エピソード5:恋はイリュージョン②
その後、とりあえず櫻子を公園の隅に誘導したユカと一誠は、彼女と共に、先程も櫻子を連行した公園内のステージ真裏に移動。彼女を花壇のレンガの上に座らせた瞬間、その隣に立ったユカが無言で左手を伸ばし、櫻子の頭上から出ている『因縁』を掴んだ。
体に違和感を感じた櫻子がユカを睨むが、この程度で動じるようなユカではない。むしろ、櫻子の体を使って彼女の評価を落としたことで、怒りしか湧き上がってきていないのが現状だ。
「……これで逃げられんよ、織河姫乃さん」
あえてその名前を強調して呼ぶと、彼女が舌打ちをして視線をそらす。先程の威勢はどこへいったのか、急に口を閉ざした様子を見ると……自分からは何も語るつもりがないらしい。
ご立腹のユカは憮然とした表情のまま、一誠に視線を向けて……同時に、右手でカバンの中をあさり、商売道具でもあるハサミを取り出した。
「一誠さん、やっちゃっていいですよね」
「俺は別に構わんが……単独で切れそうか?」
「う、それは……」
一誠の指摘にユカが思わず口ごもる。実際、左手で掴んでいる櫻子の『因縁』には、まだ姫乃自身の『関係縁』がしっかり絡みついており、それだけを切るとなると、それ相応の集中力が求められることは明白だった。
今、頭に血がのぼっているユカに、そんなに繊細な作業が出来るのだろうか。
出来ればもう少しコチラに心を開いてもらえると対処しやすくなりそうだが……足を組んでそっぽを向いている彼女を見る限り、あまり期待出来そうにない。
口ごもったユカに、櫻子がこれ幸いと口を開く。
「な、何よ!! 結局何も出来ないじゃない!! この体はもうアタシのものなんだから!! 誰にも邪魔はさせな――」
「――あぁもう、少し黙らんねって」
刹那、ユカが低い声の警告と共に左手を上に引っ張った。体に何かしらの負荷がかかったのだろう。櫻子の顔から少しだけ余裕が消える。
とはいえ、これもあまりやりすぎると、最終的には櫻子の体の負荷になってしまうのだ。そのため、本当にここぞという時にしか使えない。
ユカは何度となく深呼吸をして気持ちを落ち着けた後……改めて櫻子を見下ろした。
そういえば統治から、向こうの話が終わり次第こっちに合流するから、それまで彼女を逃さないようにと言われていたことを思い出す。どうやら統治自身でこの『縁』を切りたいらしい。まぁ、気持ちは分かる。
ユカはまだ彼が到着する気配がないことを確認して、とりあえず話を引き伸ばすことにした。
「まぁ、少しくらいは話を聞いてあげてもいいかな。まず、本名は覚えとらんと?」
「……あんなダッサイ名前、覚えてるわけないじゃない」
「なるほどとても明確に覚えとるね。どうせ統治が少し調べれば分かることなんよ。隠してもいいけど、いずれ他人の口からバラされるのと今のうちに自分で白状するのと、どっちがよか? 選んでよかよ」
「……本当、可愛げのないガキよね」
「可愛げねぇ……そげなもの、とっくの昔に捨ててきたけんね」
悪びれない様子のユカに、櫻子は観念したように深く息を吐いた。
そして……ためらいがちに口を開く。
「……安村節子」
その名前を聞いた瞬間、ユカが握っている櫻子の『関係縁』に、情報が付随された。
これまで誰と繋がっているか分からなかった理由は、彼女がずっと仮名を伝えていたからだということが分かった。
そして、この『関係縁』が……誰と繋がっているのかも、察してしまう。
「なんだ、思ったより普通やんね」
「普通じゃないわよ!! こんなダッサイ名前なんて、アタシにはふさわしくないんだから!!」
「いや、自分で『姫』とかつけちゃう人よりよっぽど信頼感はあるけど……」
「うるっさいわね!! ペンネームなんて基本的に黒歴史なのよ!! 自分で自分の好きな名前つけて何が悪いの!?」
「いやまぁ……悪くないけどね……」
やっぱり自分はセレナのように上手く相手の話を引き出せないなぁ、と、ユカが己の包容力のなさに疲弊していると……一誠がしゃがんで彼女と視線を合わせ、確信を問いかける。
「それで、彼女の体を使って何をするつもりやった? さっきの彼に言いがかりつけるだけで終わるつもりやなかったやろ?」
この指摘に、彼女は表情を曇らせて視線をそらした。
「……別に」
「言えるうちに言っといたほうがよかぞ。『死人に口なし』ってことで……あることないこと言いふらされてもいいならな」
「……」
「そもそも『名杙政宗』って名前がおかしいし、君がイチャモンをつけたのは名杙君でも政宗君でもなかった……俺にはいっちょん分からん。何が一体どうなっとるとか?」
