いしたこともない方々です。今さら関わりを持っても僕には得るものがありませんし……第一、もう縁者とも言えない立場ですから」
サーブワゴンの隣に控えたラウルの問いに、応えるアルビンの声はさっぱりとしたものだ。己を苦しめた血縁者と対峙する機会を捨て、他人よりも遠い存在として切り離す。ラドフォード家の籍に入る可能性を完全に断ったからこそ至ることができた心持ちなのかもしれない。
今、アルビンはヴァレリス公爵家の籍に入っている。出生の隠匿が暴かれラドフォードの処断に巻き込まれる前に、グレンが手続きを済ませたのだ。
ほとぼりが冷めた頃に"突如現れたヴァレリスの次男坊は、ラドフォードの児童略取事件から間一髪で救い出された被害者だ"と噂が流れるだろう。
「アルビン様は聡明でいらっしゃいます。ここで振り返らずに進める人間はちょっとやそっとのことじゃ死にません。頼もしい限りです」
手ずからの復讐を諦めて、レネは笑っている。
ラドフォード侯爵家の未来は既に崖の下だ。侯爵と三人の令息は軍での役職を罷免され、現在はタウンハウスにて拘禁。領地の没収や爵位の返上どころか、家門の取り潰しまで叫ばれている。
共謀したロンサール伯爵家は早々に「すべてマチルダ夫人の独断」との声明を出し、当の夫人は実家へ逃れようとしたところを捕縛されて囚人塔へと収監された。
見苦しいのはサロンの客たちで、なんとか我が家だけは巻き添えになるまいと、連日躍起になってラドフォードとロンサールの悪行を糾弾している。
「早ければ暮れには処断が始まるでしょうね。まずはロンサール夫人、それからラドフォード家の三男アレックス様。サロンのメンバーからの証言もよく集まったことでしょう」
「そうだな……しかし、あー……そうか、もう暮れのことを考えはじめなきゃいけないのか」
「気が重そうですねぇグレン様」
「レネ、アルビン、君らも苦しめ。今年の暮れはシースリーユに君らを連れてくるよう言われてるんだ」
「え゛」
「な……っ、」
目下、グレンの頭痛の種はそのことだ。
アルビンを養子に迎える許可を求めにシースリーユまで赴いた折、エラルドはなんと二つ返事で事を了承した。揃えた書類の山を見ても嫌な顔ひとつ見せず、なんなら「子供の手にも馴染む筆記具が必要か」などと抜かしていた。
それだけならまだよかったのだが、なんと「今年の暮れには必ずアルビンとレネを連れてこい」と厳命を受けている。
「なんで断ってくれないんですか!」
「無理だろ。聞き入れなきゃ養子契約書にサインしない、と脅されるのは目に見えてた」
「絶対無事じゃ済みませんよ?! 僕とアルビン様が可愛くないんですか?!」
しがみつこうとしてレネがアルビンに近づくと、ラウルがそれを遮って壁になる。
向ける視線は不信感で満ちていた。
「なんだよぅ」
「アルビン様は私がお守りするから問題ない」
「なら僕も守ってよ」
「なんでお前まで守ってやらねばならんのだ」
険悪、というほどでもない。いつもより多少は激しいか、という程度だ。アルビンを挟むとレネとラウルは小競り合いがちで、今のように他の使用人の目もないとなればいくらでもキャンキャンやっている。
「お前には信用がない!」
「だからもう悪さしないって!」
「お前から悪さを取ったらなにが残るんだ!」
「残るよ多分! いろいろと!」
「具体的に言ってみろ!」
レネとラウルの子供っぽい応酬を楽しく眺めていたアルビンだが、やがてそっと席を立ってグレンの隣にやってきた。
春先に存在を認識し、三ヵ月以上かかってやっと顔を合わせる機会を得た矢先に殺されそうになっていた。なんとか生還したと思えばあの狸親父の心を掴んでいて、そして今はグレンの義弟になってしまった。神秘なる血をその身に宿した、不思議な子供。
「止めないのですか?」
「まあ……こういうのは嫌いじゃないからな」
「ふふ、僕もです」
葡萄色の瞳が笑う。
この子はきっと、このヴァレリスに根を張って、豊かな実りをもたらすのだろう――特に根拠はないが、そう思う。
「これからお世話になります、お義兄様」
「こちらこそ、アルビン」
少し賑やかになった領主館も悪くない。
柔らかな視線をひとつ巡らせて、グレンは広げた新聞を閉じた。




