5
雅樹は、塚田という女性が死亡した事故記録をみせてもらった。堂島自身が書いたものだが、思いのほか細かく記されている。意外だった。
ちょうど一週間前のことだ。戸山二丁目の道路でトラックと接触している。目撃者の証言などによって、死亡女性がふらつきながら道路に飛び出したということがわかっている。
女性は、多量のアルコールを摂取していたと思われる。酔っていたことにより、道路に出てしまった事故だと──。
「どうして、堂島さんが臨場したんですか?」
交通事故なら、本来は交通課が調べることだろう。
「さあな。おれは係長からの指示で行っただけだ」
係長が、堂島を派遣した?
行かせた係長もだが、その命令に従った堂島にも違和感がある。
「なんだ? おれが、ちゃんと仕事をしたのが不自然だとでもいうのか?」
不自然だった。
「おれをなんだと思ってるんだ?」
仕事をしないヌシのような存在……だということを口にするわけにはいかない。
「でも……ちゃんと仕事をしなかったから、事故でかたづけたんですよね?」
言ってから後悔した。怒りをぶつけられるかと覚悟したが、堂島は涼やかな顔をしたままだった。
「まあ、係長の──上の連中の思惑だったんだろうな、そのへんが……」
「え?」
堂島が、適当に処理するだろうと……だから、ほかの人員ではなく……。
「どこかに不審なところはあったんですか?」
「男ならまだしも、女性が歩けなくなるまで酔っぱらうか?」
「そうですね……でも、交番勤務のときに酔った女性を介抱したことは何度かあります」
「たしかにな」
女性でも酔いつぶれることはある──そのことは堂島も認めているようだ。
「だが、もっとよく調べるだろ?」
「調べなかったんですか?」
「おれが調べると思うか?」
身も蓋もない……。
「本来なら、女性がどこでお酒を飲んだとか、そういうの調べますよね?」
「運転しているほうが飲酒していた場合はそうだろうが、逆の場合はそうともかぎらない」
しかし事故を処理した本人が疑問を感じているのだから、やはりきちんと調べるべきだったのだ。
「そんな眼で見るな。こうして、いまから調べるんだから」
言い訳のようなものを堂島は口にした。
「もし塚田という女性が事故死ではなく……なにかの陰謀で死亡していた場合、どういうことになるんですか?」
医療関係者とのトラブル……。
それだろうか?
樋口健司だけでなく、恋人であった女性まで……。
いや、そう考えるのは、まだ早い。樋口健司が計画的に殺害されたときまったわけではないのだ。
「もう調べられないんですよね?」
女性が殺害されたかどうかについてだ。
「遺体はすでに火葬されているだろうから、体内のアルコール量もはかれない。薬物の場合も同じだ。それに、現場付近には防犯カメラのたぐいはなかった。事故をおこしたトラックにはドライブレコーダーが搭載されていたが、なにか決定的な場面が映っていたわけでもない」
「……どうするんですか?」
「どうしたい?」
すぐさま問い返された。
「……」
「おまえは刑事として、どうしたいんだよ」
この堂島に一番似合わないような問いかけだった。
「そりゃ……どうにかして捜査したいですよ」
「なら、通り魔事件を解決することだな。そうすれば、塚田という女性の事故も解明できるかもしれない」
しかし、その通り魔事件の真相をつきとめようとして、この事故にぶち当たったのだ。
「医療関係者とのトラブルが鍵だと思うんですけど……」
取材していた本人が殺害され、真相を知っていそうな女性も死亡していた。手詰まりだ。
「心配するな。あてはある」
堂島は言った。
だがその顔を見ていたら、不安になった。どう考えても悪だくみをしている表情なのだ。
「……なにをするつもりなんですか?」
「おれのやり方をみせてあげようか?」
「え?」
悪魔のように、堂島は囁いた。
「おれとかかわるな、と先輩たちから教えられたんだろ?」
