第5話 婚約破棄令嬢
それはまさに、嵐の前触れだった。
「婚約破棄、ですか」
「そうですわ! あり得ません事よ! このシャルロッテ・フォン・ハフェンブルクに泥を塗るような男がいるなんて!」
金髪の縦ロールを振り乱し、淑女らしからぬ剣幕でカウンターを叩くその姿に、私はちょっと引いてしまう。
けれど、ハフェンブルクと聞けば、アルフヘイムの住人ですら一歩身を引いて首を垂れる存在だ。
この学術都市の玄関口である貿易港を牛耳っている、超名門伯爵家。そのご令嬢であるシャルロッテ様が、錬金術工房に訪れるとは誰が想像するだろう。
そんな雲の上の存在であるお方が、なりふり構わず、この工房のドアを叩いたのだ。
「その……シャルロッテ様は、一体、なぜ当工房にお越しになられたのでしょうか?」
「ここは虹の魔術士の工房なのでしょう? 私、あの男をぎゃふんと言わせたいんですの!」
「は、はぁ」
つまり、最高位の圧倒的な魔術で懲らしめてほしいということなんだろう。
依頼内容はわかったけれど、どうしたものか……と考えていると、後ろにいた先生がすぐにカウンター裏の倉庫に駆け込んでいった。
そうして数分も経たないうちに、ドヤ顔で小瓶をガチャガチャと鳴らしながら持ち出してきた。
「それなら、いい薬がありますよ。例えば――ほら、この薬は筋力増強剤でして、攻撃力が上昇します。これなら、一撃必殺も夢じゃない!」
にこやかに先生が薬を差し出すと、彼女の顔が引きつった。
けれど、他にも“復讐”するための薬を次から次へと出していく。
「あとは、これもいいですね。魔力向上薬。これも魔術を使えるなら、威力は倍増。オススメします。それと……」
「先生! ちょっと、先生!」
「なんです?」
「ちょっと、黙っていてもらえますか? 先生は本当に何もわかってない……」
「えぇ、ちょっと心外だなぁ。僕はこれでも最高位の錬金術師ですよ?」
「はい、作業場の方へ戻ってくださいねー。シャルロッテ様、大変申し訳ないのですが、少々お待ちください」
先生の背中を押して、カウンターから追い出す。
その広い背は、最高位にふさわしいけれど、残念ながらポンコツだ。この二週間で、身をもって味わった。
改めて、椅子を準備して腰かけてもらい、工房のドアを閉める。
高貴な方に出すレベルのお茶ではないが、それでも無いよりはマシだと思って商品をよけて机の上に置く。
本来は来客用の商談スペースも設けるべきなんだろうけれど、そこまで気が回らなかったのは痛手だった。なにせ、工房の周りの草刈りだけでも重労働だったからだ。
私は、軽く息を吸って吐くと、目に力を入れる。
相手は、伯爵家のお嬢様だ。粗相は出来ないし、何よりも“超上客”で格上の存在。前世の詩織の記憶を総動員して、対お得意様モードで対応しよう。
「……大変失礼いたしました。先生は、少し……その、お客様の対応には慣れていないので。代わりに私、弟子のフィーナが担当させていただきます。若輩者ではありますが、誠心誠意、シャルロッテ様のご要望にお応えさせていただきたく存じます」
「あら、話がわかるのね。いいわ、貴女の対応に免じて、この安っぽいお茶にも目をつむってあげるわ」
「ありがとうございます。 さっそくですが……」
改めて、シャルロッテ様と向き合う。
少なくとも、婚約破棄される理由は容姿からは見当たらなかった。
髪はツヤツヤで綺麗に巻かれているし、目はパッチリ二重で可愛らしいピンクの唇。年齢も同じくらいで、肉付きだって細すぎず太すぎず、ちょうどいい。ワインレッドのワンピースも華美すぎず品がある。少し気の強そうな雰囲気はあるけれど、それも伯爵家の“お嬢様”らしくていいと思う。
その天下のご令嬢が婚約破棄されただなんて、醜聞もいいところだ。
「その……ご無礼承知でお尋ねいたしますが。なぜ、そのようなことになったのでしょうか」
サッとシャルロッテ様の顔が曇る。
「……ユリアンは、私と結婚させてくれ、と跪いてきたのよ」
口をへの字に曲げながら、ポツリ、ポツリと語りだした。
