エピソード4:織姫様の願い事④
厄介なことになった。
目の前にいる彼女が取り憑かれたことを確信した統治は、自分を蔑むように睨みつける櫻子の方へ、一歩踏み出した。
そして、細い腕を掴み、低い声で警告する。
「おい、今すぐ彼女から――」
「――はぁっ!?」
彼女は統治の顔を確認した後……しばし黙り込むと、その口元に意地悪な笑みを浮かべる。
そして――普段の櫻子からは想像も出来ないような大声でこう言った。
「何すんのよ離して!! 痴漢!!」
「なっ……!?」
世の男性が圧倒的に不利になる単語が響き、周囲が統治へ一斉に懐疑的な視線を向ける。
櫻子――に取り憑いた姫乃はその隙をついて掴まれた腕を振りほどくと、祭りの見物客に紛れ――あっという間に遠ざかってしまった。
彼女の長い髪の毛が、揺れる七夕飾りに紛れて――見えなくなる。
「待っ……!!」
追いかけようとしたが、前からやってくる人が多すぎて上手くかきわけられない。
何よりも、自分に明らかな敵意を抱いている櫻子の眼差しが――頭から、離れない。
ここでようやく追いついた一誠が、まごついている統治の肩を掴んだ。
「――名杙君!! 彼女は……」
一誠の言葉に、統治は静かに首を横に振る。少し遅れて追いついた瑠璃子は、周囲の様子を確認しながら……スマートフォンを掴み、政宗へ連絡した。
また、目の前で助けられなかった……そんな後悔を、心の奥に隠しながら。
「――分かりました、ありがとうございます。とりあえずお2人だけでコチラへ戻ってきてもらえませんか? えぇ、統治には引き続き彼女を探すように伝えてください。ケッカ、それに、外に出ている他のメンバーには俺から指示を出しますから……えぇ、はい、宜しくお願いします」
瑠璃子からの手短な報告を受けた政宗は、厳しい表情で電話を切った。
そして、すぐさまスマートフォンを操作して、別の電話をかけ始める。
「――ケッカ、事態が急変した。『重縁』だ。対象の透名さんを探して今すぐに保護してくれ」
用件のみを伝えて電話を切った政宗は、次に仁義へも連絡をして、先程のユカと同じ内容を伝える。
そして、電話を終えた後……自席に深く腰を下ろし、背もたれに体重を預けてため息をついた。
その様子を横目で見ていた華蓮が、たまらずに現状を問いかける。
「佐藤支局長、何か……あったんですか?」
政宗は一瞬思案した後、手元においていたカップを手に取ると、コーヒーを一口すすった。そして華蓮を見つめ……軽く目を閉じる。
「分かりやすく言うと……透名さんが、『痕』に取り憑かれたんだ。俺たちの間では重なる縁って書いて『重縁』って呼んでるけどね」
「『重縁』……」
「人間が『痕』に取り憑かれて自我を奪われた時は、生きてる人間の『因縁』に、『痕』の『関係縁』が絡みついて干渉してる状態になってるんだ」
政宗はそう言って、自分の頭上――『因縁』がある場所を指差す。当然、今の華蓮には何も見えない。
「俺たちみたいな『縁故』は、普段は『痕』対してに『因縁』を見せることはないから取り憑かれないし、仮に取り憑かれても多少は抵抗出来るけど……透名さんみたいな一般人は、どうしても負けてしまう。早いところ絡みついた『縁』を引き剥がさないと、同化してしまうかもしれないんだ。そうなったら、命の保証も危ういかな」
「引き剥がす……どうやって引き剥がすんですか?」
「理想的なのは、『痕』の心残りが消えて、『関係縁』ごと消滅してくれることなんだけど……まぁ、本人を捕まえてちょっと拘束して、その隙に対処することが多いかな。『痕』と違って生きてる人間だから、捕まえやすくなるんだ」
少し物騒なことをしれっと言い放つ政宗に、華蓮が若干引いていると……政宗は手元に届いたメールの着信に気付き、スマートフォンを操作するために視線を下へ向ける。
華蓮もまた、自分の疑問は晴れたので視線をパソコンへ戻しながら……特に移動する気配がない政宗に、横目を向けた。
「佐藤支局長は……透名さんを探しに行かないんですか?」
この問いかけに政宗は顔をあげることもなく、足を組み替えて冷静に返答する。
「流石に……君をここに1人にするわけにはいかないよ、『名波君』」
「……」
そう言われると、何も言い返せない。
華蓮は胸に去来した感情に蓋をして……再び、パソコンに向き直った。
その後、15時に近くなるということで、心愛と別れた仁義と環が『仙台支局』に戻ってきた。ちなみに心愛は建物の1階にある休憩スペースで統治と合流し、既に櫻子を探しに出ている。
ほぼ同時に浴衣から私服へ着替えた瑠璃子と一誠が、『仙台支局』に戻ってきたことで、室内はにわかに騒がしくなった。
