エピソード2:ニセモノの感情④
政宗が統治達を見送っている間、ユカは椅子に座ったまま、机の上に肘をついて……スマートフォンを操作していた。
今度遊びに来る福岡の橋下セレナから、飛行機の時間を告げるメールが届いていたから。1週間後は一緒に仙台で過ごせる嬉しさをこれから強くしていきたい。こんなところで、『こんなことで』悩んでいられないのだ。
今まで作り上げてきた『山本結果』は、仕事に邁進する強い女性だ。それが、今、自分が生きる指針。
これを見失ってしまったら――今の自分には何の価値もない。
「……大丈夫、あたしは山本結果、あたしは……!!」
自分へ言い聞かせるように同じことを呟きながら、ユカはメールを返信しようとして……自分ひとりでは分からない事柄に気が付き、指を止めた。
福岡からは、セレナ以外にもあと2人――『福岡支局』の中核夫婦・川上一誠と徳永瑠璃子がやって来る。要するに当日は3人を出迎える必要があり……加えて、瑠璃子は『仙台支局』で開発した『縁故』用のアプリケーションの説明を聞いて仮契約までしておきたいという希望も聞いていた。
そのため、当日は政宗が空港まで車を出してユカと一緒に迎えに行き、統治が『仙台支局』に残って説明会の用意を整えておく、そういう段取りで話を進めようとしていたところだ。
「どげんしよっかな……」
ユカがスマホを眺めてぼんやりしていると、廊下の向こうから足音が聞こえてきて……政宗が戻ってくる。スマートフォンから顔を上げたユカは、彼の瞳がまだどこかぎこちないことを悟り、肩をすくめた。
日中はあれだけ感じていた、彼に対する苛立ちや不信感が……少しだけ、薄れている気がする。だからこそ、あんな話を聞いた直後でも――直後だからこそ、2人きりになることを選べたのだ。
――もしも、先程の聖人の言葉通り、政宗が『ユカの特性に抗えずに』自分の側にいることで、理性の糸が切れるようなことがあれば……それは、聖人の言葉を立証する証拠になる。何よりも……。
「政宗、ちょっと政宗」
ユカは右手を何度となく縦に動かして、彼に自分の隣に座るよう促した。
そして、ぎこちなく移動して腰を下ろす彼に目を細めた後……息を吐いて、気持ちを切り替える。
「あんね、ちょっと確認したいっちゃけど……今、レナからメッセージが届いとってね」
「セレナちゃんから?」
「そ。結局空港には、あたしと政宗で迎えに行くけんが、到着口を出てきたところで3人で待っとって……ってことでよかとやんね?」
ユカの口調が、態度が、いつもと変わらないことを察した政宗は……ひとまず、手に持っていた菓子を2つ、テーブルの上に置いた。刹那、ユカの目線がそっちへと鋭く移動する。
「ちょっと政宗……何それ」
秒速で気づかれたことに、政宗は苦笑いを浮かべて彼女を見つめた。
「目ざといな、ケッカ」
「当たり前やん。いつからマジシャンに転職したと?」
「転職してねぇって。さっき、2人で食べてくれって透名さんからもらったんだよ。透名さんの家の近くにある店のものらしい。俺も食べたことないんだよな……」
そう言って首をかしげる政宗に、ユカは益々目を輝かせる。
「おぉ、じゃあ食べよう今食べようさぁ食べよう!!」
「待て待て、先にセレナちゃんに返信しなきゃ駄目だろうが。飛行機は、午後1番に到着する便だったよな? その日の午後は1日、説明と観光に使うつもりだから……ああ、ケッカが言った通りのことを伝えておいてくれ」
「分かった」
政宗の言葉に首肯したユカが、返信本文を考えていると、政宗が何かを思い出したように「――あぁそうだ」と呟いて、ユカを見やる。
「悪いケッカ、あと1つ、セレナちゃんに伝えておいて欲しいことがあるんだが……」
「え? どげんしたと?」
「ケッカは会ったこと……あったっけか。石巻にいる千葉駆君、俺達の協力者だ」
その名前に聞き覚えがあったユカは、自分の記憶を辿った。