「い、いえ……」
なんと答えればいいのか困る問いかけだった。
「絶対的な力を手に入れたいだろ?」
「……」
ダメだ。仲間に引き入れられた時点で、まともな警察官ではいられなくなる。
「そんな顔をするな。事件が解決できるんだ」
ダーティーな力を行使したとして、それでどうやって事件を解決しようというのだ。
「おれに心当たりがある」
「心当たり? 犯人の?」
「そこまでってことじゃないが、あやしい動きをしている人間がいるんだよ」
「どういうことですか? それはだれなんですか?」
「その事故の翌日にさ、不穏な動きをしていたやつがいるわけよ」
「不穏? だれですか? どんな?」
「ここの署長だよ」
「え!?」
想像以上の大物だった。
「ま、まさか……署長が犯人なんですか!?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ、どういうことなんですか?」
「だれかに呼び出されたんだろうな。急な外出をしていた」
「どこに行ったんですか?」
「どこだと思う?」
ムダなやりとりだと思った。
「さ、さあ……」
「蕎麦屋だよ」
拍子抜けした。
「それ……ただ、そばが食べたくなっただけじゃないですか?」
「甘いな。おれはその蕎麦屋をよくつかう人物を知ってるんだよ」
「だれですか……?」
もったいぶっているから、さぞやものすごい名前が出てきそうで、少し緊張してしまった。
「近藤俊彦」
「それって……だれでしたっけ?」
聞いたことのある名前だったが、どのような人物であるか思い出せない。
「国会議員だよ。ついこのあいだまで、内閣府特命担当大臣だった」
「あ」
思い出せた。
そして、その人物は警察にとっても影響力があったのだ。
国家公安委員長。
国務大臣と兼任になるこのポストは、最近の流れでは内閣府特命担当大臣が就任するケースがほとんどだ。
「な、匂うだろ?」
「国家公安委員長の意向があったということですか?」
「そういうことだ」
「でも、いまはちがうんですよね?」
一つ前の国家公安委員長が隠蔽のために動いた?
それとも国会議員の権力は、やはり計り知れないということだろうか?
「近藤俊彦の父親は警視総監経験者で、曾祖父は内務省の警保局長だった。つまり警察家系のボンボンってことだな」
はじめから知っていた情報なのか、今回のことで調べた知識なのか……。
「警察に顔が利くってことですか?」
「考えなくてもわかることだ」
「じゃあ、犯人は近藤俊彦の関係者……」
「それをこれから捜査するんだよ」
まともな捜査でないことはわかりきっている。
「……どうするんですか? なにをするんですか?」
「そうだな。まずは本人に話を聞くか」
「本人? どっちですか 署長ですか?」
「署長には、もう聞いてる」
「え!? なんて……言ってました?」
そら恐ろしくなった。
「まあ、それはいい。次は、近藤俊彦の番だ」
「……会ってくれますか? 国会議員なんですよ。しかも大臣経験者です」
「会ってくれと、むこうのほうから頼まれるさ」
堂島は、周囲を見回した。だれもいないはずだが、さらに署内でも人が寄り付かないような場所へ移動した。
携帯を操作する。
「もしもし、近藤俊彦議員ですか?」
「え!?」
雅樹は絶句した。まさか本人に直接電話をかけるとは思ってもいなかった。というより、国会議員の電話番号を知っていることにも驚きだ。
すぐに理解した。署長だ。署長を脅して、番号を教えてもらったのだ。
「まあ、いいじゃないですか。話ぐらい聞いてくださいよ。おれは堂島といいます。いいんですか? いろいろおもしろい話があるんですよ。おれには興味のない話でも、たとえばそう、週刊誌の記者とかはどう思うかなぁ」
あきらかに恐喝している。
「誤解しないでくださいよ。こっちは話し合いをしたいだけなんですから。どうです? 会っていただけませんか?」
