エピソード8:彦星様の願い事④
その後、滞りなく仕事を終えたユカと政宗が『仙台支局』に戻り、残っていた瑞希と共に片づけと施錠をして……家路についたのが21時前。
ちなみに統治は櫻子を自宅のある登米市までおくっていくため、19時過ぎに『仙台支局』を後にしている。30分ほど前に、「今から戻る」というメッセージが2人に宛てて届いていたところだ。
3人とも仙石線で帰宅するのだが、ユカと政宗が乗れる電車はあと10分後に一本あるものの、瑞希が乗る石巻行が発車したばかりだったので、彼女は次の電車まで駅ビル内で時間を潰すことに。改札前で瑞希と別れたユカと政宗は、パスケースをかざしてゲートを抜けた。
そして、仙石線の地下ホームへ向かうエスカレーターに乗り、先に乗った政宗を、後ろにいるユカが覗き込む。
「ねぇ政宗、追加で買っていくものはなかと?」
「ああ。特に連絡は入ってないから、真っ直ぐ帰っていいと思うぞ」
そう言いながら体を少し横にして斜め上を見上げると、普段よりも近い位置にユカの顔があって、思わず顔を背けてしまった。そんな政宗の反応にユカは首を傾げつつ……一度、ふぅと息を吐く。
「明日には……3人とも、帰っちゃうんよね。政宗、何時頃駅に行けばよか?」
「そうだな……飛行機が15時前だから、どこかで昼食を食べてから、とは思ってるけど……後で瑠璃子さんと打ち合わせしておくよ」
政宗がそう言い終わった時、エスカレーターも終わる。2人でホームへ向かって歩きながら……ユカは彼を見上げ、真顔で釘を差した。
「……明日運転せんといかんとやけん、飲みすぎんでよね」
いつもより低い声のユカから、政宗は再び盛大に視線をそらす。
「い、いざとなったら明日は統治に――」
「――まーさーむーねっ!!」
ユカが声のボリュームと眦を上げて彼を睨んだ次の瞬間――ホームに、列車到着のアナウンスが響き渡った。
その後、肩身の狭い政宗を引きずって、ユカが彼の部屋へ向かうと……宴は既に始まっていた。
「ユカ、ムネリン、お帰りー!! 遅くまでお疲れ様やったねー!!」
彼の部屋の玄関にはいつも以上に大勢の靴が並んでおり、リビングの方からは楽しそうな声と美味しそうな匂いがする。ユカが我先にと小走りで廊下を抜けて扉を開くと、笑顔のセレナが2人を出迎えてくれた。
扉を締めてキッチンの方へ目を向けると、完璧に使いこなしている瑠璃子が、二人分の食事を皿によそっている。
明日3人が帰ることもあり、今日は政宗の部屋で食事会という名の宴会が開催されることになっていた。ちなみに瑠璃子と一誠は既に秋保温泉をチェックアウトしており、今日は仙台市中心部のビジネスホテルに宿をとっている。
この時間まで仕事の政宗やユカ、統治にかわり、セレナ、一誠、瑠璃子、駆の4人で用意をして、一次会を始めていたところだった。テーブルの中央にあるオードブルは適度に空白が出来ており、その近くにはビールの空き缶と半分ほどなくなった日本酒が並んでいる。
「2人ともお疲れ様ー。筑前煮食べるー?」
彼女の言葉に、ユカが目を輝かせた。
「瑠璃子さんの筑前煮!? 食べます!!」
「了解。じゃあ、荷物おろして座って待っとってねー。一誠、千葉君、テーブルあけて椅子とか用意してねー」
瑠璃子の声掛けに、ダイニングテーブルに座っていた一誠と駆が、余分な食器を片付け始めた。その間にセレナが新しい割り箸と取り皿を用意していく。そして、それを運び終えると……自分の部屋に荷物をおきに行こうとした政宗を流し目で見やり、口元に手を添えた。
「ムフフ……ムネリン、ビール冷やしとるよ。出してよか?」
「本当に!? いやーセレナちゃんは本当に優しいな……」
こう言ってセレナに笑顔を向けて、少し離れた場所から睨んでいるユカには背を向ける。
セレナは完全に顔を緩くした彼を見ると、口元を緩めて……少し意地悪に口角をあげた。
「ありがとうございます。じゃあ……私のこと、彼女にしてくれるとですかー?」
「へっ!?」
セレナの発言に政宗が動揺した次の瞬間、素早く背後をとった彼女から抱きつかれた政宗は……岩石のように硬直した。
「せ、セレナちゃん!? 俺まだ着替えとかしてないからさぁっ……!!」
「ムフフ、大丈夫ですよ、気にしませんから」
「いや俺が気にするんだよ!?」
政宗は動揺で目を泳がせながら、とりあえず両手をあげて自分は無罪であることを訴える。今のセレナは夜ということもあってなのか薄手の長袖のシャツに着替えており、仕事終わりの政宗もスーツの上着を着用しているので、2人とも昼間より肌の露出が控えめとはいえ……密着していることに変わりはない。背中に感じる確かな熱に政宗が動揺していると……真横と背後から、刺すような視線を感じた。
