エピソード5:恋はイリュージョン③
統治はチラリとユカを見やり、静かに一度頷いた。それを合図にユカは掴んでいた『因縁』から手を離すと、立っていた花壇のレンガからおりて、心愛の方へ近づいていく。
そして、どこか落ち着かない表情で兄の行動を見守っている彼女に、小声で耳打ちした。
「心愛ちゃん、彼女はまた逃げるかもしれん。警戒だけは緩めんどってね」
「っ……!! わ、分かった……!!」
心愛が小声と一緒にコクコクと頷いたことを確認すると、ユカもまた視線を統治と櫻子に向ける。
統治は両肩を震わせて顔を押さえる彼女を見下ろすと、一度、静かに深呼吸をした。
そして一歩前に踏み出して彼女の前に立つと、櫻子の『因縁』を注視して……口元を引き締め、ズボンのポケットからハンカチを取り出した。
「……死んでしまった後では、何も取り返せない。君の後悔に関して、今の俺が力になれるのであれば協力したかった。ただ……」
ただ……と、言って口をつぐんだ統治の言葉に顔をあげた櫻子は、涙の滲んだ瞳で彼を見上げる。統治はそんな彼女に取り出したハンカチを差し出すと、笑っていない目元のまま彼女を見つめ、言葉を続けた。
ここで優しい言葉をかけたところで、気休めにもならない。
それに……本音ではない取り繕った言葉が、今の彼女を動かせるとは思えなかった。
だから――統治はあえて、言葉を選ばない。
自分の意志をはっきりと、齟齬なく、彼女に伝えるために。
「馬目には馬目の幸せがあるし、透名さんには透名さんの生き方がある。今、俺が君の力になるということは……その2人の権利を侵害することになってしまう可能性がある。そんなことに、俺は加担出来ない」
迷いなくはっきり告げた統治に、櫻子は目を見開いて……苦笑いを浮かべる。
そして、ハンカチを受け取ると……涙の残る目元をそっと、ハンカチでおさえた。
力任せにゴシゴシこすって、あとがついてしまったら……彼女に申し訳ないから。
「そんなこと……言われなくても分かってるわよ」
「……そうか」
「でも……ありがとう。はっきり言ってもらえてスッキリしたわ」
櫻子はそう言って、統治にハンカチを返却した。そして……憑き物が落ちたように――実際はまだ取り憑いているのだが――落ち着いた表情で統治を見上げ、肩をすくめる。
「生きている間に……名杙先輩に会って、相談してみたかったなー。そしたら……何か、変わっていたかもしれない。アタシの周囲には、悪いところをはっきり言ってくれる人、いなかったから……」
「俺は、運が良かったんだ。他人の欠点を指摘したり、真剣に怒ってくれたり……そんな人達に出会って、俺は挫折を知って、変わることが出来た」
こう言って一誠に視線を向けると、彼が自分にとても優しい眼差しを向けてくれていることに気がつく。
福岡の合宿で、初めて統治を叱ってくれたのは……10年前の一誠だった。
「お前がどんな人生を送ってきたのかには興味ねぇよ。ただなぁ……自分の環境にあぐらをかいて、やるべきことを中途半端以下にしかしていない、そげな中途半端な奴が名杙なんて大それた名前を名乗るんじゃなかぞ!! お前の能力は桁違いなんだ、冗談抜きで人が死ぬ!! そうなったら……お前、どうやって責任取るつもりだ!? 佐藤君が万が一『痕』になったら、『縁』、切れんのか!?」
自分の見通しの甘さから、政宗や周囲に迷惑をかけて……そのことを本気で叱ってくれた人。
今まで自分に接してきた大人とは違い、ちゃんと目を見て叱ってくれた一誠。そして、そんな自分をフォローしてくれた瑠璃子に、対処法を教えてくれた麻里子。
そこから……信頼できる仲間や大人に出会えた統治は、変わることが出来たと思っている。
挫折を知って変わったと言い切った統治に、櫻子は軽く目を見開いた後……唇を噛みしめると、静かに頭を下げた。
生きている間は、変わることが出来ずに……遠くを眺めて、羨んでばかりだった。
そんな自分のまま、消えたくはない。
