エピソード2.5:ジカクとサッカク
「そういえば……今日、江合さんに家まで送ってもらったよ」
「げふっ!?」
ひとしきり話を終えた後、残りのコーヒーを飲んでた政宗は……ユカからの予想外すぎる言葉に、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
彼は意地でコーヒーを嚥下した後……呼吸を整えて、恐る恐る問いかける。
政宗の知っている『江合さん』といえば、1人しかいないのだから。
「え、江合さんって……江合なるみさんのこと、だよな?」
「うん。今日の昼間、仙台駅で偶然会って……会うのは2回目やったけど、あたしが本調子じゃないこと見抜いて、わざわざ車で送ってくれたと」
「に、2回目……!?」
政宗も知らなかった2人の接点が発覚し、彼がどこまでも間の抜けた声を出す。確かに瑞希の件で政宗から連絡を取ることがあったとはいえ、それらは全て電話だったし、全てユカのいない時間帯に行った。だから、会話を聞かれたわけでもないはずなのに。
ユカは、彼が一体何をそんなに動揺しているのかと首を傾げながら、なるみとの初邂逅を捕捉した。
「1回目は……先月、石巻で支倉さんと一緒におった時に。政宗が仙台に先に帰った日やね。その時は簡単に挨拶させてもらったくらいやったけんが……まさか、政宗の元カノさんにこげん親切に助けてもらえるとか、思っとらんかったよ」
ユカの口から発せられた『元カノ』という言葉に、政宗は諦めにも似たため息をつく。
いつか知られるとは思っていた。けれど……こんなに早く、今のタイミングでだとは思っていなかったから。
「……聞いたんだな、その話」
「うん。まぁ、詳しく聞いたわけじゃないけど……あげないい人と付き合えるだけでも運が良かったやろうに。やっぱり政宗がフラれたと?」
「やっぱりって何だよやっぱりって」
「何となく。政宗……自分から、誰かに別れを告げるようなことはせんかなーって思って」
そう言ってユカはカップを両手で持つと、コーヒーを一口すすった。そして、カップから口を離しながら彼を見上げ、その答えを求める。
政宗はそんな彼女から一瞬視線をそらした後……ユカが諦めないことを悟り、視線を向けられないまま、決まりが悪そうに息を吐いた。
「……そうだな。俺がフラれた。まぁ、俺のせいだったからな……」
「政宗のせい?」
「あの頃は、『仙台支局』立ち上げに関することで忙しくて……彼女自身も、自分の会社のことで手一杯になって、励ますことも出来なかった。彼女が年上だから、俺が甘えてたところもあるのかもしれない。すれ違いが多くなって……愛想を尽かされたんだ」
「……ふーん」
ユカは政宗を横目で見ながら、もう一口コーヒーをすすった。
「どっちから告白したと?」
「は、はい!?」
いつもであれば先程の「ふーん」で終わっていただろうし、政宗も当然終わると思っていた話題に続きがあったことが意外すぎて、彼は思わず目を大きく見開いた。
そして……自分を見つめるユカから目をそらせないことを悟って……口をつぐむ。
ユカはこれで、とある結論に確信を抱いた。
「あ、分かった。なるみさんからやね」
図星を的確に射抜かれた政宗は、ジト目で彼女を見て閉口した。
それが何よりの答えだと、政宗自身も嫌になるほど自覚しながら。
「……どうしてそう思うんだよ」
苦し紛れに答えを求めると、ユカはとても楽しそうに、そして、とても意地悪な表情で軽く舌を出してみせる。
「教えるわけないやん。付き合いばっかり長い、単なる『腐れ縁』ってわけじゃなかとよ?」
「何だよそれ……」
「それに、政宗が女性から押されとることは、レナの件でよう知っとるけんね」
ユカはそう言ってもう一口コーヒーをすすると……決まりが悪そうに視線をそらした彼を見やり、恐る恐る問いかける。
「レナのことは……その、あたしが言うのも変な話やけど、1人の女性として考えられんと?」
「ケッカ……」
「ごめん、あたしには関係ないし、お膳立てしたってレナが喜ばんことも分かっとる。でも……レナってね、たまに政宗からメール届く度に、すっごく嬉しそうで……」
ユカはこう言って、政宗から視線をそらすと……机に突っ伏した。
政宗もセレナも、ユカがよく知っている2人だ。そんな2人が恋人になってくれたら……遠距離という現実的な問題は一旦さておくにしろ、素直に嬉しい。
たまに心から思う。『縁故』を生業にしているくせに……どうして、自分の縁結びは上手くいかないのだろう。
「レナ、すっごくいい子なんよ……知っとると思うけど。ねぇ政宗、レナの何が駄目なん? どげんすれば、あたしは……レナの恋心を成就させることが出来ると思う?」
「それを俺に聞くのか、ケッカは」
「だって、政宗のことは政宗に聞かんと……分からんやろ?」
こう言って顔を上げたユカは、改めて政宗を見つめた。
ユカに再び見つめられた政宗は、どう答えたものかと必死に言葉を探すが――上手い言い訳が出てこない。
セレナのことは魅力的だと思うし、決して、嫌いではない。
ただ……セレナ以上に魅力的で、嫌いじゃない――大好きな女性が心の中に1人いる、それだけだ。
もっとも、そんな恋心も……先程から見事に揺らぎ始めているけれど。
「俺は……」
たった一言で、十分な答えになるのに。
眼の前にいるユカのことが好きだからだ――と。
――でも、今、それを伝えたところで……自分の恋が終わるだけだと、政宗自身が一番よく分かっていた。
それに――仮にセレナと付き合ったところで、結果は目に見えている。
過去、別れ際になるみから言われた言葉の意味が、よく分かるようになってきたから。