政宗が恐る恐る横を見てみると……テーブルの食器を片付けていた駆が、割り箸をへし折りそうな勢いで拳を握りしめ、政宗をなんとも言えない表情で睨みつけている。内心ではいつでも交代するのにと思いつつ……後ろから突き刺さる視線の主の方は、もう見たくなかった。
そんな彼を、二人分の筑前煮を運ぶ瑠璃子が笑顔で追い詰める。
「いやー政宗君はモテモテやねー。昨日、なるみさんから色々聞いたよー」
「一体何を聞いたんですか瑠璃子さん!?」
「え? ここで言ってよかと?」
「スイマセンやめてください……」
多分、ここで暴露されて笑える話ばかりではないだろう。政宗は観念して首を横に振ると……部屋の隅から予備の椅子を運んできた一誠に、目線で助けを訴えた。
そして、その一誠が静かに視線を逸して通り過ぎていく絶望を味わった。
「ねーねームネリン、優しい私を、なして彼女にしてくれんとですかー?」
「いやあのだから、それは……その……」
「ハイハイ分かってます。ムフフ……ムネリンはいじりがいがあって楽しかね」
狼狽と困惑の極みに達し、困り果てている政宗を近くで堪能したセレナは……笑いながら腕の拘束を解いた。そして、紙皿を破りそうな勢いでコチラを凝視している駆を見やり、小悪魔的に目を細める。
「駆っちは……見てるだけでよかと?」
「えぇっ!?」
次の瞬間、動揺した駆が持っていた紙皿を引きちぎって狼狽した。その拍子に、紙皿の上に残っていたエビフライの衣が、テーブルの上に散らばってしまう。
「あぁっ!!」
目の前を慌てて片付ける駆を、一誠がジト目で見ながら椅子を並べていく。政宗は駆に同情しつつ、着替えのためにそそくさと自室へ引っ込んでいった。
そんな様子を眺めて終始楽しそうなセレナが、ビールのある冷蔵庫へ近づいてくると……自分用にペットボトルの烏龍茶を注いでいたユカが、絶好調な親友を横目で見やり、ため息をついた。
「レナ、あんまり政宗にやりすぎると……千葉さんが可哀想じゃなかと?」
この言葉に、セレナは驚きで軽く目を見開く。そして、どこか嬉しそうにこう言った。
「ユカ……もしかして、やっと嫉妬してくれたと!?」
「いや違うから。政宗はどげんなってもしったこっちゃないっちゃけど……」
ユカがそう言って視線を向けると、テーブルの上を片付けている駆が、どこか釈然としない横顔で割り箸と取り皿を並べている様子がある。
「……自分の好きな人が、その人を振った男とイチャイチャしとるのは……あんま見たくないんじゃないかなーって」
「驚いた……ユカ、そげなこと気遣えるようになったっちゃね」
「ちょっと待ってどういうことなん!?」
目を見開くユカの手から烏龍茶を受け取ったセレナは、それを冷蔵庫に片付けて、中にはいっている缶ビールを取り出した。そしてそれをユカに手渡すと、軽くウィンクしてみせる。
「ほらユカ、ムネリンに持っていってあげて」
「えー」
「私はこれ以上ムネリンに優しく出来んし、イチャイチャ出来んと。親友のユカに注意されたことは、ちゃんと守らんとね」
「……」
そう言われると何も言えない。ユカは手に感じるアルミ缶の冷たさに不快感を感じつつ、冷蔵庫の中から冷やしておいたサラダを取り出す彼女を、横目で見やる。
今なら……聞ける、そんな気がした。
「……ねぇ、レナ」
「ん?」
「政宗の……どこが好きやったと?」
ユカの問いかけに、セレナは思わず息を呑んだ。殊更人間関係をドライに済ませたい、深入りしないことが多いユカが、他人の恋愛にここまで突っ込んだ話題を自分からふってくるのはとても珍しい。初めてと言ってもいいかもしれない。
これまではセレナがどれだけ「政宗を好きだ」と言っても「ふーん」という平坦な反応だけだったのに。
セレナは取り出したサラダを作業台の脇に置いて、静かに冷蔵庫を閉めた。そして、自室から私服に着替えて出てきた彼が、3人の輪の中に入って用意を手伝っている姿を見て……肩をすくめる。
彼の一番好きだったところ、それは……。
「そうやね……色々あるけど、一番は……」
セレナはここで言葉を切ると、斜め下にいるユカを見下ろした。
そして……左手の人差し指を立てると、少し意地悪に答えを告げる。
「私の好きな人を、私以上にずっと好きでい続けとる……真っ直ぐなところやね」
「へ?」
的を得ないセレナの答えに、ユカが真顔で首を傾げた。セレナはそんな彼女の後ろをすり抜けて、サラダを持ってテーブルの方へ向かう。
入れ違いにキッチンへ戻ってきた瑠璃子が、顔をしかめているユカを見下ろして……優しく声をかけた。
「ユカちゃん、そげなところでとげんしたと?」