こう言って彼女を見ると、櫻子は一誠からも視線を逸らした後……観念したように、深く、深くため息をついた。
そして……とても気恥ずかしそうに口を開く。
「……作りたかったのよ」
「は? 作る」
「そうよ!! あの頃、実際に大学にいる人物をモデルにしてノベルゲーを作るっていうお遊びを、友達との間でやってたの!! アタシはシナリオ担当ってことで……名杙先輩と佐藤先輩は目立ってたし、『名杙』って苗字も『政宗』って名前もカッコいいって思ってたから、ネタにするつもりだったのよ!!」
「ちょっと待って。じゃあ、さっきの……馬目さんにイチャモンをつけたのはなして?」
「名杙先輩と佐藤先輩は名前だけなのよ!! 攻略対象の外見のモデルが馬目先輩なの!!」
「ややこしかー!! どっちかに統一せんね2人とも顔は比較的マトモやろ!?」
絶叫するユカに一誠も内心で頷きつつ……「いや、同意したら駄目だよな」と、冷静にユカを見つめる。
ナチュラルに政宗と統治をディスったことに気付いていないユカは、眉間にシワを寄せて話をまとめた。
「えぇっと……つまり、友達と一緒に作ろうとしとったゲームがあって、そのキャラクターの見た目のモデルが、さっきの馬目さんやったってことやね。で、結局……作り終わる前に命を……」
ユカはここまで口にして、「あれ?」と、我に返った。
「じゃあ、さっき話しとった『一度、このお祭りでデートしたことがあるんだから!!』っていうのは、誰のこと? 馬目さん?」
「……」
ユカの問いかけに対して、彼女は何も語らずに視線をそらした。
この反応で、ユカはある可能性に思い至る。
「まさか……それも全部、ゲームの中でやりたかったことなん?」
「……」
「……なるほど。図星みたいやね」
とても分かりやすい反応に、ユカは空いている手を腰にあててため息をついた。すると、二人分の足音が近づいてきて……統治と心愛が合流する。
「山本、何か分かったか?」
「へ? あ、あー……まぁ、実はね……」
ユカが苦笑いで節子の言い分を説明すると、統治の後ろに立っていた心愛が露骨に顔をしかめる。
「えぇー……実在の人物を勝手にモデルにしてゲームを作るなんて、ちょっと失礼な気がする……」
理解出来ないと口を尖らせる心愛に、ユカは内心で同調しつつ……統治に向き直り、先程の2人について確認をする。
「統治こそ、さっきの馬目さんと大黒さん、大丈夫そうなん?」
「あぁ。とりあえず危害までは加えられていなかった。後日、佐藤と一緒に詫びをする予定だ」
「なるほど」
政宗がいれば口八町で言いくるめるだろうし、いざとなれば彼らと櫻子との間に生まれてしまった『関係縁』を切れば、彼らはいずれ、櫻子のことは忘れてしまう。そのあたりの段取りも必要なので、時間を置くというのは至極懸命な判断に思えた。
統治はゆっくりと櫻子に近づき、視線をそらしている彼女を見下ろす。そして……着ていたカーデイガンのポケットから、静かにペーパーナイフを取り出した。
そんなところに抜き身で入れていたのかという突っ込みを飲み込んで、ユカは彼の行動を見守る。
ユカや一誠よりも容赦しない気配の統治に、櫻子の目は盛大に泳いでいた。
「1つはっきりさせておきたい。馬目を探し出して何をするつもりだった?」
「……」
「山本の話だけで判断すると、俺も佐藤も馬目も、誰一人として君とは直接関わっていないはずだ。どうして馬目に接触しようとしたんだ?」
「……名杙先輩には関係ありません」
統治の問いかけに、櫻子は盛大にふてくされた表情で視線をそらした。
これだけ見ていると、いつも穏やかな櫻子が統治に対して腹を立てているように見えるが……実際はそんなに可愛らしい問題ではないので、ユカは見た目と乖離した実情に、改めてため息をつく。
横行な態度の櫻子に、統治は目を細めると……声音を変えずに淡々と警告した。
「これだけ巻き込んでおいてその言い方はないだろう。場合によっては透名さんの名誉を毀損したということで、君の遺族にツケを払ってもらうことになるぞ」
「――はぁっ!?」
刹那、櫻子が目を大きく見開いて統治を睨んだ。
「そ、そんなこと出来るわけないでしょう!?」
「出来ないと思うのは君の勝手だ。ただ……この世界は君が知っていることだけではない。過信しないことだ」
統治の鋭い物言いに、櫻子は視線を露骨にそらした後……観念したように、大きく息を吐く。
これ以上誤魔化したところで、何の意味もないのだから。
それにいずれ必ず、自分は消えてしまう。先程の一誠が言ってたように、死人に口はない。本来であれば誰も知ることのない自分の本音を、今なら、ここでなら……聞いてもらえる。
