第41話『静寂を求めた先で指名したのは、元婚約者の妹でした』】
「……嘘だろ……」
駅前の喧騒から逃れるように予約した、隠れ家風の個室カフェ。その落ち着いた暖色の照明に照らされたテーブルを挟んで、俺——大河内駆は、向かいに腰を下ろした少女の顔を直視したまま、完全に思考を停止させていた。
白と紺を基調としたシックでありながら上質なワンピース。背筋をピンと伸ばした凛とした佇まいと、カップに伸びる指先一つにまで行き届いた洗練された立ち振る舞い。だが、その整った可憐な面影には、嫌でも見覚えがあった。
藤原 紅葉。
あの『藤原家』の次女にして、俺の元婚約者である藤原葵の……二歳年下の実の妹だ。
「お久しぶりでございます、駆様。……ふふ、そんなに驚いたお顔をなさるなんて、お茶目ですね」
紅葉は鈴を転がすような愛らしい声で可憐に微笑むと、スカートの裾を軽く持ち上げて優雅にお辞儀をし、そっと椅子に腰掛けた。その動作一つひとつが、まるで名門令嬢の教育ビデオからそのまま飛び出してきたかのように、隙という隙が見当たらない。
(なんで……!? なんで藤原の妹がレンカノのキャスト一覧にいて、しかも俺の指名をピンポイントで受諾して、今この個室で向かい合わせに座ってるんだよ……!?)
俺の脳内で、けたたましい大音量の警戒アラートが鳴り響く。
俺はただ、連日の『古参同盟』や『実家連合』、さらには実家の圧力という逃げ場のない激しい包囲網から逃れ、人目のつかない静かな個室で美味しい紅茶を飲みながら「ごく普通の女子高生とのたわいもない日常会話」を楽しもうと、新規登録されたばかりのキャストを適当に頼んだだけなのだ。まさか、それがよりによって元婚約者の実妹であるはずがないと油断しきっていた。
「紅葉ちゃん……なんで君が東京にいるんだ? それに、このサービスって……君みたいな名家のお嬢様が、こんなアンダーグラウンドな香りのする登録をしていいようなものじゃないだろ……?」
俺が冷や汗を拭いながら引きつった笑みで尋ねると、紅葉は小さく首をかしげ、いたずらっぽく、けれどどこか底知れない光を宿した瞳を輝かせた。
「お姉様が駆様を追って東京の高校へ転校なさると聞きまして、私も居ても立ってもいられず、追ってまいりましたの。そして……駆様がこの『レンタル彼女』という背徳的なサービスをご利用だという機密情報を独自に入手いたしまして、お勉強の一環と称してキャストとして特別に登録させていただきました」
「独自に入手って……どうやって調べたんだよ……ていうかお勉強の一環ってなんだよ!」
「ふふ、藤原家の情報網を舐めてもらっては困りますわ。それに、いざ登録してみれば、こうして見事に駆様の指名を勝ち取ることができたのですから、結果オーライですわね」
紅葉は両手を胸の前で組み、うっとりとした、熱を帯びた眼差しでじっと俺を見つめてくる。
「お姉様は強引で、自分の気持ちを押し付けるばかりの賑やかすぎるお方。ですが駆様は、本当はそんな激しいお付き合いではなく、静かで穏やかな時間をお望みなはず……。藤原家の未来の配偶者という、あの重苦しい窮屈な立場ではなく、利害関係のないただの『一人の女の子』として、私を選んでくださるはずだと、ずっと確信しておりましたの」
「いや、俺が求めているのはそういう文学的で情念的な理由じゃなくて! 単にボッチの寂しさを一時的に紛らわせるための、もっとドライで健全なサービス利用であってだな……!」
「ええ、分かっておりますわ。駆様のその奥ゆかしいところも、ご自身の本音を照れ隠しで隠そうとされる不器用な癖も、昔から何も変わっていらっしゃいませんのね……」
(ダメだ、会話の波長が1ミリも噛み合ってない!! 完璧なレディファースト対応と紳士的な大人の態度でどうにか場を和ませようとしても、彼女の瞳の奥にある静かで重い執着の炎は、少しも消える気配を見せない……!)
静かで穏やかなティータイムになるはずだった俺の休日ドライブは、またしても過去の因縁と過剰な愛情が交錯する、命がけのサバイバルへと変貌を遂げていた。