婚約者は、ユリアン・フォン・ザントという子爵家の長男だ。本来、ザント家を継ぐはずだったが、シャルロッテ様の美しさに一目ぼれ。家よりも君に愛を誓わせてくれ!と熱烈なラブコールを送ってきたらしい。シャルロッテ様にしてみれば、伯爵家ゆえに男性陣からは遠巻きに距離を置かれていたため、ユリアン様からの真っ直ぐな情熱に心を動かされてしまった。
「ユリアン様は、本当にシャルロッテ様のことを愛していらっしゃったんですね」
「えぇ、そうよ。ユリアンは『僕は頼りないかもしれないけれど、君への想いなら誰にも負けないよ!』なんて、言ってくれていたのに……」
だから、突然の婚約破棄は、まさに青天の霹靂だった。
ユリアン様の家に呼ばれて行けば、別の女がいて、早々に「お前よりも彼女を選ぶことにした!」と開口一番に言ってきた。
さすがに意味がわからず、問いただしても聞く耳持たず。なんなら、目の前でいちゃつきだしたらしい。
泣くわけにもいかず、怒りのあまり女をひっぱたくわけにもいかず、グッと感情を押し殺すことでプライドを守った。
「それは……大変お辛かったかと思います。急に性格が変わったようなご様子を、波風を立てることなく受け止めた。シャルロッテ様は、本当に素晴らしい女性です。私と年も変わらぬというのに、その姿勢はとても眩しく映ります」
「そんなことなくってよ。私はただ、受け止め切れずに逃げてきただけよ」
「いいえ、シャルロッテ様。シャルロッテ様もまた、ユリアン様のことを傷つけたくなかったのではないでしょうか? だから、何もせずお戻りになった――違いますか?」
「あっ……」
「シャルロッテ様。ユリアン様には、もしかしたら何かご事情があるかもしれません。少し力不足かもしれませんが、このフィーナにお任せください。必ず、とは言えませんが、きっと良い方向に進みます」
私は淡く微笑みかけて、ほんの少しだけ目を潤ませたシャルロッテ様にハンカチを差し出す。
彼女は受け取って小さく頷くと、ユリアン様とその女の様子や私からの質問にいくつか答えてくれた。
そうして、依頼内容を改めて精査すると、後は任せると言って馬車に乗って帰っていった。
「さて、どうしよっかなー……」
伯爵家の依頼を解決できれば、先生の工房の評判も上がるだろう。
それに、貿易を担う家柄だ。珍しい魔石を融通してもらえるかもしれない。
ゆくゆくは、その縁が実家の工房にも繋がる——。
(あ、うん。絶対、解決しよう)
ハフェンブルク家に恩を売って損はない。
「って、先生?」
作業場とカウンターをつなぐ廊下から、ジッと私を伺うように視線を送っている姿に気づく。
「フィーナ……ですよね?」
「は?」
「なんていうか、手慣れすぎてませんか? あんな姿、初めて見ました」
詩織モードを見ていたということか。確かに言葉遣いが急に変わったら驚いてもおかしくはない。
けれど、フィーナ・シルヴェリだからこそ、できることでもある。
「実家が錬金術工房だって、話しませんでしたっけ? 小さいころから父の仕事を手伝ってたんです」
本当に頼りない父だった。借金をしてまで錬金術で人助けする、そんなバカみたいに優しい人。
朗らかな笑顔が何よりも似合うから、あの工房を明るくしたい私がいる。
「なるほど。だから、帳簿付けにも手を出そうとしてたんですね」
「そうです。先生、そもそも帳簿ってあるんですか?」
「えーっと……」
目を泳がせないでください、と言ったところで出てくる気配はないに違いない。
それよりも、まずはシャルロッテ様の依頼を解決する方が先だ。
人が変わったように、別の女に入れ込んだ。何か魔術的な影響を受けている、と考えるべきだろうか。
「先生。ユリアン様は……魅了魔術にかけられている可能性はありますか?」
「それは、どうでしょう。魅了魔術は、禁術扱いをされていますし、上位魔術士でもかけるのは難しいです」
魔術でないとすれば、魔術具や薬を使うしかない。
薬、という言葉にふと思い出した。
「先生。最近、学校で話題になってるものがあるんです――」
その話題に、先生の目の色が変わっていった。