これで最期なのだから、後悔は何も残さないように。そう思ったら、自然と頭を下げていた。
「迷惑をかけて……ごめんなさい。この女性にアタシから直接謝れないのは申し訳ないし、自己満足だって分かってるけど……一言、伝えて欲しいの」
「分かった。必ず伝えておく」
「ありがとう。これで心置きなく成仏出来るわ」
顔をあげた櫻子は、穏やかな表情で目を閉じた。統治は彼女の頭の先から伸びている『因縁』を掴むと、優しく、自分の手元へ手繰り寄せる。
2本の『因縁』を結びつけるように絡みついている節子の『関係縁』は、少し色が薄くなり……少しだけ、緩んでいるように感じた。
このまま放っておいても消えてしまうとは思うが、しっかり切って、櫻子に何の影響も残らないようにしておきたい。
自分なら――名杙直系の統治であれば、それが可能だから。
名杙の特性は、『優勢』であること。統治がこの『関係縁』を切れば、名杙直系の影響力で、一般人の『関係縁』など跡形もなく消えてしまう。これが政宗やユカなどの中途覚醒であれば、自身の影響力が及ばすに、切ったはずの『関係縁』の一部が糸くずのように残ってしまい、気だるさや頭痛などの後遺症を引きずることが稀にあるのだ。
統治は久しぶりに、自分が名杙の生まれであることを良かったと思えた。
そして、肩の力を抜くと……神経を集中させて、少し緩んだ『関係縁』と『因縁』との間に、持っていたペーパーナイフを滑り込ませる。
「安村節子さん、貴方の命を……一旦、天に返します」
そしてそのまま、静かに……ナイフを持った手を、自分の方へ引いた。
音もなく、敬意だけを払って、ただ……静かに。
『関係縁』が静かに切れた次の瞬間――櫻子の体からガクリと力が抜けて、前に倒れ込んできた。
「っ――!!」
統治は咄嗟に持っていたペーパーナイフを地面に放り投げると、自分の方へ倒れてきた彼女を両手で受け止め、ゆっくりとその場に座り込んだ。
そして、櫻子の口元にそっと耳を添えると、呼吸をしていることを確認する。
「……終わったか」
「お、お兄様!!」
節子の気配が消えたことを悟った心愛が、慌てて二人の方へ駆け寄ってきた。そして、地面に落ちている彼のペーパーナイフを拾い上げて、土埃を払い落とす。
そして統治の隣にしゃがみ込むと、彼のカーディガンのポケットにそっと戻しておいた。
「大切にしないと……お父様に怒られるわよ」
「そうだな。すまない」
「お兄様、櫻子さんは……?」
心愛が心配そうな眼差しで座っている2人を見下ろすと、統治の腕の中で、櫻子の体がピクリと動いた。
そして、ぼんやりと目を開けた櫻子は……現状を理解出来ず、少し青白い顔で眉をひそめる。
「わた……し……何、を……」
「大丈夫か?」
「な、く……なく、い……さっ――!?」
自分の現状を理解した櫻子が、彼の腕の中で盛大に目を見開いた。そして、慌てて1人で座ろうとして統治から離れようとするが……力がうまく入らず、別の方向に倒れそうになってしまった。
「櫻子さん!?」
心愛が慌てて彼女の背中を後ろから支え、何とか事なきを得る。安堵の息をついた心愛は、目を白黒させている櫻子に苦笑いを向けた。
「まだ本調子じゃないと思うので、いきなり動いたら危ないですよ」
「心愛さん……名杙さん……」
櫻子は心愛と統治を交互に見つめた後、自分を見守っているユカと一誠の方へ目線を向けた。
「ユカちゃん……川上さん……」
2人もまた、優しい表情で櫻子を見下ろしている。
誰も彼女を責めることはない。
自分がどうなったのか、今は何も分からないけれど……これだけの人に囲まれているということは、自分は……とても、浅はかな行動をしてしまったのだ。
きっと――とても、迷惑をかけてしまった。
櫻子は視線を地面の方へ向けると、静かに、両手を膝の上で握りしめた。
「ご迷惑を、おかけして……本当に申し訳――」
「――櫻子さんが無事で良かったですっ!!」
謝罪の言葉をさえぎり、心愛はあえて大きな声を出した。案の定、全員の注意が心愛に向けられ、思わず気恥ずかしさで頬が熱を帯びる。
