エピソード3:熱烈歓迎・七夕まつり②
8月6日、仙台七夕まつりの初日。宮城県は朝から薄曇りに覆われており、一雨来そうな、油断ならない空模様だった。
祭り自体はアーケードの中などに飾り付けられた七夕飾りを見ることが目的であり、いざとなったら飾りを降ろしてビニールカバーをつけることもある。この季節に雨が降るのはよくあることなので、飾る側もその対応には慣れていた。
薄曇りの空の下、まだ午前中ということもあり、少し蒸し暑いけれど浴衣でも過ごしやすい陽気。仙台駅とその周辺には、朝から多くの人が着飾って集まっていた。そして、この日のために用意された七夕まつりの巨大な吹き流しを見上げ、ゆっくり風になびく飾りにため息をもらしたり、スマートフォンを掲げて写真を撮影したりしている。
そんな人混みの中――『彼女』は静かに右足を上げると、前に一歩踏み出した。
身長は160センチ後半くらいで、見た目が大学生に見える『彼女』は、色鮮やかな朱色の金魚があしらわれた浴衣を身に纏い、長い髪の毛をアップスタイルにまとめている。その髪の毛を止めるのは、星があしらわれたモダンなデザインのかんざしだった。
「――よし、歩け……る? 歩ける、うん……歩ける!!」
和柄のミュールを履いた足元の動きを何度も確認する。そんな当たり前の確認をするだけでも勇気が必要だった。現に今までは……『この4年間』は、あの場所から動けずにいたけれど。
「今年は、ちゃんと……ちゃんと、アタシが見つけてあげなきゃ……!!」
決意を秘めた彼女は、顔を上げて歩き始めた。
浴衣の裾から、ポタポタと……水滴を垂らしながら。
その日の午後12時過ぎ、ユカと政宗は2人して、仙台国際空港の到着ロビーにいた。
空港内のあちこちに飾られている七夕の吹き流しに、大きなキャリーケースを引っ張って移動している人の多くが手を止めて、写真を撮影したりしている。
待合用のベンチに腰を下ろして、そんな様子を遠巻きに眺めていたユカは……ショートパンツから伸びた足をブラブラと揺らしながら、隣に座ってスマートフォンを操作していた政宗に声をかけた。
「ねぇ、政宗……あたしが仙台に来て、何ヶ月たったっけ」
「ケッカが仙台に来てから……?」
スマートフォンから顔を上げた政宗は、脳内にカレンダーを呼び出して……。
「……4ヶ月くらいじゃないか? 来てくれたのは今年の4月だし」
「そうやんね、まだそんなもんなんやね……」
政宗から答えを聞いたユカは、背中を曲げて膝の上で肘を着くと、手のひらに頬を乗せて頬杖をついた。
そして……荷物を引いて目的地を目指す人々を見やり、目を細める。
「なんか……うん、4ヶ月の間に色々あったなぁって。仙台七夕も初めて見るはずなんに出迎える側やし、そもそも大きな飾りはココ最近駅で毎日見るけんが、ありがたみも薄れてきたよね」
「あのなぁ……失礼なこと言うなよ」
こう言って苦笑いを向ける政宗に、ユカがいたずらっぽい笑みを返した次の瞬間――館内のアナウンスが、福岡発の飛行機が到着したことを告げた。
それを聞いたユカと政宗は、同時に顔を上げて立ち上がり、前を見据える。
これからの4日間、最後まで大きなトラブルもなく過ごせますように……と、期待せずに祈りながら。
そして、飛行機到着のアナウンスから約15分後――
「――ユーカっ!! ムネリン!!」
一際甲高い声で2人の愛称を呼んだ橋下セレナが、腰程度まで高さのあるパステルピンクのキャリーケースを引きながら、小走りで近づいていた。
背中を隠しそうな長さの髪の毛をハーフアップにして、薄い水色の襟付きシャツに、膝丈の白いシフォンスカート、足元は動きやすさを重視して、黒いスニーカーを着用していた。
セレナはユカと政宗の間に立つと、満面の笑みで2人を見つめる。
「無事に着いて良かったー!! やっぱ、こっちはあまり熱くないんやね」
「え? そうなん?」