堂島の口元には、悪魔の笑みが浮いてた。
いや、それすら超える《極悪魔》の微笑だ。
「はやいほうがいい。これからどうですか? 例の蕎麦屋で」
すいすいと話を進めている。
この堂島という男が、本当に警察官なのか疑いたくなった。詐欺師であり、恐喝犯であり、黒社会の住人だ。それらのほうが、よっぽど似合っている。
まさしく《赤》だ。
「──ということだ」
通話を終えた堂島が、どこか勝ち誇ったように言った。
「こ、これから……どうするんですか?」
「もちろん、蕎麦屋へ行く。おまえは行かないのか?」
行くべきだ……しかし、行きたくはない。
行ったが最後、もうあとにはもどれないのではないか……。
「い、行きます!」
そう返事をしてしまった。
堂島が、満足そうに、そして悪魔的に微笑んだ。
蕎麦屋への道中、生きた心地がしなかった。
場所は神田にある老舗だった。そういえば、テレビ番組でとりあげられていたのを観たことがある。
「いらっしゃいませ」
昼下がりの店内は混みあっていたが、何席かは空いていた。しかし堂島は手近な席には目もくれず、奥へ進んでいく。
「お客さん?」
「近藤先生と待ち合わせだよ」
「なにも聞いていませんが……」
「すぐに連絡がくる」
すると、店の電話が音をたてた。
「は、はい、近藤先生」
絶妙のタイミングでかかってきたようだ。
「奥の部屋で待たせてもらいますよ」
困惑する店員をよそに、堂島は進んでいった。居心地の悪さを感じながらも、雅樹もそれについていった。
どうやら、常連やVIP客のための個室らしい。こういう部屋があるとは、さすがは老舗だ。
八畳ほどの空間で、堂島は下品にあぐらをかいてた。店の者がお茶を運んできたが、そのときにはなにも言葉はかけられなかった。近藤俊彦の知人だと知り、黙認せざるをえなくなったのだろう。
三十分ほど待っただろうか、ようやく主役が到着したようだ。
「君かね? 失礼な電話をしてきたのは」
不快な顔をしていた。それを除けば、雅樹の知っている政治家の顔だ。テレビでたまに眼にしている。
「どうも。堂島といいます」
「いったい……話というのは?」
「だから、あれですよ。心当たりあるでしょう?」
「な、なんのことなんだ?」
「思い当たることがあるから、こうやってやってきたんでしょ?」
じわじわといたぶるように、堂島は迫っていく。
「新新宿警察署の署長に圧力をかけましたよね? ただの事故として処理するようにと」
新を省略せずに、堂島は言った。省略しない人にはじめて出会った。
「な、なんのことだ……」
「またまた、とぼけてぇ」
雅樹は、あることに思い至った。店の外にはいるのかもしれないが、秘書のような人物をともなっていない。大臣を経験した国会議員が、一人でのこのこやって来るだろうか?
なにかうしろめたいことがあるにちがいない。側近にも知られたくない、なにかだ。
「し、知らん!」
「こっちも、まどろっこしいのはいやなんで、単刀直入に言うぞ」
あくまでも横柄に、堂島は伝えた。
「あんたに話をもちかけたのは、だれだ?」
「な、なんのことだね?」
「いまあんたは、うしろめたいと思ってるだろ? 悪いことだと知りながら圧力をかけた」
「な、なんのことだ……私は帰るぞ!」
「いいんですか? このネタを欲しがる人は多いだろうなぁ」
「しょ、証拠はあるのか!?」
「証拠なんて重要じゃないことぐらい、わかるでしょう?」
蔑むように、堂島は言った。
「や、やってみたまえ! マスコミに売ってもかまわない! そんな記事ぐらい握りつぶしてやる」
近藤議員は強気に出たが、堂島はそんなことで揺らいだりしなかった。
「世の中、権力者がどうこうできる人間だけじゃないんですよ。食いぶちに苦労している記者なら、どんなことをしても金にかえようとする」
「なら、その記者を買収すればいいことだ。百万も積めば言うことをきくだろう」
「はははは」