生きている時は、誰にも言えなかったのに……皮肉なものだ。
「……デート、したかったのよ」
「デート?」
確認するように単語を繰り返した統治に対して、櫻子は強い意志と共に彼を見据えた。
一度せきを切った感情は、制御することが出来ない。
この『4年』の、それ以上の思いが――溢れていく。
「そうよ!! アタシはずっと先輩が好きだったの!! でも、何も言えずに、何も残せずに死んじゃって……ずっと、ずっと心残りだった。だから、ゲームの中みたいに七夕まつりでデートしてみたかったの!!」
それは、心の中に秘めた思いだった。
絵を描ける友人と、ゲーム作りが出来る友人との間で、何となくノリで決まったゲーム制作。実在する人物を参考にキャラクターを起こし、簡単なシナリオと数枚の立ち絵とスチルをつけて互いのスキルアップにつなげる、あわよくば名前を更にいじってフリー公開してしまおう、と……ファミレスで盛り上がった、ノリだけで始めた『お遊び』だ。
その年に発生した災害の影響もあったのかもしれない。未来にそのゲームで遊ぶことで、楽しかった大学時代をより鮮明に思い出せるような……そんなものを作りたいという意識も働いたように感じる。
文芸サークルに所属していた節子は、キャラクター設定とシナリオの担当になった。
舞台は七夕まつり。年に一度のイベントに向けて好感度を上げて、来るべきデートを成功させればハッピエンド……という流れに決まった。
気心の知れた相手と、自分たちの好きな話題で盛り上がるのは、とても楽しかった。
そんなことをダラダラと話していた仙台市内のファミレスで、イラスト担当の友人からメインキャラのイメージをどうするかと聞かれた時……答えたのが、当時、大学へ行くバスの中で居合わせたことがあった馬目岳大の名前。
学祭の実行委員でもあった彼は、他サークルの友人も顔と名前を知っていたから選んだ……という理由は表向き。実際は節子が密かに思いを寄せていたから。
とはいえ、自分から声をかける勇気もなく、ただ、不定期で仙台駅から大学までのバスの中で、偶然一緒に乗り合わせるだけ。
一度、バスの中でパスケースを落としてしまい、拾ってもらったことがあった。でも、そこでお礼を言うのがやっと。そこから発展することもない……その程度の接点だった。
けれど、あの頃はそれで良かった。
バスの中でゲームのシナリオと一緒に彼とのイベントを想像してほくそ笑む。それだけで楽しかったから。
もしかしたら、ゲームを一緒に作ろうとしていた友人2名は、節子の思いを知っていたのかもしれない。けれど、彼女たちとはリアルな感情まで共有していなかった。
ファミレスの机上に広げたルーズリーフに、色々な設定を書き込んだ。そして、『理想の彼』が出来上がると、3人で顔を見合わせて大笑いしたものだ。
その時間は楽しかったけれど……話をしたのは、そこまで。
本物の彼のことが好きだと、誰にも言ったことはなかった。
そして、前期のテストも終わって夏休みに突入する8月。東北の夏は短い。年に一度の七夕まつりで、偶然会えたら……そんな奇跡に期待して、浴衣に袖を通したことを何となく覚えている。
そして、サークルの友人と一緒に、仙台七夕まつりの前日に開催された花火大会からの帰り道――広瀬川にかかる橋を渡っていた彼女に、飲酒運転の車が突っ込んできた。
法定速度を大幅に超過したスピードで突っ込んできた車に跳ね飛ばされた彼女は……暗闇の広瀬川に転落して、命を落としたのだ。
そして、次に気付いた時には――全身濡れた状態で、仙台駅に立っていた。
四肢を自由に動かせるのは、仙台七夕まつりが開催される3日間のみ。それ以外の日々に関しては、何も覚えていない。
そして――毎年、出来ることが減っていった。
最初は走れたのに、2年目から走れなくなって。
最初は水滴なんかなかったのに、徐々に、浴衣が重くなっていって。
最初はどこまでも行けたのに、徐々に、行動範囲も限られてきた。目に見えないシールドが徐々に範囲を狭めていく、そんな感覚。
そして――最初ははっきり覚えていたはずの好きな人のことも、うろ覚えになっていく。
早く、早く会わなきゃ――百万人規模で人が密集する杜の都で、彼女はたった1人を探し続けていた。
七夕であれば織姫のところに彦星が来てくれるけれど、彼女のところに彦星は来ない。
――彼は来ないんじゃない、来られないんだ。
だったらアタシが……アタシがちゃんと、見つけてあげなくちゃ。
いつの間にか……ゲームの中の設定と現実の関係が、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまった。