確かに福岡と比べると、気温の上がり方は控えめかもしれないが、それでも昼間の今は30度近くあるのだ。セレナの言葉にユカが目を丸くすると、セレナは「そうなんよ!!」と力説する。
「なんか、仙台はカラッとしとるねー。福岡はサウナみたいやったよ」
「なるほど……分かる気がする」
ユカがセレナの言葉に納得していると、荷物を持って追いついた川上一誠と徳永瑠璃子が、セレナの斜め後ろに立っていた。
一足早く気付いた政宗が、2人に向けて軽く頭を下げた。その動きと目線で察したユカもまた、セレナの後ろに視線を向ける。
一誠はグレーのポロシャツと濃紺のジーンズ、足元はスポーツブランドのスニーカーという出で立ち。
一方の瑠璃子は顔にいつもの丸メガネをつけて、服装は5分袖の白いチュニックに、7分丈のオレンジ色のパンツ、足元は紺色のスニーカーを着用している。
ユカも政宗に倣って、2人に向けて軽く頭を下げた。
「一誠さんと瑠璃子さんも、お疲れ様でした」
こう言うユカに、瑠璃子は「よかよー、好きで来ただけやけんねー」と言いながら手を横に振った。
一誠はユカと政宗を見つめ、感慨深げに目を細める。
「山本ちゃんと佐藤君も、仕事中にありがとう。2人に会うんは4月ぶりやったな……元気しとったか?」
この問いかけに、政宗は「おかげさまで」と返答した後、到着したての3人へ向けて問いかける。
「とりあえず車で移動しようと思うんですけど……昼食は途中で牛タンでもいいですか? とはいえ、時間が時間なので、少し待つことになるとは思いますが……」
この提案に、誰も文句を言えるわけがない。全員の了承を取り付けた政宗は、脳内で周辺地図を思い描く。
その横顔をチラッとみたユカは、相変わらず色々なことを知ってるなぁと、彼の持つ情報の多さに舌を巻いていた。
そんなユカの様子を、セレナが見つめていたことなど……気付かないままで。
一行は空港から車で15分ほど移動した後、大手ショッピングモールの近くにある、牛タン焼き専門店に到着。10分ほど並んで待った後、4人がけの席に椅子を1つ足してもらい、何とか座ることが出来た。
カウンター含めて30席ほどの店内は混み合っており、椅子の脇にスーツケースを置いて食事を楽しんでいる人もちらほら見受けられた。
一誠と隣り合わせに座る政宗が、2つあるメニューの1つを一誠に渡し、もう一つを瑠璃子とセレナに挟まれているユカに手渡す。一誠は出された水を半分ほど飲み干した後、メニューを開いて……写真にうつる牛タン定食に「おぉ……!!」と、感嘆の声を漏らす。
「ほんなこつ、タンが分厚いっちゃんな……佐藤君、オススメとかある?」
「そうですね……ここは味噌味が有名なんですけど、限定なので今日の分はもう売り切れたかもしれません。ベーシックな塩味もとても美味しいので、気になる方でいいかと思いますよ。俺は塩にします」
「なるほどなぁ……折角やけんが味噌味聞いてみて、駄目だったら塩にするか」
そう言ってメニューを閉じた一誠は、ページをめくってどうしようかどうしようかと思案している瑠璃子を見やり、状況を問いかけた。
「瑠璃子、決めたんか?」
「んー……もうちょっと待ってねー。煮込みかーどげんしようかなー」
こう言ってページの往復を繰り返す瑠璃子に、一誠は「駄目だこりゃ」と嘆息した後、持っていたメニューをセレナとユカの間に置いた。
「これ、2人で見てよかよ。瑠璃子がパタパタめくるとしゃーしかろうけんな」
ちなみにこの場合の「しゃーしか」とは、「煩わしい」という意味である。案の定瑠璃子がしたり顔の一誠を横目で見やり、笑っていない目で苦言を呈した。
「ちょっと一誠、そげなこと言わんでもよかやんねー」
「言われたくなかったらさっさと決めてくれ。俺は早く注文したいったい」
こう言ってコップの水を飲む一誠に、迷う瑠璃子は何も言い返せず……定食のみにするか、折角だから『たんにこみ』も一緒に注文するのか、脳内でせめぎ合う選択肢を吟味し続けるのだった。