「あぁ、こないだの植樹祭で少し……会った、ような……どげんしたと?」
「彼は石巻で新聞記者をやってるんだけどな、毎年、仙台七夕の時期はこっちで取材してるんだ。んで、福岡から来た『観光客』の3人に、半日くらい密着させて欲しいって頼まれたんだよ。外部の人から見た祭りの感じ方を記事にしたいんだと」
政宗の言葉に、ユカは「へぇー」と相槌を打った後……何で政宗がそんなことを請け負ったのかと思案して、すぐに結論に至った。
「いつも情報を横流ししてもらっとるけん、無碍に断れんわけやね」
ユカの指摘に、政宗はあっさりと首肯する。
「そういうことだ。ちなみに、貸衣装の浴衣に着替えてのインタビューと、何枚か写真を撮影して、新聞やSNSに掲載させて欲しいとも言われてる。勿論費用は新聞社側の負担だ。俺からも今日中に瑠璃子さんにはメールしておくけど……ケッカからも、セレナちゃんにそのことを伝えて、協力してもらえるか聞いてみてくれないか?」
「了解。なんか楽しそうやね」
そう言って思わず顔をほころばせると、政宗もまた、それにつられて頬を緩めてくれるから。
ユカはいつも通りのやり通りが出来ていることに安堵しながら、彼が机上に置いた謎の菓子を横目でみやり、役割分担を言い渡す。
「じゃあ、あたしはレナに返信しとくけんが……政宗はお菓子に合う飲み物係やね」
「ヘイヘイ、分かりましたよ。コーヒーでいいか?」
この問いかけに頷いたユカを確認し、政宗は一度席を立つ。
そして、洗ってふせてあるカップを2つ取り出して、台所のシンクに並べながら……視線の先にいるユカの姿に、言いようのない気持ちを抱いていた。
今、自分が彼女を見て……ドキドキしたり、一緒にいられることが嬉しくなってしまうのも、全て――『特性によるしょうがない事案』なのだろうか。
「……」
答えの出ない疑問に、強制的に蓋をして。
政宗は戸棚からインスタントコーヒーを取り出すと、静かにその蓋を開いた。
数分後……二人分のコーヒーを持ってきた政宗が、先ほどと同じくユカの隣に腰を下ろした。
そしてユカの前に、湯気の立ち上るカップと、櫻子からもらった『お菓子』を置く。ユカは持っていたスマートフォンをとりあえず机の脇に置いて、早速、初体験のお菓子に手を伸ばした。
「一口サイズのお饅頭……で、よかと?」
「そのはずなんだけどな。食べてみないと分からん」
政宗はそう言って、袋の脇にある切れ目から開封すると、中身を口に含んだ。素朴な中にある白味噌餡の上品な甘さが、麦焦がしの香りと共に口の中に広がっていく。内心、緑茶が欲しいと思いながら……政宗は口の中で咀嚼して、ゆっくりと飲み込んだ。
ユカもまた、個包装の袋を開いて中身を取り出すと、周囲の麦焦がしをこぼさないように気をつけながら、一口で口の中へ。薫り高い甘さを堪能する。
「ん……おぉ、美味しい。これ、この辺で売っとらんと?」
飲み込んでからコーヒーで口内を潤すユカに、同じことをしていた政宗が、カップを机上に置いて首を横に振った。
「俺は見たことないな……透名さんの地元のものだから、仙台で登米の物産展とかやってたら、覗いてみるといいかもしれないけど……」
「政宗も知らんげな、本当に地元の人が食べてきた味なんやろうね……櫻子さんが優しいの、何となく分かった気がする」
ユカはこう言って少し笑った後……体を少し斜めにずらして、政宗を見つめた。
2人で話すと決めたのは自分だ。だからこそ……ここで、はっきりさせておかないといけない。
「あの、さ、政宗……さっきの伊達先生の話なんやけど……」
「あ、ああ……」
政宗もまた、居住まいを正してユカの方を向いた。そして、自分を見上げる彼女を見下ろして……帽子を脱いで、髪の毛も結んでいないユカに、『6月の面影』を感じて……泣きそうに、なる。
好き『だった』のに。
本当に、心から――愛していた『はず』なのに。
