エピソード5.5:学生達のアフター5
統治と櫻子を勾当台公園に残した後、ユカ、心愛、一誠の3人は、夕方になっても人の途切れない商店街を通り抜けて、『仙台支局』に戻ってきた。
時刻は17時30分になろうかという頃。ユカがカードキーを使って室内に入ると、応接用の椅子に座っていた瑠璃子、里穂、仁義、環が、3人に気付いて視線を向けた。
瑠璃子がいち早くその場から立ち上がると、3人へ向けて声をかける。
「ユカちゃん、心愛ちゃん、一誠、お帰りー。お茶持ってくるけんねー」
そう言って奥に引っ込む瑠璃子に続いて里穂と仁義も立ち上がり、3人分の座る場所を確保した。
瑠璃子の対応はとても自然で、何も知らない人から見れば、ここの職員かと思っても不思議ではない。ユカは相変わらず凄い人だと思いながら……ドッと疲れが出てきたため、先程まで瑠璃子が座っていた位置に腰を下ろした。その隣に一誠が座り、一誠の前――環の隣に、心愛が腰を下ろす。
そして心愛は、机上に広がっている資料にチラリと視線を向けて……環の研修内容を凝視した。
「嘘、もうこんなことやってるの……!?」
それは心愛が今年の5月頃にやっていた内容で、『初級縁故』試験の練習問題も含んでいた。とはいえ、これは環が早いわけではなく、単に心愛が10年近くサボっていただけなのだが……彼女の焦りを焚きつけるには、十分過ぎる効果があった。
スマートフォンを操作していた環は、自分を凝視している心愛に気付き……首をかしげる。
「名杙……?」
「も、森君……今日の研修内容、ちゃ、ちゃんと理解出来た?」
「多分」
「そっ、そうなんだー、ふーん……」
あくまでもペースを崩さない環に、心愛が若干頬を引きつらせていると……3人分のお茶を持ってきた瑠璃子と、3人分の椅子を調達してきた里穂と仁義は戻ってきた。瑠璃子は慣れた手付きでお茶を配膳すると、仁義が持っていたパイプ椅子を受け取り、一誠の隣にそれを出して腰を下ろす。
ユカは自分の前に置かれたマグカップが、普段自分が使っているものであり、他の二人分が来客用のコップであることに気付き、目を丸くして彼女を見つめる。
「瑠璃子さん、ありがとうございます……コップとかよく分かりましたね」
「昨日とか見とったけんね。そういうのに気付くのも、経験あってのものかなー」
そう言いながら余裕を持って笑う瑠璃子は、どこからともなく取り出したくるみゆべしを口に入れると、幸せそうな表情で咀嚼した。
「いっふぇい、おひゃちょーらいねー」
「食べるか喋るかどっちかにしろよ……」
口をモゴモゴさせて手を伸ばす瑠璃子に、一誠がまだ一口も飲んでいない麦茶を渡す。
瑠璃子がお茶を飲んで一服していると……彼女の隣に座っている里穂が、ユカの方を見て問いかけた。
「ケッカさん、櫻子さんは……大丈夫だったっすか?」
「あ、うん。結論から言うともう大丈夫。まぁ、色々あったっちゃけどね……」
ユカが肩をすくめて一部始終を説明すると、里穂が「そんなことになってたっすか……」と呟いて足を組み替えた。
「でも、櫻子さんが無事で何よりっすね。ココちゃんもお疲れ様っすよ」
こう言って里穂が心愛に笑顔を向けると、心愛は顔を赤くして気恥ずかしそうに視線をそらした。
「こ、心愛は別に……半人前で何も出来なかったから……」
「そんなことないっすよ。ココちゃんが一人前じゃなかったら、政さんもココちゃんじゃなくてジンを外に出してたと思うっす。うち兄もココちゃんがいてくれてよかったと思ってるに決まってるっすよ!!」
「りっぴー……うん、ありがとう」
里穂の言葉に嘘がないことは、心愛もよく分かっていた。だからこそ素直に受け入れて、「ありがとう」と返したくなる。やっぱり彼女には敵わないなぁと思いながら、心愛は手元のお茶を一口すすった。
すると、机上に置いていたユカのスマートフォンが振動する。ユカがマグカップを置いて差出人を確認すると、相手は政宗だった。本文に記載された内容をざっと確認したユカは、「了解。気をつけて」と手短に返信をすませると、画面を消して全員の方を向く。
