電話の内容は
竜崎さんは少し話した後、分かりやすく眉を顰める。
「待ってください。それでいいんですか?」
珍しく困っているようだ。その様子にただならぬ空気を感じ、不安が募る。そして彼は一旦電話を離し、私に小声で言う。
「花音からも話してみて」
「え、私?」
「僕より話しやすいと思う」
そう言ってスピーカーにしてくれた竜崎さんのスマホからは、なんだか疲れた様子の優香さんの声が流れてきた。
「優香さん? 安藤です」
『あの……すみません本当に。竜崎さんには説明しましたが、今回はこれで終わりということで……私はもう少し大きな病院へ受診することになりました』
「えっ?」
『わざわざ来ていただいたのに申し訳ありません。でも幸太郎と話し合って決めました』
「待ってください、あの家はそのままにしておくってことですか?」
私が慌てて口を挟むと、優香さんが少し黙ったあとに肯定した。
『はい。多分、私疲れてるんです。もう一度心療内科に見てもらわないと』
「優香さん、その現象はあなたが受診して済む問題ではない。このまま放っておいても悪化するだけで治ることは絶対にないです」
竜崎さんが厳しい声できっぱり言い切ったが、優香さんは小さな声で言う。
『でも……』
「僕たちを詐欺だとか、そう疑う気持ちも分かります。だったら僕たち以外の人に見てもらってください。寺の僧侶とかなら、幸太郎さんも拒否反応が出ないのでは? キチンと力があって、家まで尋ねてくれる寺を探して紹介します、それで」
『いいえ。これ以上私がおかしい様子なら、強制的に入院させないといけないって言われてるので……』
少し声を震わせながら、優香さんはそう言った。私は信じられない気持ちで絶句する。幸太郎さんにそこまで言われて、彼女は我慢するしかないと思ったのだ。
私は必死になってスマホに声を掛ける。
「でも、このままじゃ優香さんが危ないです! また幸太郎さんが留守の間に済ませるのはどうでしょう? 今度はもっと慎重に……」
『竜崎さんたちには本当に感謝しています、こんな形になって申し訳ないですが、もう幸太郎と話して決まったことなので……本当にありがとうございました』
「あ、優香さん!」
そのまま電話は切られてしまい、私はただ呆然とするしかなかった。あんな真っ黒な家に住み続けるなんて、どう考えても危ないに決まっているのに、彼女はそこに住み続けるしかないのか。
「ど、どうしましょう……幸太郎さんは頑なに優香さんの意見を聞かなかったんですね!?」
私が竜崎さんに尋ねると、彼も腕を組んで考え込んでいた。
「そうみたいだね。だが残念ながら、こういうことは珍しくない」
「え? よくあるんですか!?」
「二か月前まで見えなかった花音の方が想像しやすんじゃないかな? まだ見えない頃、例えば花音のお母さんが『家がおかしいから、プロを呼んで除霊してもらう』なんて言ってたらどうする?」
そう言われてぐっと唇を嚙んだ。
……確かに、竜崎さんの言う通りだ。私は見えない時期がずっと長かったから、その光景は安易に想像できる。
恐らく私なら母を止めるだろう。おかしな宗教団体に入ったら困ると思うし、詐欺の可能性も高いと思って、絶対に反対する。何か体に原因があるんじゃないかと疑い、病院に連れて行く――つまりは幸太郎さんと全く同じだ。
私は頭を垂れた。
「花音、それが普通だ。君も幸太郎さんもおかしいわけじゃない、心配だからこそとる対応だ」
「……これからどうするんですか?」
「残念ながら、断られてるのに無理やり押しかけるわけにはいかない。が……それは通常パターンの場合だね」
竜崎さんがそう言ったので私は顔を持ち上げる。
「あれは普通の状況じゃないから、放っておくなんてできないね。命に係わるかもしれないからだよ。何とかならないか動いてみよう」
「は、はい!」
竜崎さんの言葉にほっとして涙が出そうだった。このまま終わって優香さんがあの家に住み続けることを想像すると、あまりに辛かった。でも、竜崎さんが諦めていないのならまだ何とかなるかもしれない。
同時に、彼の優しさに心が温かくなった。私を助けてくれた時もそうだけど、彼は一見不愛想に見えて誰かを助けようとする優しさを持っている。なんて素敵な人なんだろう。ドルオタだけど。
