エピソード5:恋はイリュージョン①
合流した政宗は、ユカが分町ママから聞いた情報に……思わず、汗の滲んだ顔をしかめた。
「西公園、ですか……」
勾当台公園から西公園までは、目の前にある定禅寺通を真っ直ぐ歩いて、突き当りを左折すればたどり着ける。とはいえ、距離にして役1.5キロ、時間は20分近くかかってしまうのだ。
この込み具合なので、タクシーを使うよりも歩いたほうが早い。とはいえ、相手は常に移動をしており、こちらが西公園へ着く頃には別の場所へ移動している可能性も高いだろう。
「ちなみに政宗、織河さんの名前に心当たりはなかと?」
ユカの問いかけに、政宗はゆっくり首を横に振る。
「大学の関係者だろ? 俺を先輩と呼ぶ女性……ゼミで一緒だったのか、学祭実行委員会だったのか、どっちかだと思うんだけどなぁ……苗字すら思い出せないんだよ」
「政宗が覚えとらんとか、珍しいこともあるもんやね……」
生粋の営業マン気質が染み付いた政宗は、学生時代から人の顔と名前を一致させることには長けていた。そんな彼が、こんな特徴的な名前すら覚えていないというのは、ユカがどうしても引っかかるポイントだった。
そしてユカは、先程分町ママから聞いた言葉を、心の中で反すうする。
「ああいう子の言ってることは、話半分で聞いた方がいいわよ。『痕』はとても不安定な存在だもの。言っていることが全て事実とは限らないわ」
やはりコレが答えなのではなかろうか、だったら自分には何も分からんと脳内で匙を投げるユカを見たセレナが、人知れず浅く息を吐いた。一誠はそんな3人の様子を見終えた後、話を進めるために口を開く。
「西公園、やったか? 全員で行く必要はなか。俺たちが行って確認すればいい」
「そうですね」
そう言って頷いた政宗へ、ユカが慌てて別の案を提示する。
チャンスは今しかない、そう思ったから。
「ね、ねぇ政宗!! 悪いけど……西公園へは一誠さんとじゃなくて、レナと行ってくれん?」
「ケッカ!?」
思わぬユカの言葉に政宗が間の抜けた声を出した。そして……彼女を見る視線を細くすると、冷静に彼女を諌めることにする。
政宗とセレナを2人きりにすること――妙に気を回したユカの目的など分かりきっていた。だからこそ、緊急事態にこんなことを言い出したユカに、政宗は少しだけ、残念な思いを抱いたのだ。
「こんな時に何を言い出すんだお前は。今は緊急事態で――」
「――そげなこと、分かっとるよ」
政宗の言葉を遮り、ユカもまた、座ったまま冷静に彼を見上げた。
勿論、政宗のこの反応は想定済みだ。だからこそ、ユカは正当に言い返す言葉を用意している。
溶けて水に近くなったかき氷をすくって口に含むと……浅く息を吐き、座ったまま彼を見上げてその理由を告げる。
「まだ分からんけど、織河さんが政宗を探しとる可能性があるのは分かっとるやろ? さっき、統治を目の当たりにしても、特に動じとらんかったみたいやけんね」
「それは……まぁ」
「さっき取り逃がしたことで、あたしは彼女から警戒されとるけん、姿を見られたら逃げられると思う。今のあたしの足じゃ、着替えたって追いかけっこには不向きやし、政宗より土地勘も薄いけんが、こっちで迎え撃つ側にまわりたい。でも、レナはさっき、彼女の話を親身になって聞いとったけんが……まだ、急に逃げられんと思うんよ。ましてやそこに政宗がおったら尚の事、向こうに隙が生まれる可能性がある」
「『痕』が俺とセレナちゃんが一緒にいることに逆上するかもしれないぞ?」
「その時は何とかせんね。そのために来たっちゃろ?」
そう言って彼を見ると、政宗は二の句を継げずに黙り込んだ。ユカはこれ幸いと一誠を見上げ、この案を推してくれと視線で訴える。
一誠は一度、セレナと政宗を見た後……ヤレヤレと肩をすくめた。
「時間が惜しい。ここで西公園に誰も向かわないわけにもいかんな。土地勘のある政宗君と、人懐っこい橋下ちゃんでいいんじゃなかとか?」
「一誠さんまで……!!」
「なんやね政宗君、橋下ちゃんと一緒なんは、嫌なんか?」
「いや、そういうわけでは……」
「確かに山本ちゃんが変に気を遣っとるのは分かるけど、山本ちゃんの言うことも一理あると思う。ずっと同じ組み合わせでおるよりも、変えたほうが撹乱出来るかもしれんけんな。政宗君も何かあるなら、今のうちに言っといたほうがよかぞ」
こう言って政宗のコメントを促す一誠に、彼は言いかけた言葉を飲み込んで……セレナの方を見た。