「いや、なんかセレナに訳の分からんことを言われて……」
先程の言葉の意味は、何度考えてもはっきり分からない。コップとアルミ缶を持って首をかしげるユカに、瑠璃子は「ムフフ」とセレナのマネをして笑いながら、「そうだ」と思い出したよう呟いてにユカを見つめた。
「日程とか、詳細は近くなってから知らせるんやけど……ユカちゃん、来月か再来月に、一度福岡に来てもらうことになると思うんよ」
「へ? なしてですか?」
唐突な話にユカが目を丸くすると、瑠璃子がコップを水で洗いながら言葉を続ける。
「西から東に移動した職員は、ユカちゃんが初めてやけんね。西日本側で聞き取りたいことがあるみたいなんよ。まぁ、中間報告って感じかなー。事前に調査票に書いて、その内容について少し突っ込んで聞かれる感じだと思う。あ、聞くのは私やけん、安心してねー」
瑠璃子はそう言って、洗い終えたコップを食器用の水切りカゴに伏せた。
「まぁ、2泊3日くらいやけん、里帰りだと思って覚えとってね」
「分かりました」
「そんなユカちゃんは……仙台で、楽しくやっとる?」
「え……?」
とても漠然とした問いかけに、ユカは彼女を見上げた。瑠璃子は筑前煮を煮た片手鍋に蓋をすると、ユカに笑顔を向ける。
しばし思案したユカは、手に持ったビールを見下ろして……肩をすくめ、ため息を付いた。
「そうですね……大変なことも多いですけど、全部勉強になってます。それに……」
今日までのドタバタを、仙台に来てからの色々を思い返してみると、毎日が忙しくて、どの仕事も大変で、これ以上何も出来ないと思ったこともある。
けれど……そこに政宗がいて、統治がいて。
心愛や里穂、仁義、華蓮、分町ママ、聖人、彩衣、櫻子……他にも多くの出会いがあった。
彼らと意見を交わし、時に衝突しながらも、何とか乗り越えてきた。その積み重ねで今があると、改めて思う。
ユカは視線の先にいる政宗を見た。すると、視線に気づいた彼もまた、ユカの方を見やり……早くこっちに来いと言っているような、とても楽しそうな笑顔を向けてくれるから。
ここに早く統治も合流すればいいのに、と、そんなことを考えてしまう。
「あたしを、ここで待っていてくれた人がいるので……今、とても楽しいです」
その答えを聞いた瑠璃子は、眼鏡の奥に優しい笑顔を浮かべて……一度、満足そうな表情で頷いた。
「そっか、それは良かった。じゃあ、ご飯食べようかねー」
「はいっ!!」
瑠璃子と並んでテーブルの方へ戻ると、待ちかねた表情の政宗が笑顔で手を伸ばす。
「ケッカ、ビールありがとな」
ユカはとても爽やかな笑顔で彼の手をスルーすると、反対側の席へ行こうとした瑠璃子に、持っていたビールを手渡した。
「瑠璃子さんこれどうぞ。政宗は明日運転があるんで、今日は飲酒厳禁なんです」
「あ、そうやったと? ありがとー」
「ケッカの裏切り者!! じゃあ、俺の飲み物はどこにあるんだよ!?」
「烏龍茶が冷蔵庫に入っとるよ。同じ茶色で良かったやんね。さっさと自分でついでこんね」
「ケッカぁ……」
絶望の声をあげる政宗を無視して彼の隣に座ったユカは、目の前に広がるごちそうを見つめて、笑顔で手を合わせた。
「あーお腹空いた!! いただきますっ!!」
前はもっと少なかったのに。
気がつくと、福岡にも、仙台にも……同じテーブルを笑顔で囲んでくれる、大切な人が増えていること。
ユカはその喜びを、食べ慣れた筑前煮と共に噛みしめるのだった。
その後、統治も合流して、全員が何となく満腹になった頃。一度食器を片付けてコーヒーブレイクしようという話でまとまった。
一誠と瑠璃子が食器を洗い、セレナと統治が拭いて片付ける。ユカはテーブルのゴミを分別しながら、ビールを1人で4缶飲んで、その上、日本酒も水割りで飲んでも一切変わらない瑠璃子は何者なのだろうと、改めて首をひねるしかなかった。
その近くで政宗と駆が、予備の椅子を並べ直していると……駆が不意に、意を決して政宗を見つめる。
「あ、あの……政宗さん!!」
「う、うん?」
その目の奥に強い気迫を感じた政宗は、何事だろうと首を傾げた。政宗のみならず、ユカやセレナ、同じ空間にいる全員が、彼の言動に注目する。
そんな中、駆は政宗を真っ直ぐに見据えて――強い決意と共に、願い事を口にした。
「俺も……俺も、政宗さんの職場で、働かせてくれませんか?」
文中の挿絵は、おがちゃぴんさんに描いてもらったイラストを流用しました。このために描いてもらったわけではないのですが、このセレナの笑顔を採用したかったのです!! 政宗お前そこ代われよ!! 本当にありがとうございます!!




