告白
気がついたら、寝てしまっていたようだった。パッと目を空けたら栄一君の横顔がすぐそばにあって、びっくりして起き上がった。私が突然起き上がったせいでソファがきしんで、その音で栄一君が気がついてしまったようで目を開けた。
「あ、瑞希さん、大丈夫?」
目を擦りながら顔を上げた栄一君が言う。
「私は大丈夫……だけど、栄一君……」
その先に続く言葉を探そうとして、辺りを見回した。こんな時、何を話したらいいのだろう。話したいことはたくさんある。けど、なにから話せばいいのかお酒の名残もあって頭の中が混乱している。グラスを叩いたときのような音を立てそうな痛みを感じながら、テーブルを見ると、きれいに片づけられていた。閉められていたカーテンからは眩しい光が隙間から差し込まれているし、ご丁寧に外ではチュンチュンと雀の鳴き声まで聞こえてきた。こりゃ、完璧朝だと思い、慌てて顔を隠した。私、お酒飲んだまま寝ちゃったから絶対顔むくんでる。化粧も落としてないし、きっとひどい顔だろう。そんな顔を見られたくない。慌てて立ち上がると洗面台に駆け込んだ。
「伊藤さん、少し前に帰ったよ。瑞希さんによろしくって言って」
リビングから栄一君の声が聞こえた。伊藤ちゃん、帰っちゃったんだ。私が寝てしまってから、二人で何を話していたんだろうか……。ちょっと気になるところではあるんだけど。
「伊藤さんて、すっごいパワフルな人だね」
洗面所から戻ると、栄一君はソファに靠れながら昨夜のことを思い出しているのか、くすっと笑った。
「俺、説教されちゃった。夜中」
そ、それはご愁傷様……。って言うか、愚痴聞かされていたのかー。かわいそうに。
「ごめんね、そんなの付き合わせちゃって。ほっぽって帰ればよかったのに」
「いや、昨日は瑞希さんに話が合って来たから」
天井を仰ぎながら、栄一君が言う。何かを考え込んでいるようで、しばらくそのままで一つため息を吐いていた。
「あのさ、連絡ずっとしなくてごめん」
ぽつりと聞こえた声に、お水を飲もうとして冷蔵庫を覗いていた私は振り返った。
「いや、私も連絡しなかったし」
慌てて首を横に振った。開け放たれた冷蔵庫のひんやりした空気が涼しい。連絡を取らなくなって、もう二週間が経つ。
「と、今日智は?」
「今、実家。実家の両親に預かってもらってるの。遊びに行くんで預かってもらうのはちょっと気がひけるんだけどね」
あははと後ろめたさを笑いでごまかして、ペットボトルの水を飲んだ。それからまだ開けていないボトルを取り出すと、「飲む?」と尋ねる。彼が小さく頷いたので、グラスに注いで渡した。
「そっか……」
そう言うと、なんというか二人の空間が急に気まずくなった。それはお互い同じだったようで、栄一君も手持無沙汰にグラスをもてあそぶ。
「あのさ、」
と話を切りだしたのは、私の方からだった。ペットボトルをテーブルの上に置くと、ダイニングチェアに腰かけた。体を斜めにして栄一君の方を向き、頬づえをついてテーブルの木目を何の気もなく見つめる。栄一君の顔は見られなかった。自分でも腕が震えているのがわかる。
「もう会うの、やめよっか」
精一杯強がりながら、何でもないように切り出した。
「は?」
あっけにとられたような栄一君の声が聞こえた。
「栄一君はまだ高校生だし。栄一君に似合う、同じ年頃の子と付き合った方がいいんじゃないかな、やっぱり。ごめんね、ほんとはもっと早くそう言おうと思ってたの。だけど、切りだせなくて。ごめん……」
語尾が震えていく。
「それって、先週の花火のこと?」
ズバッと言われて、顔を上げられなかった。
「……それもある。けど、それだけじゃなくて」
「あとは、ナンパのこととか?」
そう返されて、黙って頷いた。それから少し考えて、うーんと唸って頭を振った。