でも、心愛はどうしても、櫻子にこれ以上、後悔の言葉を口に出してほしくなかった。
確かに彼女の行動は軽率だったかもしれない。けれど……それは決して、自分本意な気持ちだけではなかったのだから。
「櫻子さんは元々、心愛達のお手伝いをするために、仙台まで来てくれました。むしろ巻き込まれちゃったんです……だから、櫻子さんは何も悪くありませんっ!!」
「心愛さん……」
「今日はゆっくり休んでくださいね。お兄様、流石に今日は櫻子さんにこれ以上何もさせたりしないでしょう?」
「あ、ああ……」
心愛の問いかけに統治は頷くと、どこか申し訳なさそうにユカを見つめる。
「山本、申し訳ないが……」
「夜はあたしが入るけん大丈夫。統治も政宗に相談して、櫻子さんのフォローとかお願いね」
「ああ、分かった」
こうして、櫻子がオロオロしている間に話がまとまった頃、広場のステージでイベントが始まり、丁度裏手にあたるこの場所が、にわかに騒がしくなってきた。
スピーカーから聞こえる大音量の音楽に一誠が顔をしかめて、4人に異動を促す。
「とりあえずここから離れようか。これからの打ち合わせもしときたいけんな」
5人が勾当台公園の市民広場に戻ってきた時、時刻は17時を過ぎたところだった。人の多さは相変わらず。ただし、ステージで何やらトークイベントが始まったことで、人の流れがそちらに向いている。
とりあえず脇にあるベンチに空きを見つけた統治は、体にふらつきの残る櫻子をそこに座らせた。そして、彼女の顔色を確認した後、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。
「山本、俺が佐藤に連絡をしても構わないか?」
「あ、うん。お願い」
ユカが首肯したことで、統治が政宗へ電話をかけ始める。政宗からの指示を待つ間、ユカは櫻子を覗き込んだ。
「櫻子さん、何か飲みますか?」
「え? あ、私は……」
萎縮して首を横に振ろうとした櫻子に、ユカが先に牽制をかける。
「今の櫻子さんの体は、とても疲れていると思います。脱水症状を起こさないためにも、何か飲めるものを飲んで欲しいんですけど……スポーツドリンクも無理ですか?」
「あ、では……それで。お財布を……」
「ああああいいんですいいんです、後で政宗に経費として請求しますから。一誠さんと心愛ちゃんはどげんしますかー?」
その後、全員の希望を確認したユカと一誠が、買い出しのためにその場から離脱する。程なくして電話を終えた統治はスマートフォンを片付けると、櫻子を見下ろした。
「透名さん、今日は申し訳ないですが……俺たちの仕事が終わるまで、『仙台支局』で待機していただくことは出来ますか?」
「え? あ、はい、元々20時まではお手伝いをするつもりでしたので……」
「お兄様、櫻子さん……まだ帰れないの?」
心配そうな表情で尋ねる心愛に、統治は「ああ」と首肯すると、その理由を説明した。
「『重縁』が発生したことを、今から佐藤が名杙に報告する。その指示待ちだ」
「そうなんだ……お兄様がお父様に電話するんじゃ駄目なの?」
「責任者は佐藤だからな。ここで順番を間違えると公私混同だと思われて、名杙における『仙台支局』の評価が下がってしまうんだ」
「あ、そっか……」
納得した心愛は、自分の家系の面倒臭さを実感すると共に、そんな『面倒くさい家』に正攻法で向き合っている『仙台支局』は、改めて凄い組織だなぁという感想を抱いた。
程なくして戻ってきたユカと一誠が、全員に飲み物を配る。櫻子はユカから受け取ったスポーツドリンクのペットボトルを開けるため、両手に力を入れたのだが……。
「……あ、あら……?」
どれだけ脳に命令しても、両手の指先まで力が行き渡らない。要するに力を入れることが出来ず、冷えたペットボトルの表面が、外気温との気温差で汗をかいていくだけになってしまった。
見かねた統治がミネラルウォーターの蓋を閉めると、それを一度心愛に預けて櫻子へ手を伸ばす。