そして、彼女はいつもどおりの表情でいることに気付き、妙に突っかかった自分が恥ずかしくなる。
それに……いつまでも、彼女に向き合わないわけにもいかない。
政宗は「分かりました」呟いた後、かき氷を食べ終えたセレナを見下ろした。
「ここから少し歩くけど……大丈夫?」
「大丈夫です!! 福岡でも動き回ってますし……ムネリンより若いですから!!」
こう言って笑顔を向けるセレナが、今の政宗にはとても頼もしく思えた。
その後、2人で出発した背中を見送り……ユカはそっと、セレナが食べ終えたかき氷のカップを、空になった自分のカップに重ねた。
いつもであれば、彼女が気付いてゴミを捨ててくれていたけれど。今回は……自分が彼女に気を回す番だから。
「……これでいいんか?」
「はい。少なくとも……あたしは満足です」
何の躊躇いもなく頷いたユカの横顔を確認して、一誠はそっと、その頭に手を添える。
「一誠さん?」
「山本ちゃんも橋下ちゃんも……政宗君も、大人になったんやな」
「そりゃそうですよ。まぁ、あたしは……こんなのですけど」
どこか自嘲気味に呟いた言葉は、他の人の声に紛れて消える。
変わっていく世界の中で、取り残されそうな自分。必死にもがき、あがいているけれど……どうしても埋められない差はあると思う。
それを気にしないように生きているけれど、こうして同年代の彼女と並び、年下の里穂や仁義、心愛と仕事をすることが続くと……意識せざるを得ない。
そして何よりも、成長した自分の姿を見てしまうと、余計にそう思う。
今の自分は、仮初め。本来の姿ではない。
自分は――他とは違うんだ、と。
静かに俯いたユカの頭から手を離した一誠は、先程セレナが座っていた、ユカの隣に腰を下ろした。
そして頬杖をつくと、気さくな笑みを向ける。
「山本ちゃん、仙台はどげんや? やっぱ、忙しいんか?」
「へ? あ、あぁ……まぁそうですね。福岡より小規模ですけどやることは同じなので、あたしも事務仕事とかやらなきゃいけなくて……てんてこ舞いです」
「そうなんか。確かにメンバーが若い分、山本ちゃんや政宗君、名杙君の経験だけで引っ張ってるようなもんやろうけんなぁ……」
「でも、半分以上は名杙直系ですし、新しいメンバーも増えて……本当、これからの組織だなって思ってます」
「そうやな。ここでは山本ちゃんの力が必要だと思う。ただ……」
一誠はここで言葉を切ると、改めてユカを見つめた。そして、とても優しいまなざしと共に、確固たる意志を持って言葉を贈る。
「宮城でしんどいことが続いたら……いつでも福岡に帰ってきてよかよ。山本ちゃんの故郷は福岡だって、俺は勝手に思っとるけんな。それに、政宗君と名杙君への説教なら『慣れとる』けん……困ったことがあったら、いつでも言ってくれ」
「一誠さん……」
「さて、もう少し休憩したら、俺達も移動せんといかんな。とはいえ……俺も喉が乾いたけん、ちょっと何か買ってくるね」
そう言い残し、彼はゴミを持って一度離席した。そして、自動販売機から500mlのコーラを勝って戻ってくると、開栓して喉に流し込み、呼吸を整える。
ユカは満ち足りた表情で息を吐いた横顔を見つめ、少し意地悪にこう言った。
「コーラ、飲んでいいんですか? 瑠璃子さんから糖分摂りすぎだって怒られますよ?」
「こ、これは0カロリーやけん大丈夫!! ったく、瑠璃子の方が糖分摂取しとるんに、なして健康診断で引っかからんとか……!!」
ブツブツ言いながらラベルを確認する一誠を横目に、ユカはスマートフォンで時間を確認した。
気づけは時刻は16時30分になろうとしていた。いくら日の入りが遅いからといっても、暗くなってからは探しにくくなることは分かりきっている。それに、恐らく飲まず食わずで動き回っているであろう櫻子の体の疲労も気になった。そろそろ追いかけっこに決着をつけなければ。
政宗達からも特に連絡はなく、相変わらず、多くの人がここで休憩したり、周辺にある特別展示を楽しんだり……と、思い思いの時間を過ごしている様子。
コーラを飲み終えた一誠は空のボトルにキャップを戻すと、周囲を見渡して顔をしかめた。
「とはいえ……どこに行けばいいんやろうな」
彼が困った表情で息を吐いた次の瞬間――公園の入口付近に、人だかりのようなものが出来ていることに気がつく。