竜崎さんはようやく箸を手にし、少し冷めてしまったご飯を再び食べ始めた。
「とはいえ、まずは祐樹の結果を待とう。あれが重要だ」
「分かりました」
私もまた、箸を取って昼食の続きを始めた。今頃優香さんは何をしているのだろう、そう考えながら。
夜になって祐樹さんが帰宅した。私は当番の掃除をしていたところで、竜崎さんはリビングで寝そべりながらテレビを見ていたところだった。
玄関が開き、どすどすと大きめの足音がしたかと思うと、祐樹さんが疲れた顔をして
リビングに入ってきた。
「っはー疲れたー!」
「祐樹さん! お帰りなさい!」
「ただいま。あー調べ物は疲れるわ」
彼はそう言ってダイニングに座り、テーブルに突っ伏した。
「何か飲みます? 温かいものでも淹れましょうか」
「いいの? 冷蔵庫にある俺の紅茶温めて」
ペットボトルの紅茶を見つけたので、言われた通り温めて彼に差し出す。その時竜崎さんが歩いてきて、祐樹さんの隣に腰かけた。
「どうだった」
「全部とは言えないですけど、まあまあいいとこ行ってるんじゃないですかね!」
得意げに言った祐樹さんは、持っていた袋から何やら写真や紙などを取り出し、テーブルの上に広げた。そこには女性と、それから男性の写真がそれぞれある。女性は可愛らしいボブカットの若い子で、男性は三十歳くらいの真面目そうな人だった。
竜崎さんはそれらの写真を手に取り眺める。
「これが?」
「真栄田恵、幸太郎さんにバレンタインのチョコをあげたっていう人ですね」
「この人が……」
私は二人の後ろから覗き込んで写真をじっと見つめながら、一体祐樹さんはどうやって調べたんだろう、と気になってしまった。だが、それはまた次の機会に尋ねるとしよう。
「ですが、まあ白ですね。もう会社にはいませんでした。退職済みです」
「え!?」
「しかも寿退社です。結婚して少し前にいなくなってます。多分、幸太郎さんの思い過ごしだったか、もしくはすぐにアプローチをやめたんじゃないですかね。幸太郎さんは既婚者だし。さすがに結婚して幸せ絶頂の人間が呪詛をするとか考えにくいですよねー」
ということは、真栄田さんという人に優香さんを呪う理由はないということか。一時的に幸太郎さんにちょっかいをかけていたのかもしれないが、とっくに諦めて結婚していたのだ。
「なるほど」
「そしてこっち……優香さんが言っていた、二人の親友だった人、浅山勝也さん。こっちですよ、問題は……少し前に亡くなっています」
祐樹さんの発言に、竜崎さんは少しだけ片眉を動かしただけだった。私はゴクリと唾を飲み込み、写真の中の人を見つめる。
健康的な肌色に、やや細めのたれ目、くしゃりと笑う顔……とても優しそうな人に見えるのだが、もう亡くなっていたとは。ということは、私が見たあの手足はこの人の物だったのか。ほぼ確定だろう。
「今は疎遠になっているとはいえ、元々友達だった優香さんと幸太郎さんがそれを知らなかったというのは不思議だな……死因は?」
「事故です。横断歩道を渡っている時に車に轢かれたとのことです。亡くなったことがあまり広まっていないのは、浅山さんは施設育ちで天涯孤独だったみたいだからです。友達もそう多くはなく、幸太郎さんが一番の親友だったみたいで……亡くなった後も、簡素な葬儀を遠い親戚が仕方なくあげたくらいで、積極的に知り合いに連絡してきてもらうとか、そういうことしなかったみたいですよ。仕事関係の人が少し来たぐらいだと聞きました」
私はじっと写真の人を眺め、祐樹さんが言った言葉を頭の中で繰り返していた。
家族もいなかったんだ……そんな中、幸太郎さんと仲良くなって、その彼女だった優香さんを好きになってしまったなんて、凄く悩んだんじゃないのかな。告白するのも、勇気がいることだったと思う。葬式だって、本当に来てほしい人に来てもらえなかったようだし……。
悲しかっただろうな。
感傷的になったところでハッとし、首を強く振った。悲しい境遇だったからって、優香さんに呪詛を掛けて私まで巻き込もうとしたのは全く理解できないことじゃないか!