「スイマセン、政宗の代理として、これからの指示を出します。まず、森君、心愛ちゃん、里穂ちゃん、仁義君は、今日はもうこれで終わり。各自片付けをして帰ってください。森君はアンケートを週明けまでに政宗に出しとってね」
「うす」
環が頷いたことを確認したユカは、隣に座る一誠と、その向こう側にいる瑠璃子に向き直った。
「次に、一誠さんと瑠璃子さんなんですけど……今回の件については時給換算で賃金をお支払いします。一誠さんは『縁故』として4時間分、瑠璃子さんは研修の講師として同じく4時間分です。それの関係で明日もう一度ここに来て、書類に署名をして欲しいそうです。後ほど政宗から連絡がいきますので、宜しくお願いします」
こう言って軽く頭を下げるユカに、一誠が苦笑いを返した。
「そげん気を遣わんでよかっちゃけどなぁ……」
「それが政宗くんなりの誠意なんやけん、ありがたく受け取ればよかと。じゃあ、晩ごはんは一誠の奢りやねー」
「講師の時給のほうが高いよな!?」
思わず一誠が突っ込みを入れた瞬間、ユカのスマートフォンが再び振動した。次は統治から、櫻子と共に『仙台支局』を目指して移動を開始したという連絡だった。
確認後に簡単な返信を済ませると、心愛がどこかソワソワしたような気配でユカを見つめていることに気付く。
「……心愛ちゃん、どげんしたと?」
「へっ!?」
ユカの言葉にビクリと両肩を震わせた心愛は、気恥ずかしそうに視線をそらしながら……衝立の向こう側に視線を向けた。
「あ、あの……片倉さんは残業なの?」
「片倉さん? 政宗からは特に指示がなかったけんが、本人の仕事が終わってれば定時上がりやね」
心愛から華蓮について聞かれると思っていなかったユカが返答しつつ首をかしげると、心愛は「分かったわ」と返答して、自身のスマートフォンを操作し始めた。
何が何だか分からないけど、まぁ、本人が分かったと言っているならまぁいいやと思っていると……ユカのスマートフォンが三度振動する。
送り主はセレナだった。ユカは一体何だろうと中身を確認して……。
「あ……」
その内容に、思わず声が漏れた。表情が強張ったのが、自分でもはっきりと分かる。
ユカは慌てて返信を作ろうとしたが、どんな言葉を選べばいいのか分からないまま……スマートフォンを持って、十数秒間固まっていた。
「山本ちゃん……?」
隣にいる一誠から声をかけられ、慌てて我に返る。そして手短に「お疲れ様。気をつけてね」とだけ返信してから、スマートフォンの画面を消した。
そして、自分を心配そうな眼差しで見つめる一誠に苦笑いを向ける。
「スイマセン……ちょっと糖分足りなくて、固まってました。そういえば一誠さん、外で2本コーラ飲んでましたけど、大丈夫なんですか?」
「山本ちゃん!?」
刹那、一誠が「なんでバラすんだ」という批難じみた視線を向けるが……それ以上に背後から感じる気配に顔をひきつらせ、ギギギという効果音が似合いそうなほど、ぎこちなく隣を見やる。
そこにいた瑠璃子は、口元こそいつも通り笑っていたけれど……眼鏡の奥にあるその目は、完全に笑っていなかった。
「一誠……加糖の炭酸飲料は控えるんじゃなかったとー?」
「い、いやそれは……勿論今からは控えるけどな……!!」
「出発前もそげん言いよったよねー。一誠の「今から」は一体いつになるとやかー?」
瑠璃子からの視線に耐えられない一誠は、盛大に明後日の方向を向いた。ユカは話題の中心が自分でなくなったことに安堵しつつ……先ほど、セレナから届いていたメールを思い出し、いますぐこの場を出ていくことが出来ない自分に、もどかしさを抱いでいた。
その後、時刻は18時過ぎ。
瑞希が出社し、統治と櫻子が戻ってきた支局内は、にわかに活気づいていた。政宗も間もなく戻ってきて、統治と再び出ていくことになっている。
「櫻子さんが元気だったら、一緒に見に行けたっすけどねぇ……」
応接用のソファに座っている櫻子に、帰り支度を済ませた里穂が残念そうな眼差しで呟いた。
そんな里穂へ、仁義が苦笑いで突っ込みを入れる。
「里穂、どのみち今日の櫻子さんは無理だよ」