人が遠巻きにその中心にいる誰かを見やり、目を合わせずに足早に立ち去っていく……そんな、『触らぬ神に祟りなし』という空気感。
「何かあったんかな……」
一誠がボソリと呟いたその時、櫻子との『関係縁』を辿ろうとしたユカが、彼女とつながる右手の人差指を凝視した。
「櫻子さん……近くにいます!!」
ユカの案内で人だかりが出来ている方へ近づいてみると、輪の中心で、カップルと1人の女性、計3人が言い争いをしている様子だった。
「――だから、君は一体誰なんだ!! いい加減にしてくれ!!」
輪の中心にいる唯一の男性は、外見の年齢が20代中盤くらい。身長は180センチ前後で、服装はグレーの半袖ポロシャツと明るい青のジーパン、スニーカーという組み合わせ。短髪が似合う、全体的に明るい雰囲気の男性だった。もっとも今は、その顔に困惑しか張り付いていないけれど。
彼は自分より小柄な彼女を守るために、体を張っているようにも思えた。そして、そんな2人に堂々と言いがかりをつけているのが――
「だーかーら!! なんでそんな得体の知れない女となんか一緒にいるんですかっ!! この浮気者っ!! 最低!!」
すっかり据わったツリ目でまくしたてる、櫻子の姿だった。
「こげなところで……!!」
ユカが舌打ちして動くより早く、一誠が先に輪の中に飛び込んでいた。そしてあっという間に櫻子の隣に立ち、彼女の肩を掴む。
「――そこまでだ。もう十分、現実を見ただろう?」
「なっ……!?」
櫻子は肩に添えられた手を振りほどこうとするが、一誠は微動だにすることもなく、目の前で困惑している2人を見つめた。
そして、櫻子の方は見ないようにしながら、冷静に問いかける。
「巻き込んでしまって申し訳ない。1つ聞きたいけど……お2人のうちどらかでも構わないが、名杙統治や佐藤政宗という名前に、心当たりはあるかな?」
「名杙に、佐藤……?」
反応をしたのは2人同時だった。そして、異口同音に答えを口にする。
「大学で……ゼミが一緒でした」
「ゼミが同じ……他に個人的な付き合いはなかった?」
この問いかけに、男性の方が「ゼミの関係で、大学時代に何度か飲みに行ったことはありますけど、それ以外は、特に……」と、言葉を濁す。どうやら今は特に親交があるわけではないらしい。
一誠は「分かった、ありがとう」と謝辞を述べた後、先程から彼の手を振りほどこうと頑張っている櫻子を睨んだ。
「……ここで逃げたら、もう穏便に済まされんんぞ。無関係な人間を巻き込んで……これ以上彼女を恥さらしにするつもりか?」
「べっ……別にいいじゃない!! アンタに何が出来るのよ!!」
「そうだな、今の俺は何も出来ん。ただ……彼女はどうかな」
刹那、櫻子の背後に、小柄な女性がついた気配があった。この気配、彼女自身もよく知っている。振り向かなくても分かる殺気に似た圧力に、彼女は悔しそうに唇を噛み締めた。
「さっきのガキがいるわね……!! 何よ、アンタらには関係ないでしょう!?」
「関係ある。君が依代にしとるその女性は……俺の大切な教え子の大切な女性だ。君がこれ以上強行するなら……これ以上、情けはかけん」
こう言って眼光鋭く彼女を睨むと、櫻子がとても悔しそうな表情で舌打ちをした。
程なくして……人の輪をかき分け、『関係縁』を辿ってきた統治と心愛が合流した。そして、統治は顔見知りの2人に気が付き、驚きで軽く目を見開く。
「馬目、それに大黒……」
統治から馬目と呼ばれた彼は、困惑した瞳で統治を見つめ……恐る恐る、櫻子を指差した。
「名杙……な、なぁ、そこの人……お前の知り合いか? 出会い頭にすげー形相でイチャモンつけられたんだけど……俺、マジで何した?」
「え、あ……あぁ、とにかく巻き込んで申し訳ない。彼女の誤解を解くために1つ聞きたいんだが……馬目、『織河姫乃』という名前に心当たりはあるか?」
「織河……? いや、俺は知らないけど……」
そう言って彼が、怯えている彼女を見やる。統治から大黒と呼ばれた彼女は、「あ……」と小さな声を漏らすと、オズオズと口を開いた。
「わ、私……文芸部に入ってたんだけど、学内の違う文芸サークルに、『織河姫乃』って……ペンネーム? とにかく、本名と違う名前を使ってた子なら……」
「ペンネーム……!?」
統治の言葉に、全員が一斉に櫻子を見る。
注目を集めた櫻子は、視線をそらして無言で俯き……それが全ての答えであることを、全身で証明したのだった。