「なるほどね。呪詛を掛けていた人間が死ぬと、それはより一層強くなる可能性が高い。あんな風に家が黒くなるのも納得か……それに家を離れた花音に被害が及んだのも、まあ理解できる。呪詛だけじゃなく、浅山さん自身も霊となってうろついているからだろうね。花音は元々引き寄せやすいから。あの家は呪詛だけじゃなく霊にも取り憑かれている、散々な場所ってわけだ」
竜崎さんは一人でそう話し納得したようだ。ただ、まだ気になる点があるのか首を傾げるが、祐樹さんは話を続けた。
「っつーことは、呪詛の主は死者ってことですから、この浅山さんを竜崎さんがちゃちゃっと消滅させちゃえばいいんですね!」
「あーただね……今、別の問題が起きていて」
「別の問題?」
祐樹さんが家を出ていった後に起こったことを、竜崎さんが説明した。そして、優香さんからの電話のことも。祐樹さんはあちゃーとばかりに顔を両手で多い、悲痛な声を上げる。
「せっかくここまで分かったのに? あの家に入れないんですかあ!」
「もう一度優香さんにコンタクトを取ろうと思うけど、電話に出てくれるかどうかだね……でももう今日は遅いからとりあえず休もう。大体の流れはわかったけれど、もう少し僕は考えたいところがある。祐樹、短時間でよく調べたね。お疲れ」
「はーい」
竜崎さんが何を考えたいのか私は気になったけれど、祐樹さんは褒められたことが嬉しかったのか、にこにこ顔で返事をした。竜崎さんは立ち上がり、思い出したように祐樹さんに言う。
「花音が夕飯を作ってくれたよ。祐樹の分も。後でしっかり材料費を渡しておいて」
「まじ!? 助かるわ、ありがと」
「いえ、お口に合えばいいのですが……」
家にいてもやることがなかったので、夕飯も簡単な物を作ったのだ。祐樹さんの分もラップして冷蔵庫に入れてある。祐樹さんは外で働いているというのに、私だけくつろぐのは申し訳なかったのだ。
「でも花音、君は家政婦じゃないんだからあまり気を遣いすぎなくていいんだよ」
「あ……はい」
「僕の風呂の時間だ。行ってくる」
竜崎さんはあくびをしたかと思うと、そのままふらふらと風呂場へ向かって行ってしまった。家政婦じゃない、ってきっぱり言ってくれたのは、なんだか嬉しかったな。
私は祐樹さんの正面に座ったまま、顔を綻ばせる。すると、彼が訝しむように私の顔を覗き込んだ。
「あれ、なんか顔赤くね? 惚れた?」
「ち、違います!!」
「ならいいけど。腹減ってたからご飯はありがたいや、いただこーっと」
祐樹さんは冷蔵庫に行って夕飯を取り出し、レンジで温めるとこちらに戻る。どこかほくほく顔に見える。
「俺、からあげ好きなんだよねー頂きます!」
「ど、どうぞ」
「おお、美味いな」
「よかったです」
祐樹さんはパクパクとご飯を食べてくれるのでほっとした。どうやらお口には合ったみたい。
「あの、祐樹さん。実は昼間に雅さんが一旦帰宅されたんです」
「え!? あちゃーそうだったか。怒ってたっしょ」
「ものすごく」
「想像つくわー」
祐樹さんは苦笑いしてご飯を口に放り込む。
「んで雅の印象はどうだった?」
「綺麗な人でした。あと凄く正直な人で、はっきりものを言う……でも、昼も私が食事を作ったんですけど、残さず食べてくれたので悪い人じゃないと思います」
「んーなるほど。まあそうだな、一緒に暮らしてるけど悪い人じゃねーよ。まあ花音も薄々感じてるだろうけど、俺も雅も竜崎さんにちょっと過保護なところあるじゃん」
自覚あったんだ、と呟きたかったが、心の中だけにしておこう。
「花音と同じように、あの人は恩人だから」
「恩人ですか」
祐樹さんはご飯を食べながら、『俺から聞いたって言わないでな』と前置きした上で、私に二人のことを話し始めた。
「俺たち三人は全員、親がいないわけ」
「え、全員ですか?」
「いないって言うとちょっと違うかな。俺は幼い頃に両親とも死んだ。雅と竜崎さんは絶縁状態。二人とも子供の頃にそうなってる」
「どうして……」
私がそう小さな声で言うと、祐樹さんが食べる手をぴたりと止めこちらを見た。その目は初めて見る、強くて悲しい色をした目だった。
「『視えるから』だよ」