「政宗君は本当に、女性を傷つけるレベルの盲目なのよね。その網膜にあるフィルター越しに見られることが、一体どれだけの屈辱が……考えたこと、ないでしょう?」
あの時は意味が分からなかった。けれど最近――それこそ6月に似たようなことがあって、はっきり自覚したのだ。
政宗の中には、いつもユカが――ケッカと呼んでいる、目の前の彼女がいる。女性に対する基準が全て彼女になってしまい、他の女性を見ても、無意識のうちに比較してしまうのだ。
そして、それはきっと……彼女の持つ『縁由』に引っ張られて、会えない時間が長くても、他の女性より考える時間が長くなっているからだとも思う。その結果、6月に会えた『ユカ』にも「政宗が好きなのは、今のあたしじゃなくてケッカの方だ」と言われる始末だった。
そんな自分の身勝手な感情や行動は、セレナを傷つけてしまう。ユカと両想いになれないからといって、そんな自分に成り下がりたくはないし、セレナに対して失礼だと思うから。
「俺は……その、今は仕事が忙しいこともあるから、仮にセレナちゃんと付き合ったとしても、結局、なるみさんと同じ事になって……傷つけるような気がする。俺はまだ、成長できていないから……そんなことで、セレナちゃんに嫌な思いをさせたくない」
「政宗……」
ユカはこう言った彼の横顔を見つめながら……「おや?」と、首を傾げた。
「……ってことは、セレナのこと、好きなん?」
「へっ!?」
「さっきから回りくどくてはっきりせんよねぇ……で、結局どっちなん?」
気づけばユカがジト目で自分を見つめている。政宗はそんな彼女から盛大に視線をそらして、カップに残ったコーヒーを飲み干した。そして、空のカップを机上に置いて……答えを待つ彼女をみやり、ぎこちなく視線をそらす。
「け、ケッカに教えるわけないだろ? こういうことはセレナちゃんに聞かれた時、本人にだけ言えばいいんだよ」
「急に正論を言って逃げ出したねバカ政宗」
「さっきからバカってなんだよバカって」
「だってバカやんね!! なるみさんもレナも他の人が羨むくらい魅力的なのに……え、やっぱり統治が本命なん!?」
「どうしてそうなるんだよ!! あと『やっぱり』ってどういうことだ!?」
「はっきり言ったほうがよかと!?」
「そ、それは……!!」
子どものようにムキになった2人は、思わず互いに見つめ合って……フッと、同時に肩の力を抜いた。
「……うん、ゴメン。今回はあたしがお節介やったけど……でも、今度レナが遊びにきて、そういう話になったら……ちゃんと答えてあげてね」
「ああ、分かってる。そこはちゃんとするよ」
そう言って頷いた政宗に安心したユカは……ふと、先程の彼の言葉を思い返していた。
先程、政宗は……本人にだけ伝えればいいと言っていた。
じゃあ、ユカに関することは、今、ちゃんと教えてくれるはず。
だったら……。
「じゃあ、その……6月のあたしのこと、どげん思っとった?」
「へ……?」
「いや、あの……だから、6月に成長したあたしのこと、何とも思っとらんかったと?」
ユカから唐突に核心的な事柄を尋ねられた政宗は、口の中にコーヒーを入れていなくて良かったと心の底から安堵して現実逃避した。
しかし……自分を見つめる彼女の視線からは、逃れられそうにない。
「俺が、6月のケッカのことを……ですか?」
「なして敬語になるとね。本人には教えてくれるっちゃろ? だって……」
だって……朧気な記憶と写真の中にいた6月の自分は、とても嬉しそうだったから。
それこそ――記憶がなくても彼を頼り、その全てを委ねるほどに。
改めて自覚すると、耳が少し熱くなった。
「だって……」
だって、そういうことは――普通、好きな相手じゃないと、しないんじゃないの?
ここまで言ったユカは「あ……」と、何かに思い当たって口をつぐんだ。
そして、どこか自嘲気味に言葉を続ける。
「……そっか、あたしの『縁由』のせいで、ちょっと理性がバカ政宗になっただけやったね」
「え……」
ユカにそう言われた瞬間、政宗の背筋を嫌な汗がしたたり落ちた錯覚があった。
確かに、そういった要因があったと思う。あの時の大胆な行動に理由をつけるなら、それが一番大きいのかもしれない。
でも、自分はそれ以上に、彼女のことを、心から――
「いや、それは……」
それは「違う」、そう言おうとして……今のユカには何を言っても通じない事、響かないことに、気づいてしまった。
仮にここで、彼女のことが好きだったと伝えたとしても……「だから、それはあたしが持っとる素質のせいやろ?」と言われて終わってしまう。
全て、その一言で解決してしまう。
それは違う、そうじゃないと言ったところで、今の彼女が信じてくれるかどうか……自信が持てなかった。
困惑した表情で言葉を探す政宗から、ユカは静かに視線をそらした。そして、コーヒーの残りを飲み干してから……空のコップを机上に置き、中を見つめてボソリと呟く。
今、心の中にぽっかり空洞があるような――中身が全部出ていってしまったような、そんな虚脱感を抱いていた。
「……人を好きになるって、どげな感覚なんやろうね。あたしには分からんけん、今度、レナに聞いてみようかな」
どこまでも自嘲気味に呟いたその横顔に、政宗が何も言い返せないまま……空になったコップを口元に運び、中身を飲むフリをしてその場を凌ぐ。
心から好きだと思っていたのに。
あの時は、ちゃんと、伝えることが出来たのに。
どうして――眼の前で不安そうな彼女を、安心させることが出来ないんだろう。
抱きしめられないユカの心が、また少し……彼から離れていった気がした。