「ハッ!? そうだったっす。元々ここのお手伝いだったっすね」
こう言って目を見開いた里穂に向けて、櫻子が青白い顔にいつもの笑顔を作り、はっきりした声でこう言った。
「心愛さん達が作った飾りは……明日、ちゃんと見に行くつもりです。それまでに頑張って回復しておきますね」
「そうして欲しいっす。ね、ココちゃん」
こう言って里穂が心愛を見ると、心愛は視線をそらしながらも頑張って頷いて。その様子を見た統治が、隣にいる仁義を見下ろして言付けた。
「仁義、すまないが心愛達を頼む。俺たちも近くにはいるが、何かあればすぐに教えてくれ」
「分かりました。統治さんも連続でお疲れ様です。無理しないでくださいね」
「ああ」
統治がそう言った時、衝立の向こうから帰り支度を整えた華蓮が顔を出した。次の瞬間、里穂が盛大に目を輝かせて……待ってましたと言わんばかりに、彼女の隣に並ぶ。
「フッフッフ……片倉さん、逃さないっすよ」
「……別に逃げませんよ。諦めてますから」
「それは素敵な心がけっすね!!」
華蓮の嫌味を笑顔で受け流した里穂に、華蓮はジト目を向けてため息をついた。
彼女がいつも通り帰らない理由は、華蓮もまた、ここにいる学生メンバーと一緒に、心愛たちが作った七夕飾りを見に行くためである。終業10分前から里穂に声をかけられ続けた華蓮は、開始1分で諦めた表情で「分かりました」と白旗をあげ、彼女たちに同行することになったのである。
華蓮がカバンを持ち直して息をつくと……笑顔の里穂の隣に、どこか申し訳無さそうな心愛がいることに気がついた。
心愛が最初に声をかけたことを、どこか気にしているのかもしれない。最終的に行くのを決めたのは華蓮自身なのだから、これ以上気にする必要はないのに。
「――あの、心愛さん」
「は、はいっ!?」
唐突に声をかけられた心愛は、びっくりして思わず目を見開いた。華蓮はそんな彼女を見つめ……少し緊張したような面持ちで言葉を続ける。
「えっと……お声掛け、ありがとうございます。宜しくお願いします」
「よ、宜しくお願いしますっ……!!」
何やら堅苦しい言葉の応酬に、間に入っている里穂が「ヤレヤレ」と肩をすくめた。そして、停滞している話の流れに割って入る。
「2人とも、お見合いの続きは後にして欲しいっすよ。そろそろ行かないと、下で阿部さんや島田君が待ってるんじゃないっすか?」
「おっ……お見合いじゃないもん!! 心愛、先に下に行って待ってるからっ!!」
からかう里穂から逃げるように出ていった心愛の背中を視線で追いかけた統治が、ニヤニヤしている里穂にジト目を向けた。しかし里穂はその程度で動じることもなく、荷物を持ち直して櫻子に向き直る。
「それでは、失礼しますっす。櫻子さんもちゃんと休まないと駄目っすよ」
「はい、ありがとうございます。気をつけて楽しんでくださいね」
櫻子に笑顔を返した里穂は、心愛を追いかけるために小走りで部屋を出ていった。その後に続く仁義と華蓮、環も、それぞれに会釈をして部屋から出ていく。
急に広く、静かになった室内で、瑠璃子がコップの片付けをしようとお盆を持って移動しようとした。ユカは慌てて彼女の側にかけよる。
「瑠璃子さん、置いといてください。後で片付けておきますから」
「そう? じゃあ、お願いねー」
瑠璃子はそう言って、コップののったお盆を応接用のテーブルに置く。そしてカバンに入れたスマートフォンを取り出すと、顔をしかめて首を傾げた。
「セレナちゃん……どげんしたとやか」
「レナ、どうかしたんですか?」
「18時30分にこの下に集まって、ご飯に行こうってメールを送ったと。ユカちゃんは仕事になったけんが、今日は行けんって分かっとるけど……セレナちゃんから返事が返ってこんとよ。スマートフォンの電池でも切れたっちゃかねぇ……」
瑠璃子がそう言って、スマートフォンの画面を暗くした時……扉が開き、政宗が1人で戻ってきた。
先程、セレナからユカに届いたメッセージを思い出し、ユカは思わず彼から視線をそらす。
スマートフォンの画面に表示されたのは、政宗に告白してフラれた……という、簡素な一文のみだったから。