「ごめん、きっとそれだけじゃないんだよ。ナンパも花火も、気にしなければきっと気になんてならなかったんだと思う。それを通して考えちゃうのが、やっぱり、私、栄一君に対して劣等感があるんだよ」
吐き出すように言って、顔を覆った。
ずっと考えてたのは、そういうことだ。
「劣等感て……」
不思議そうに尋ね返す栄一君に、言い返した。
「だって、私、栄一君が何で私のことがいいのかもよくわからない。年だって離れているし、子どもだっているし、君みたいな子だったら、もっと他にかわいい子だって、性格のいい子だって、たくさん選べるじゃん。それなのに、なんで私なのか、よくわかんないんだよ」
心の中にずっとのしかかる重いものの正体はずっとそれだった。
「そんなの、俺だっておんなじだよ。瑞希さんからしたら、俺なんか子どもだろうってずっと考えたよ。もっと年も上で、智事守れるような大人の人の方が瑞希さんにはふさわしいんだろうってずっと思ってた。だけどさ、それでも他の奴が瑞希さんと話してたらやっぱりムカつくし、他の奴が触んなって思うし、そう思ったら仕方ねえじゃん、もう」
前髪をくしゃっと抑えながら、栄一君が吐き出した。
「今だけだよ。今はなんとなく、栄一君にとって物珍しい存在だから気になるだけなんだよ。だけどさ、よくよく冷静になってみたら、さーっと飽きちゃうよ、きっと」
私にとって、男のイメージはそんなだった。飽きて捨てられて、泣くのはいつも女の方だ。私の中の男性のイメージってよくよく最低な奴だなって思い返したら、光博のせいだって思った。最低最悪の初めての男。あいつのせいで、男っていうものが信じられなくなったんだ。
「なんだよ、それ」
いつもの声よりもトーンの低い声が響いた。ムッと口を尖らせて、挑むよう目でこちらを見ていた。
「なんで、そんなこと言うんだよ。勝手に決めんな」
「勝手にって……」
「俺は、瑞希さんが好きだって言ってんの。ずっと、初めて会った時から好きだったよ。それを、あんたが勝手に俺の気持ちを決めんなよ。何が飽きるだよ、ぜってぇ飽きねえし」
ムキになって言い返すその口調がまるで子供のようだった。
「それに、瑞希さんだって俺のこと好きでしょ?」
いきなり聞き返されて、どきりとした。
「伊藤さんから聞いた。俺、かなり嬉しかったんだけど?」
昨夜の会話を思い出して、途端に赤面した。そう言えば、伊藤ちゃん、栄一君にいろいろ吹き込んでくれていたっけ。しかも、吹き込んだままいなくなるってどういうことよ。と、訳の分からない八つ当たりをしながら、二人がどんなことを話してたか思い出す。
「なのにどうして、そんなこと言うわけ? ワケわかんねえよ」
ほとほと困ったような口調で呟く栄一君に、私はやっぱり首を横に振った。
「君が女友達と花火を見に行ったり、私がこうやってお酒を飲んだりしていると、嫌でも考えるんだよ。同年代じゃないんだって!」
吐き出すように言ってから、ぽたりと、テーブルの上に涙が一粒落ちて広がった。
「栄一君が学校に行ったら、同年代の子がたくさんいて、出会う機会なんてたくさんある。隣の席になったりとか、文化祭とか行事の時に一緒にいたり、そんな機会がたくさんあるじゃない。そんなときに、何気ないしぐさや何気ない会話で、今まで意識していなかった子を意識し始めたり、そういう出会いがたくさんある。高校生の頃って、そんなふうに恋することってごくごく当たり前の日常の中に落ちてるじゃん。そんなこと考えると、今、栄一君が私のことを好きでも、いつか心変わりするかもって苦しくなる……。だから」
「そんなの、俺だって同じだよ!」
「なんて言えば、分かってもらえるのかよくわかんねえんだけど……。俺だって、同じなんだよ。初めて本屋であんたを見かけて、意識して。電車の中でたびたび見かけるたびに、自然に目で追ってた。子どもがいて、楽しそうに笑っている姿を見てたよ。ずっと。その人のことが気になって、他の子のことも目に入らないくらい、その人のこと考えて緊張してたよ。そんなふうにあんたのことばっかり考えてたら、他の奴なんて目に入らないのも当たり前だとは思わないわけ、瑞希さんは?」