政宗はコップ4つと麦茶のボトルを乗せたおぼんを持って4人を出迎え、持っていたそれを応接用のテーブルに置いた。そして、瑠璃子と一誠を見つめ、一度、深く頭を下げる。
「今回は……巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした」
ユカが姫乃を取り逃がし、統治の目の前で櫻子が取り憑かれた。そんな部下の失態を背負って客人に頭を下げる政宗の背中には、しっかりと事態に対する責任がのしかかっている。
何か言おうとした瑠璃子を手で制した一誠は、一歩、前に出て……彼に頭を上げるよう促した。
「今回のことは、俺も瑠璃子もうかつやった。政宗くん達だけのせいじゃなか」
「一誠さん……」
「こうなったら最後まで付き合うよ。俺と瑠璃子も助っ人として頭数に入れてくれ。やられたことはきっちり返さんと……福岡に帰った後、麻里子さんにくらされるけんな」
そう言って笑ってくれる彼と、半歩後ろで頷いた瑠璃子の存在が、今は何よりも心強い。
政宗は「ありがとうございます」と頭を下げた後、次に、環へ麦茶を手渡した仁義を見つめた。
「柳井君、今日、時間はまだ大丈夫?」
「問題ありません。何ですか?」
「俺はこれから、一誠さんと一緒に透名さんを探す。仁義君は瑠璃子さんと一緒に、森君の研修に付き合ってくれないかな。必要なものがあれば、俺の席にあるものを使っていいから」
「分かりました」
こう言って頷いた仁義を確認した政宗は、最後に瑠璃子を見つめた。
「瑠璃子さん、申し訳ありませんが……森君に、『初級縁故』の研修をお願いします。資料は俺の席に置いてますので」
「了解。時間はどれくらい?」
「1時間半です。17時前に支倉さんが来ますので、そこから事務研修もお願いします」
「ハイハイ。お姉さんにお任せあれー」
急に『研修』という仕事を任されても、瑠璃子は一切動じる様子がない。
彼女はそれだけ、場数を踏んでいるのだ。
「電話は奥に片倉さんがいるので、取る必要はありません。何かあれば俺の携帯電話に連絡をお願いします」
政宗はそう言って、壁にかかった時計を見据えた。時刻は14時50分。これから日が落ちて暗くなれば、人探しはやり辛くなってしまう。
「各自、15分休憩を取った後に動いてください。宜しくお願いします」
彼の言葉を受けた各々が頷いたことを確認して、政宗は踵を返すと、自分の席に戻った。そして、財布やスマートフォンなどをポケットに入れながら外に出る用意を整える。
「片倉さん、聞いてたと思うけど……電話番、お願いね」
「構いませんが……『僕』を1人にするわけにはいかなかったんじゃないんですか?」
挑発的に言うと、政宗は口元に笑みを浮かべて……ワイシャツの一番上のボタンを外した。
そして、衝立の向こうを見やり……肩をすくめる。
「残念ながら、ここで妙な気を起こしても無駄だよ。俺の恩師は、君を絶対に見逃さないからね」
一方その頃、合流した心愛と統治は、多くの見物客でごった返すハピナ名掛丁商店街にいた。
ハピナ名掛丁商店街は、仙台駅を出てすぐのところにある最初の商店街。駅からお祭りを楽しむ人、楽しんで駅へ戻る人が混ざり合い、ひしめき合ってごった返していた。
心愛は額の汗をハンカチでぬぐいつつ……隣で自分の手を見つめている統治を見上げる。
「お兄様、櫻子さんとの『関係縁』はどこに繋がってるの?」
「この先のはずなんだが……向こうも移動を繰り返しているな」
統治や心愛のような『縁故』であれば、繋がった『関係縁』を辿って、探している相手にたどり着くことが出来る。しかし、ただでさえ蒸し暑く、人が押し寄せる仙台七夕まつりでは、縁を辿るための集中力も持続せず、走ることも出来ないため、牛歩のような移動になってしまった。
そんな中で移動を続ける彼女はどうなってんだと舌を巻きながら、心愛は頭上に揺れる飾りを見やり、ため息をつく。
「ったく、すばしっこいんだから。ケッカ達と挟み撃ちしたいところだけど……期待はしないほうが良さそうね」
こう言って肩をすくめた心愛は、前から来た団体客の間をすり抜けようとした。しかし、頭上の飾りに夢中になっている彼らが心愛に気付いておらず、相手のショルダーバックが肩にぶつかる。
「きゃっ!!」
予想外の方向からの衝撃に、思わず足がもつれた次の瞬間――統治が心愛の二の腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。
「心愛、大丈夫か?」
「だっ……!!」
