【プロローグ:氷の窓口と、不器用な少年】
市民課の窓口に立つ女性は、絵に描いたような『完璧』を体現していた。
埃ひとつないネイビーのスーツ。
ミリ単位の乱れもなく後ろでまとめられた、艶やかな黒髪のシニヨン。
知的なフチなし眼鏡の奥から向けられるのは、優雅でありながらも、一線の隙すら感じさせない極上のビジネススマイル。
「お待たせいたしました、日向様。こちらが申請書類となります。内容をご確認の上、こちらへご署名をお願いいたします」
澄んだ、鈴を転がすような高い美声。
市役所の若きエース、氷室冴香26歳。
理不尽なクレーマーもその美貌と完璧な事務処理で沈黙させる彼女は、いつしか署内で『氷の鉄面皮』と恐れられ、そして憧れられていた。
「あ、は、はいっ! わかりまひた!……あ、わかりました!」
窓口のこちら側で、日向太陽17歳は、心臓が爆発しそうなほど緊張していた。
制服の襟元をきっちり留めた真面目な男子高校生は、彼女のあまりの美しさと凛としたオーラに圧倒され、完全に声が裏返って噛みまくっている。
「ふふ、ご丁寧にありがとうございます。お気をつけてお帰りくださいね」
完璧な一礼。
太陽は真っ赤な顔をして逃げるように立ち去り、冴香は小さく息を吐いて次の番号札を呼ぶ。
誰もが羨む、非の打ち所がない大人。
それが、市民から見た彼女のすべて。
だが、太陽は知る由もなかった。
この完璧なお姉さんが――。
あと数時間もすれば、ストッキングの足をだらしなくベンチに投げ出し、髪をバサバサに解き、真っ赤な激辛お菓子を齧りながら、自分の頬に冷たいラムネのガラス瓶を押し当ててくる『あの人』だなんて。