結局、「折角来たけんねー」と、己の欲望に忠実に生きることにした瑠璃子は、両方注文することにして。
限定の味噌味はかろうじて残っていたため、全員無事に目当てのものが注文出来たところで……一誠はおしぼりで手を拭きながら、隣に座る政宗を見やる。
「佐藤君、今日はどげん動くつもりなんか?」
「食事が終わったら、一度『仙台支局』にご案内します。そこで統治と俺から、例のアプリケーションに関する説明をさせてもらいたいと考えてます。時間は1時間くらいですね。それが終わったら、例の取材の件で、担当者が挨拶したいと言ってます。それも30分くらいで終わるかと思います。そこからは、こちらからの用事は特に何もないんですけど……本当に、ホテルまで送っていかなくて大丈夫ですか?」
一誠と瑠璃子が宿泊先に選んだのは、仙台の奥座敷・秋保温泉のホテルだった。仙台市内とはいえ、車で40分近くかかる。最初は政宗が送っていくつもりだったのだが、2人は電車で移動するから大丈夫だと固辞したのだ。
政宗の問いかけに、瑠璃子が右手をヒラヒラと振って笑顔を向ける。
「大丈夫大丈夫、私も一誠もいい大人やけんねー。移動も旅行の醍醐味やし……第一、政宗君は仕事やろ? 最終日の飲み会に顔を出してくれれば、それでいいけんねー」
「ありがとうございます。今週はその飲み会のために仕事しますから」
こう言って口元を緩める政宗を、ユカが冷めた目で見やり……隣に座っているセレナに視線を向けた。
「レナはどげんする? とりあえず荷物は支局に置いて、街の中でも見て回ってみる?」
「――え?」
ユカに声をかけられたセレナは、ハッとして目を軽く開いた。そして、自分の顔を覗き込んで首をかしげるユカに慌てて笑顔を作ると、「ど、どげんしようかな……」と曖昧に言葉を濁す。
「っていうか……ユカは仕事せんでよかと? 有給取ってくれたんは明日やろ?」
「え?」
セレナの問いかけに、今度はユカがハッとして……正面に座る政宗の様子を恐る恐る確認する。
政宗はコップの水を一口飲んだ後……営業用の笑顔でこう言った。
「一応言っておくが、ケッカの今日の仕事は20時までだからな。書類出さないと、片倉さんに蔑まれて、支倉さんに泣かれるぞー」
「わっ、分かっとるよ!! で、でもセレナはどげんすっと!? 放っておけって言うとね!!」
「そんなこと言ってないだろうが……18時までなら時間休とってもいいから、仕事やりくりして、セレナちゃんをもてなしてやってくれ」
「へーい……じゃあ、夕方前にちょっと抜けようかなー」
こう言ってスマートフォンを取り出し、今日の予定を脳内で呼び出すユカに、セレナが「ちょっと待って」と割って入る。
「ユカ、わざわざ休み取らんでもよかよ。ねぇムネリン、今日は1日、『仙台支局』で、邪魔にならんところにならおってもよか?」
大きな目で見つめて問いかけられ、政宗は思わず目を丸くした。セレナの言葉にユカの表情が固まった――仕事を抜け出せなくなりそうだから――ことは、とりあえず見ないようにしよう。
「勿論大丈夫だけど……どうして?」
「折角やけん、ユカが仙台でどげな仕事しよるのか、見学させてもらおうと思って。ほら、他の支局とか行くことないけん、ちょっと気になっとるっちゃんねー」
こう言って楽しそうに笑うセレナに、仙台観光の4文字は見当たらない。おかしい。こんなはずじゃなかったのに。
腑に落ちない表情のユカは、憮然としたままとりあえず水を飲んで……まぁ、政宗とセレナが少しでも同じ空間で同じ時間を過ごせるならいいか、と、強制的に思考を切り替えるのだった。
仙台七夕まつりを見るなら、断然朝一番がオススメです。人が少ないのでのんびり写真撮影が出来ます。
その多くは商店街に飾られたままなので、朝の散歩がてら見て回るのも楽しいと思いますよ。要するに泊まりましょう!!