いつも以上に近い兄の対応に、心愛は一瞬耳まで赤くした後……一度頷いて俯くと、両足で地面を踏みしめた。心愛の無事を確認した統治が手を離すと、彼女は統治を見上げて……目を細める。
「なんだか、変な感じ。子どもの頃より今のほうが……お兄様に近いなんて」
「……そうかもしれないな」
「あのねお兄様、心愛、学校のみんなと七夕の飾りを作ったの。それが表彰されて、本当に嬉しかったから……これが全部終わったら、お兄様と櫻子さんに見て欲しい。ううん、絶対に2人に見てもらうんだから!!」
こう言って目に強い光を宿した彼女に、統治は一度、力強く頷いた。
時刻は間もなく16時になろうかという頃。昼間の蒸し暑さが少し和らぎ、雲の隙間から青空が見え始めた。
ユカとセレナの2人もまた、ユカの『関係縁』を辿って櫻子を探しているのだが……彼女の移動が中々にトリッキーなため、今の所、遭遇するには至っていない。
心身ともに疲弊してきたところでもあるので、2人は勾当台公園の露店でかき氷を買い、飲食用のテーブルに座って休憩を取っているところだった。
メロン味の氷をすくって口に入れたセレナが、周囲を行き交う大勢の人を見やり……苦笑いでため息をつく。
「……な、中々たどり着けんもんやねぇ……ユカ、大丈夫?」
「うん、あたしは大丈夫……レナこそゴメンね。こげなことに巻き込んで……」
いちご味の氷をすくったユカが、どこか萎縮した様子で頭を下げた。セレナはそんな彼女のかき氷を自分のスプーンで一山すくうと、自分の口に放り込む。
「……んー、いちご味も美味しい!! 普段はムネリンにおごってもらってばっかりやろうけん、コレが終わったら、私にも仙台の美味しいものおごってよね」
「レナ……うん、ありがとう」
親友の気遣いに感謝しつつ、ユカは自分のかき氷をすくって口に含み……これまでの状況を整理してみることにした。
「ねぇレナ、あの織河さんの狙いは……政宗なんやろうか」
「そうやねぇ……さっき、トーチ君を見ても無反応やったっちゃろ? 名前は大分混ざっとったけど、あれだけ盲信になれるってことは……生きとる間、ムネリンによっぽど優しくされたっちゃなかと? なんか……ムネリン、そういうことやりそうやし」
「あぁ……」
セレナの評価にユカが1人で納得した直後、隣に慣れた気配を感じた。まばたきをして視界を切り替えると、分町ママがビールジョッキを片手に佇んでいる。
「分町ママ……櫻子さん、見つかりましたか?」
ユカの言葉にセレナも慌てて視界を切り替え、宙に浮いている彼女を捕捉した。
「この人が、仙台の親痕……!!」
慌てて頭を下げると、分町ママはセレナを見つめて目を細める。
「初めまして。仙台のママこと分町ママよ。今回はトラブルに巻き込まれちゃって……大変だったわねぇ」
「い、いえ。これくらい大丈夫です!! 宜しくお願いします!!」
少しだけ人目を気にして再度頭を下げるセレナに、分町ママもまた「宜しくね」と返した後……かき氷を食べているユカに向き直る。
「あの子、本当に動きがすばしっこいのよね……今はもう、西公園の方へ行っちゃったわ」
「うぇー……商店街と関係ない方じゃないですかー……」
「私も何度か話しかけようとしたけれど、聞き入れてくれないのよ。『美味しいお酒もたんまりあるわよ』って言葉に釣られないなんて、よっぽどね」
そう言ってジョッキの中のビールを煽る分町ママは、ユカからのジト目を受け流し……足を組み替える。
そして、人指し指を立てて忠告した。
「ああいう子の言ってることは、話半分で聞いた方がいいわよ。『痕』はとても不安定な存在だもの。言っていることが全て事実とは限らないわ」
「た、確かに……名杙政宗なんて訳の分からんことを言う『痕』からの情報は、あてになりませんけど……」
そう言って、ユカはかき氷の山を崩しながら……各所に飾ってある七夕飾りを見つめる。
七夕といえば、織姫と彦星。年に一度しか会えない、恋人たちの象徴だ。
しかし、そうなった原因は……2人が仕事をサボったからである。ユカにしてみれば自業自得なのだが、世間的には何やらロマンチックな存在として美化されているらしい。
周囲を見ると、恋人同士と思われる2人組も多いが、同性の友人同士や家族連れ、1人でウロウロしている人も多い。今のところは大きなトラブルもなく、皆が笑顔でいられるのが唯一の救いだが……果たして、ユカが探す織姫様は、彦星と会えるのだろうか。
「……ここには織姫も彦星も多すぎるっちゃんね……」
ユカがそう言って独りごちった次の瞬間、2人の姿を見つけた政宗と一誠が近づいてきた。