聖人の一言で揺らぐような自分の恋心は、やっばり――
「政宗……大丈夫?」
ユカの言葉に我に返ると、彼女がとても心配そうな表情で、自分を見上げていた。
「ケッカ……」
「なんね……そげな泣きそうな顔して」
昼間にも聞いたその言葉は、今度はとても優しい響きを宿している。政宗は膝の上に置いた両手を、震えるほど強く握りしめた。そして――涙を押し留め、彼女に言葉の続きを促す。
「途中で遮って悪い。伊達先生の言葉が真実かどうか……ってことか?」
「あ、えっと……それもあるけど、そうじゃなくて……」
此処から先を告げるのは、とても勇気が必要だった。現に心臓がドキドキしているし、唇や指先だって、ほんの少しだけ震えているのが嫌になるほど分かる。
でも……これだけは、どうしてもこれだけは確認しておかないと……ユカの気が済まなかったから。
「政宗は……伊達先生の話聞いても、あたしの側にいたいって……思ってくれる?」
人に好かれることなんてない……そんな自分を救ってくれた1人は、10年前に出会った政宗だった。
勿論、自分を見出してくれた麻里子や、統治に一誠、瑠璃子、親友になってくれたセレナ……多くの人に支えられた結果、今の『山本結果』がある。
だからこそ――先程の聖人の話が、とても怖い。
今まで自分が気づいてきた人脈も、信頼も……全て、自分が持っている素質によって『作られたもの』だとすれば。
その素質が自分さえ殺すような『毒素』に変わってしまった今、眼の前から大切な人が、全て消えてしまったら……そう思っただけで、足元から体温が消えていくような感覚に襲われた。
先の話を総合すると、下手をすれば、6月の自分は……統治や聖人、彩衣を無意識のうちに殺していたのかもしれないのだから。
もしも自分が本当に『縁由』能力者なのだとすれば、どうして蓮や倫子に気付けなかったのか。
まだ分からないことも沢山あるけれど、ただ……『縁故』と違い、自分の能力を制御出来ない、その事実を自覚したら、恐怖が勝るのは当然の結果だった。
「ケッカ……」
「あたしは……6月、自分が元に戻った時、統治や伊達先生、富澤さんを殺しとったかもしれんっちゃろ? もしかしたら、自分自身も死んどったかもしれんげな……まるで生物兵器やんね。政宗は運が良かっただけで……もしかしたらこれから、もっと大変なことになるかもしれん」
いつも以上に言葉を選ばず、淡々と告げるユカに、政宗は狼狽しながら慌てて言葉を探した。
「それは……でも、伊達先生が言ったことが全部事実とは限らないじゃないか」
「だとしても、状況だけだと当てはまることが多すぎる。それに……伊達先生が確信のないことを、そう簡単に喋ってくれるとは思えんやんね。現に統治は6月のあたしと一緒におったら体調を崩しとったっちゃろ? だから……これ以上、宮城で迷惑をかけるわけには……」
「っ……!!」
政宗が彼女を見つめると……俯いて、とても不安そうな彼女が、自分の返事を待っていたから。
結果、こんな顔をさせるつもりなんてなかった。させたくなかった。
無意識のうちに、膝の上で両手を握りしめる。今のユカに言わなければならないことは、取り繕った一時しのぎの言葉では駄目だ。
ユカを助ける。
そのために生きてきたこの10年は――決して、嘘ではなかったはずだから。
「……駄目だ、ユカ」
すんなりと呼んでいたその名前に、政宗自身が少し驚いてしまうけど。
政宗は一度呼吸を整えた後、ユカを真っ直ぐに見つめて……首を一度、横に振った。
「まさか忘れたわけじゃないよな? あの時……約束しただろ? 俺はユカの前からいなくなったりしない、ずっとずっと、『関係縁』を繋ぎ続けるって」
「政宗……」
「伊達先生がこの話をしてくれたのは、機が熟したからだとも思ってる。本当にその『毒素』さえ正常に戻すことが出来れば、この現状を打破することが出来るかもしれないんだ。そのためのリスク……というか、特に俺が過保護になりすぎないように、遠まわしに注意してくれたのかもしれないな」