「貸してくれ」
「す、スイマセン……」
これ以上意地を張っても蓋が開く気配が感じられないので、櫻子は素直にそれを手渡した。統治は少し力を入れて蓋を緩めると、櫻子の手にそれを返して……何か思うことがあったのか、真顔で彼女を見つめる。
その横顔にあまり余裕が感じられなかったため、フルーツオレを飲んでいたユカが顔をしかめた。
「統治……どげんかしたと?」
「いや……何でもない。山本に関しては佐藤も同じ見解だった。18時から『仙台支局』にいて欲しいそうだ」
「了解。途中でご飯買って行かんとねぇ……」
頷いたユカがコーラを半分ほど飲んだ一誠を見上げ、またコーラで本当に大丈夫かとジト目を向けつつ……ここからの行動を口にする。
「じゃあ、全員で支局まで戻るんやね」
そう言って確認するように統治を見ると、普段ははっきり「そうだな」と首肯してくれるはずの彼が、若干目を泳がせていた。とても珍しい光景に、ユカは思わず不安すら抱く。
「と、統治……あたし、何か変なこと言った?」
「あ、いや……」
ユカの態度に統治は若干狼狽えた後、自分を落ち着かせるために、手元のミネラルウォーターを一口あおった。そして深呼吸をした後、改めて言葉を続ける。
「俺と透名さんは、後少し……ここで休んで行こうと思う」
「へ? そうなん?」
「ああ。だから先に戻っていてくれないか。佐藤の許可は取っている」
珍しく別行動をしようとしている統治に、ユカは「なして?」と言いかけた言葉を飲み込み……静かに首を縦に動かした。
「分かった。確かに、いきなり櫻子さんを歩かせるのは申し訳ないけんね。あと……櫻子さん、最初からターゲットにされとった可能性もあるし、ちょっと様子見たほうがいいかも」
「そうなのか?」
「結局、そこまで聞きだせんかったけど……さっきの安村さんと初めて喋った時、隣に櫻子さんもおったっちゃけど、最初から櫻子さんだけを狙ってるような口ぶりやったっちゃんね」
ユカは最初に節子と相対したときのことを思い出し、口元を引き締める。
「そこのアンタ、さっきから1人だけ妙な感じだから追いかけてたの!! アタシは一発でピーンときちゃったんだから!!」
この言葉は、ユカに対して向けられたのだと思っていた。
けれど……だとすれば、節子はどうして、ユカではなく櫻子に狙いを定めていたのか。
もしも、節子が最初から櫻子を『追いかけて』いたのであれば――彼女の行動にも説明がつく。
ユカの言葉に統治が神妙な面持ちで口元に手を添えた。ユカはそんな彼を見上げ、努めて明るく言葉を続ける。
「まぁ、今となっては憶測の話やけどね。とにかく2人はあたしがしっかり連れて帰るけん、安心してよかよ!!」
こう言って胸を張ったユカに、フルーツ系の炭酸を半分ほど飲んだ心愛がジト目を向ける。
「連れて帰られるのはケッカの方でしょ……?」
「なっ!? そ、そげなことなかよ!! ケッカちゃんはエスコートくらい出来るっちゃけんね!!」
なおも信頼していない心愛のジト目にユカが「1人で出来ると!!」と子どものような言い訳をしていると、コーラを飲み終えた一誠が「ハイハイ」と間に割って入った。
「何はともあれ、今からの動きは決まったな。透名さん、くれぐれも無理せんでね」
「はい……ありがとう、ございます」
スポーツドリンクを一口飲み終えた櫻子が、青白い笑顔で精一杯頷いて。
一誠を含む3人は、そんな彼女の様子を見ながら……心の中で同じ結論に達していた。
彼女はまだ、歩けるような状況ですらないのだ、と。
書きながら聞いていた曲
・世界の真ん中を歩く(統治Ver)→https://www.youtube.com/watch?v=m2mapt3oBKA
ひたすらこの曲を聞いてました。この曲を統治に歌わせてくれた盟友・八紡つづひさんと、「挫折を知って変わった」というワードを引き出してくれた統治役のジョン・ドウさんに最大の感謝を。本当にありがとうございます。




