ch20
「こんにちわ」
ジェーンはいつもの様に、アンティークショップに入った。
「いらっしゃい」
ハンスは優しい笑顔でジェーンを迎えた。絡み合う二人の視線。ジェーンは恥ずかしくなって先に目を逸らした。
「昨日、夢を見たの……」
「夢?」
「前世の記憶のような……」
ハンスはジッとジェーンの動向を伺っていた。
「夢の中で私はローザって呼ばれてた。ハンスの事を『私のブルーアイズ』って……」
ハンスは喜びとも悲しみとも取れるような複雑な表情を浮かべた。
「私が、ローザの生まれ変りだったらハンスは嬉しい? でも私が生まれ変わりって確証は何にもないんだよね――。同じ姿で生まれ変わった訳じゃないし、夢を見ただけじゃ何の意味もないよね……」
ジェーンは不安を隠せずに俯くと低い声を絞り出した。
「何か目印でもあればいいのに。あざとか…… 生まれ変わってもう一度好きな人に会えたとしても、何の目印も無いと分からないよね」
ジェーンは瞳を潤ませながら、グッと歯をくいしばった。
「そんな事ないさ、だって、心から愛した人にもう一度会ったらきっとまた好きになる」
ハンスはジェーンの手をそっと握った。
「どちらにしろ僕は……ジェーンがローザの生まれ変りでも、そうではなくても、君が君であれば……」
ハンスは途中で口をつぐんだ。
「……モールで始めて君を見かけた時、僕は君が真剣に口紅を選んでいる姿を見て、何故か足を止めてしまった。君の純粋な瞳にハッさせられたんだ。君は僕の無くしてしまった物を、全て持っているような気がした。そして君を知れば知るほど、僕は自分の直感が正しかった事を確信した」
ジェーンの全身を甘酸っぱい喜びが駆け巡った。
「君は、確かにローザの魂の一部を持っているかもしれないし、持ってないかもしれない……でも現在に居るジェーンは君一人だ、そして僕はそんな君に恋をしたんだ」
ハンスはそっとジェーンの手を引き寄せると、ジェーンを優しく抱きしめた。ジェーンはハンスの胸にすっぽり収まると同時に、ハンスの心地よい胸が、自分の居場所だと何故か確信していた。
(この人と幸せになりたい――)
胸の片隅に浮かんだその思いは、ジェーンの胸いっぱいに広がった。
「ハンス様」
ジェーンとハンスの濃密な思いで満たされた部屋に、一筋の突風の様にナディアが飛び込んできた。その緊迫した声に、ジェーンは不安に顔を曇らせた。
「恐れていた事態が起こりました――一般のシルバーアイズ達が攻撃対象となっています」
「そうか」
ハンスは短く頷くと、ジェーンの手を一瞬硬く握ってから、サッと身を翻した。
「危ないから、僕が帰ってくるまで応接室で待っていてくれ」
ハンスはナディアを従えて店の外へと出て行った。ジェーンは応接室のソファーに座ったが、暫くして、母の事が心配になった。とりあえず電話を掛けてみようと、応接室からハンスの家へと続くドアをそっと開けて廊下を伺った。広々とした廊下はシンとしている。電話はいったいどこにあるんだろう? ジェーンは応接室から出るのを一瞬躊躇したが、そっと赤い絨毯に足を踏み出した。
「いかがいたしました?」
ジェーンのすぐ後ろから声が聞こえて、驚いて飛び上がりそうになった。
「あ、あの、電話をお借りしたいんですが」
「どうぞこちらへ」
黒いワンピースに白いエプロンをした中年の女性は表情を変えることも無く、ジェーンの前をゆっくりと歩き始めた。どこまで行くのだろうとジェーンが思った瞬間に、女性はピタッと止まると、部屋のドアを開けた。その部屋はぐるりと一面を本に囲まれた書斎のようだった。真ん中に置かれた大きな机の上にアンティークの様などっしりとした古い電話が置いてある。
「どうぞお使い下さい」
ジェーンが部屋の中に入ると、女性はドアを閉めた。ジェーンは本の数に圧倒されながらも受話器を持ち上げた。どうやらその電話はプッシュ式ではなくダイヤル式の様だ。ゆっくりと家の番号を回す。
トゥルルルトゥルルル
電話の電子音がジェーンの耳にこだまする。おかしい、誰も取らない。家に居れば母は直ぐに電話に出るはずだ。ジェーンは不安にかられながらも、受話器を耳に押し付けた。
(どうしよう)母は若いシルバーアイズの部類に入る筈だ。と言うことは唐辛子スプレーは致命傷になる――。ジェーンは乱暴に受話器を置くと、部屋を飛び出し、玄関から外に走り出た。家の方に向かうにつれミッド地区にはそぐわない身なりをした男達があちらこちらに徒党を組んでいるのが見受けられた。ジェーンは男達と目を合わせないようにしながら石畳の道を走り続けた。