こう言って苦笑いを浮かべた政宗は、目線をチラリと机上に向けた。そこにおいてあるユカの帽子は、彼女のトレードマークでもあるし、盾でもある。
この帽子を外すこと、それが……最終目標だ。
政宗は改めてそれを意識した後、改めて彼女に向き直った。
ここでちゃんと伝えておきたい。自分自身が保身に走った理由、彼女を傷つけてしまった、その訳を。
「今回も……何も覚えてないユカにどう伝えていいか分からなくて、混乱させたくなかった。6月のユカは、たまに凄く苦しそうだったんだ。それこそ……見てられないくらい苦しんでいることもあったくらいで……俺は、何も出来なかった」
6月は、確かに幸せだったけど。
その幸せは――彼女の痛みと表裏一体だった。
大切な人が苦しんでいるのに、何も出来ない。
あれほどの無力を感じたことは……10年前以来だったように感じる。
「今のユカが痛みと一緒に何も覚えてないなら、それでいいと思ってた。そもそも、いきなり成長してたなんて話をしたところで、余計に混乱させる。俺たちが語ることで、あの時の苦痛まで思い出させたら可哀想だって……思ったんだ」
可哀想だ、と、口に出したところで……政宗は空笑いと共に肩を落とした。
結局自分は、4月のあの時から……ユカと宮城で初めて衝突した時から、何も変わっていないじゃないか。
「じゃあ、どういうことか言ってみんね!! 大体、政宗のあたしに対する説明が少なすぎることが原因の1つなんだってことを自覚しとるとやか!! それにどうせ、トラウマがある心愛ちゃんに無理強いをさせるのは可哀想だって思っとるっちゃろうもん!! その『可哀想』のせいで、あたしがこげな姿になったとに……!!」
あの時も彼女の前から逃げて、でも結局、隣に戻ってきてしまった。
それは――
「本当に、ごめんなさい。あたしは、政宗に最低のことを言った」
ユカが先に謝って、キッカケをくれたから。
だから、今度は……。
「……嘘をついて、嫌な思いをさせて……本当に、ごめん」
政宗はこう言って、深く頭を下げた。
これが、今の自分に出来る、精一杯のことだと思ったから、
「ありがとう、政宗。ちょっとスッキリした……かな」
ユカはこう言って、膝の上で拳になっていた彼の手を見つめる。
そしてそのまま静かに俯いた後……一度、長く息を吐いた。
一番気になっていたことは分かったし、これ以上追求することもない。けれど……そう簡単に割り切れない、それも、正直な気持ち。
ユカ自身も政宗に嘘をつかない、そう誓ったから。
「でも、その……ゴメン。政宗や統治があたしに色々黙っとったこと、このコトに対する不信感は……もうちょっと、残るかもしれん」
「……ああ、それは当たり前だ。ケッカが謝ることじゃない」
自然と呼び名を戻した政宗に、ユカは一瞬、ほんの少しだけ残念な気持ちになったが……まぁ、いつものことだとすぐに割り切って、胸の中にある思いを吐き出していく。
「でも、今度……レナ達が来るやろ? レナ達の前ではいつも通りでおりたいんよ。だから……あたしの態度がぎこちなかったら――」
政宗に対する態度がいつもと違ったら教えて欲しい、こう続けようとしたユカに、政宗はゆっくり頭を振った。そして、真っ直ぐな眼差しで代替案を告げる。
「その時は、俺がケッカから離れるようにするよ。それでいいか?」
「政宗……」
「当たり前だろ? 原因は俺だ。セレナちゃんも勘が良い子だから、何か気付くことがあるかもしれないけど……その時は、ケッカが了承してくれれば、俺が全部話をするよ。ケッカは何も悪くないんだから」
こう言って苦笑いを浮かべる彼に、ユカもまた、「分かった」と頷いた後……握った右手を彼に向けて突き出した。
政宗も静かに右手を握ると、彼女の拳に軽く押し当てて……この話は一旦、手打ちとなった。