櫻子は唇をかみしめて目を見開き、統治を睨んで激高する。
「毎年探して、会えなくて……今年やっと、やっと会えたと思ったら、知らない女連れてたのよ!? 大学時代はバスの中で『女に興味ない』とか言ってたのに!! しかも根暗だった文芸研の女なんかと!!」
「……」
こう言いきった彼女の顔が、統治にはとても醜く思えてしまい……思わず、言いかけた言葉を飲み込んだ。
櫻子は統治が何も言わないことをいいことに、今、自由に動かせる両手を見下ろす。
実はこれまでに何度となく試してみた取り憑き。櫻子が政宗と立ち話をしているのを目撃したことで、何となく尾行してみたけれど……まさか、こんなにすんなり成功するとは思っていなかった。
「都合のいいこの器を見つけた時は、運命だとおもったわ。自分の好きに移動出来るようになって、やっと、やっと会えたのに……どうしてアタシばっかりこんなに不幸なの!? どうしてアタシのことを、誰も好きになってくれないのよ!!」
思いが、感情が、溢れ出していく。理性など死んだ瞬間に手放しているので、彼女を止めるものは何もない。
心の中を吐き出して顔を覆う彼女に、統治は一度息を吐くと……冷静にこう言った。
見た目は櫻子の彼女が、どうしてそんなに醜く見えてしまったのか……その理由が、よく分かったから。
「当たり前だ。君は……馬目に好かれる努力を一切していないだろう?」
「え……?」
統治の言葉に、櫻子が顔を上げる。彼はそんな彼女を見据え、湧き上がる怒りを抑えるように、意識して淡々と言葉を続けた。
これは……自分に対して、誰かから言って欲しかった言葉かもしれない。
統治は今まで、異性に好かれる努力をしてこなかった。否、努力をしなくても良かったし、努力を求められたこともない。
自分への好意も、悪意も、全て――この目で見えるのだから。
努力をする必要など、何もなかった。
けれど、10年前のことがあって、統治は自分の成長のために、努力をするようになった。
そして……最近、統治の近くにいる彼女もまた、いつも努力をしている。
スマートフォンのこと、新規事業のこと、そして……ユカや政宗に対すること。
苦手なこと、初めてのことでも、臆しながら、時に失敗して盛大に凹みながら……それでも決して諦めることはなく、自分に出来ることを探して、前に進もうとしているのだ。
そんな彼女を、今すぐに返して欲しい。
統治が知っている櫻子は、自分の過失を他人のせいにして、あんなに醜い顔で罵ったりしないのだから。
怒りで……握りしめた両手が震えた。
「君の行動は、全て自分本位に思える。勿論それを全て否定することは出来ないが……馬目のことが気になっていたならば、話しかける努力をすれば、何か変わっていたかもしれない」
統治の正論に、櫻子は一瞬気後れしたが……すぐに気を取り直して激高した。
「そんなこと、今更言われてもどうしようもないじゃない!! アタシは死んでるのよ!?」
「そうだ。君はもう……この世にいない。ここで俺たちがどれだけ背中を押しても、君がどれだけ彼女の体を使って努力をしたとしても、全て『無駄』なんだ」
「っ……!!」
統治の口から出た『無駄』という言葉に、櫻子の瞳が大きく揺らいだ。
どこかでちゃんと分かっていた。
どれだけ彼を探しても。
仮に、彼に会えたとしても。
全てがもう、遅い。
生前の積み重ねがない、要するにゼロの関係に、死後、どれだけの奇跡をかけあわせても……ゼロにしかならないのだ。
「分かってるわよ……」
声が震える。
目頭が熱くなる。
この感覚は……今、彼女の体が生きているから感じることだ。
「分かってるわよ……そんなこと分かってるの!! アタシだって早く楽にしてほしいわよ!! いつまでも七夕まつりから抜け出せないのも辛いし、本当は彼にも幸せになってほしいけど、でも……そんな簡単に願えるわけないじゃない……!!」
相反する感情がせめぎ合って、心がとても痛い。
自分は死んでしまった。もう、何も取り戻せない。それを実感したら――もう、全てがどうでもよくなってしまった。
だって、だって自分は……。
「だってアタシは幸せじゃないんだもの!! アタシだって……アタシだって、もっと生きたかった!! 好きな人に振られてもファミレスで友達に愚痴ったりしたかった!! アタシだけの彦星様に……会いたかっ……!!」
悲痛な叫びが響き、櫻子は両手で顔を覆って両肩を震わせる。
ユカが何か声をかけようと体を動かした次の瞬間、見張っていた一誠に目線で制される。
そして、一誠が示した視線の先には……ただ静かに彼女を見下ろす、統治の姿があった。