「ママ、居るの?」
ジェーンは家のドアが開いてる事に半分安堵しながらも、大きな声を出しながら母の仕事部屋、キッチン、リビングへと足早に移動した。
「ママ、ママー」
呼びかけはいつしか叫び声に変わる。
「ジェーン」
その時マイクが家に入って来た。
「マイク! ママが、ママが」
「大丈夫、俺達の所に居るよ。君も迎えに来たんだ」
「よかった」
ジェーンはホッと胸をなでおろした。
「ミッド地区はまだましな方なんだ。ノース地区はひどい事になっている…… エクストリームズと関係ないシルバーアイズに攻撃を仕掛けて、略奪行為を行ってる奴らがいっぱい居るんだ。普通のシルバーアイズは普段暴力と関わりない分、無抵抗だから人間でも唐辛子スプレーさえ在れば直ぐに消滅させられる」
「そんな、お爺様達は!」
「大丈夫」
聞き覚えのある凛とした声が響いた。
「危ないから待っている様に言ったじゃないか」
ジェーンが振り向くと、そこには苦笑いを浮かべたハンスが立っていた。マイクはとっさにジェーンをかばう様に体を硬くした。初めて見るこの美しい男には全身に鳥肌を立たせるような、ゾッとする感じがする。
「ハンス! ごめんなさい。ママの事が心配で」
ジェーンはマイクに目で大丈夫、と合図を送ると、ハンスに歩み寄った。
「お爺様達は?」
「今は僕の屋敷にいる」
「そう、ありがとう。ハンスは大丈夫だった? ノース地区はひどいって――」
ハンスは愉快そうに笑った。
「僕の事を心配してくれるのはきっと世界中探しても君ぐらいだろうね」
ハンスはチラリとマイクに視線を移した。
「僕がその場に居る事で、他の人の事を心配する人は大勢居ると思うけど」
「あなたはいったい――」
マイクは固唾を飲んだ。
「僕はハンス・ヴァーサ・アヴ・マグヌスソン。本当は君には会ったことがあるんだが、記憶を操作させてもらった」
「記憶を?」
「そういう事が出来るシルバーアイの事は聞いた事ぐらいあるだろう?」
マイクは言葉を発さずにジッとしていた。その様子はまるでしゃべったらハンスに頭から食べられてしまうとでもいう様な有様だった。
「記憶操作は案外難しくてね。数人となると簡単なんだが、人数が増えれば増えるほど大変なんだ。今回は僕のミスさ。レジスタンスにはエクストリームズ以外のシルバーアイには手を出さない様に暗示を掛けてあったんだが、普通の人間までは考えていなかった」
「普通の人がシルバーアイズを攻撃しているの?」
ジェーンは絶句した。
「そうなんだ。人っていうのはおかしなもので、反抗の機会を得ると、見境がなくなってしまう。力を得ると、急に色んな事を正当化してしまうのさ。まあ人間の歴史は戦いの歴史。どの時代にもどこかで誰かが争ってはいるけどね。それが人の性って事なんだろう」
ハンスは自虐的な微笑を浮かべた。
「とりあえず記憶操作を施してはみたけど、全ての人に暗示が行き渡るまでは暫くかかるだろう。僕の暗示は人を介して広がっていくからその分時間が掛かるんだ」
マイクはハンスが話している間、ずっとハンスの事を睨みつけていた。
「暫くは、危ないから、ジェーンの家族は僕の家に招待するよ。あそこは安全だし、僕も暫く家を空ける予定だから、好きに使って貰えるし――」
「ご親切はありがたいのですが、ジェーン達の事は、僕らで守りますから大丈夫です」
マイクはきっぱりと言い切ると、ジェーンの手をグイっとひっぱった。
「人間達に囲まれたサウス地区の君の家がジェーンのお母さんや御婆さん達にとって本当に安全だと言えるのかい?」
ハンスの目がギラリと光った。
「それは……」
「それにジェーンの家族が皆君の家で快適に過ごせるのかい? ジェーンの御婆さんは僕の家に来るのにも大きなトランクを4っつ用意していたようだが」
ジェーンの頬が恥ずかしさで赤くそまった。
「お婆様が失礼な事言わなかった?」
「大丈夫」
ハンスはクスッと思い出し笑いをしたが、優しい瞳でジェーンに微笑んだ。
「とても面白いお婆様だね」
ジェーンは祖母が取ったであろう態度を想像して青くなった。
「どちらにしろ、君には他にやるべき事があるだろう? ジェーン達の事は僕に任せたまえ」
マイクは悔しそうに唇を噛んだが、うな垂れると、
「宜しくお願いします」と溜息と共に声を吐き出した。
「そうと決まれば、直ぐに用意をするんだ、30分後に迎えに来るから」
ハンスはジェーンに向き直ると、片目を素早くつぶってから家の外へ風の様に消えていった。