堂島の笑い声が、愉快そうに響いた。
「ムダです、ムダです。たとえ一千万払ったとしても、その記者は必ずネタを流します。あなたから取って、売り込んだ媒体からも取る。まあ、二重取りだな」
至極当然のように、堂島は言い放った。
「な、なんだと……」
近藤俊彦は、軽蔑するような瞳で堂島のことを睨んだ。堂島が、そういう腐った人種だとでも考えたのだろう。
「もし本気で隠蔽するつもりなら、消すしかない。記者もそうだし、その記者に情報を流したおれのことも」
「……」
「あなたに、そこまでできますか?」
政治家に黒い噂はつきものだ。が、実際にはフィクションのなかだけだろう。すくなくとも、邪魔な人間を闇から闇に葬るなんてことは、現実にはないはずだ。
「なにが目的なんだ……金か?」
声のトーンが変わった。
「おまえが警察官なのは知っている……」
雅樹は、それで納得した。あやしげな脅しの要求に応じて、こうして面談できたことに。
おそらく堂島の悪名は、警察組織以外にも知れ渡っているのだ。どんなに悪徳でも、警察官であるという安心感が近藤議員をここに向かわせたのだ。
「ずいぶん、いろんな人間の弱みにつけこんでいるそうだな」
「人聞きの悪い」
「だが私を、そんじょそこらの政治家といっしょにしてもらったらいかんよ!」
「そうですか」
堂島の脅しは通じないようだ。しかし、堂島に焦った様子はない。
「では、これを見ていただきましょうか」
堂島は、懐から茶封筒を取り出した。なかから数枚の写真を出して、テーブルの上に放り投げた。
「いやぁ、あなたが国家公安委員長のときにつかえるかと思って用意してたんですがね、まさかこんなところで使い道ができるとは思いませんでしたよ」
「こ、これは……」
「あなたが、建設会社の社長から賄賂をうけとっている場面ですよ」
「こ、声が大きい!」
「あ、ほかにもありますよ。愛人との密会がいいですか? それとも反社との──」
「わ、わかった! 要求があるのなら、言ってみろ……できることならやってやる」
「では、先生を動かしたのはだれですか?」
「そんなことを言えると思ってるのか?」
「思ってますよ」
自信満々に堂島は言った。
「それを言ったら、今度はその人物を脅すのだろう?」
「べつにいいじゃないですか。自分を上級国民だと思って権力をほしいままにしているような人間なんですから」
その嫌味に、近藤議員の表情が歪んでいた。
「で、だれなんですか? あなたをつかって警察に圧力をかけたのは」
「……」
「言わないのなら、あなたが黒幕ということになる。それとも、贈収賄で捕まったほうがいいですか?」
堂島にとって、脅しのネタは摘発するためではなく、あくまでも相手をいいなりにさせるための道具でしかないのだ。
「おまえのところの署長も困ったことになるぞ! いや、そのまえに、おまえは職をなくすかもしれん」
「ははは! うちの署長の弱みなら、たくさんもってる。潰そうと思えば、いつでも潰せるんだよ」
この堂島という男には、上司にたいする尊敬も忠誠心もない。邪魔になれば、本当に署長は潰されてしまうかもしれない。
「君ね……いきがるのもいいかげんにするんだ。上には上がいるんだ。そんなことを続けていけば、いずれ消されるぞ……私にはできなくても、簡単にやってしまう人だっているんだ」
「社会的に抹殺されるのは、おれのほうじゃない。おれにちょっかいをかけてきたほうだ。噂ぐらいは耳にしてるんだろう? 偉い人間が、もう何人もおれに潰されてるぞ」
「……悪魔のような男だな」
吐き捨てるように議員は嘆いた。
「どうする? あなたに命令した人間を告白するのか? しないのか?」
最後通告のように問いかけていた。
「言ったら、私とはもう関わらないと誓えるか? その写真も処分してもらうぞ!」
「それは、そちらの態度しだいだ」
観念したように、近藤議員は、ある人物の名を口にした。