ぶっきらぼうに言いながら、いつの間にかものすごく側に来ていて、テーブルの上にダンと音を立てて手を置いて、私の顔を覗き込んでいた。いつの間にか人のことあんた呼ばわりしていて、年下のくせに妙に男の顔をしていたから胸の奥がきしんだ。逃げようとしたけど、動けもせずにただ顔を伏せるのが精いっぱいだった。だから、栄一君が言っている言葉の意味が一瞬わからなくて、しばらく咀嚼してからようやく、頭に入ってきて驚いた。
「だって、そんなの……」
言いかけた私の言葉を、栄一君が遮る。
「そりゃ、俺がまだまだガキだってのは不本意だけど、認める。瑞希さんを守りたいけど、現実問題無理がいろいろあるのも分かってる。経済的に支えることは絶対無理だし、精神的にも――俺の方が甘えてるかもしれない……けど」
そこまで言って、うーんと栄一君が唸った。
「なんか、俺、ダメっぽくね?」
ため息交じりのその口調に思わず顔を上げると、顔がすごく近くにあって目が合った。そのまま見詰め合うような形になり、緊張する。まっすぐ顔を見られなくて俯いた。
誰かに守ってもらうために人を好きになるわけじゃない。
「そんなものがほしくて、好きになったわけじゃないよ。私は、ただ、栄一君が好きなだけだもん……。だけどさ、私と一緒にいたって、同じ年ぐらいの女の子と付き合うみたいに一緒に学校から帰ったりとか、普通のデートとかしてあげられない。私にとって一番大事なのはどうやったって智だし、仕事だって一緒にいる時間も少ないし、デートだって絶対智と一緒だし……」
デメリットばっかり、数え上げればきりがなくて、いつかそれが理由で振られるなら、初めから付き合わない方がいい。一つ一つ挙げていって、ようやく自分が何にこだわっているのかわかった。私にとって智が一番だから、どうしても栄一君のこと一番に考えてあげられない。
「だからー、俺も同じだってってるでしょ? 瑞希さんが年上だから、子持ちだからってことを気にするなら、初めから声かけてないよ。俺もただ瑞希さんのことが好きなの。他の人と一緒にいるところを見るくらいなら、そんなの全然気にならない。むしろ智とセットの瑞希さんが好きなの。智のこと大事にして、一生懸命な姿が好きだっつってんの。デートはだから、智とセットでいいよ全然。そりゃ俺だって、健全な男子なので、まあイチャコラもしたいところなんだけど……、そりゃ、まあ、もうちょっと我慢します……」
終わりに項垂れるように首をすくめる栄一君に、思わず笑ってしまった。すると、栄一君がほっとしたのか、ふっと顔が優しく笑って、そのまま腕の中にすっぽりと抱きしめられた。
「ってことだから、分かってもらえる……?」
情けなさそうな言い方が妙にツボにはまった。返事もできずにただ頷くと、栄一君のため息がまた聞こえてきた。
「あー、俺、マジ情けない……。ずっと瑞希さんに連絡できなかったのは、嫌われたんじゃないかって思ってたから。でも、不安にさせたんだったら、ゴメン」
優しく呟くその言葉に、私は黙って頷いた。
一段落ついてから、智を迎えに行った。栄一君は「智を驚かしてやろ」なんていたずら顔で言って、我が家で待っていることになった。
帰ってきた智は、栄一君が家にいるのに驚いて「えいいちだー!」と叫んでいた。栄一君の思惑どおりで、なんだか笑えてくる。
「なんでー、なんで、えいいちがいるのー?」
と不思議がりながらも久々に栄一君に会った喜びで、興奮しすぎてテンションマックスになっていた。栄一君は笑いながら智の相手をしてくれて、公園まで一緒に連れて行ってくれたりした。なんだかこんな日常っていいな、と思いつつも、智にとってこの状況はどうなのだろうかと、考えずにはいられなかった。




