63. 黒玉
喋り出した黒い玉に対し、才牙は顎に手を当ててつつ吟味する目を向ける。
「言葉の内容からすると、迷宮の中の出来事を全て把握しているようだな」
『そう考えていただいて構いません。もっとも、長期記憶として保存する相手は、竜が出てくる地区より内側に来た者だけですが』
「その記憶をなにに役立てているんだ? 魔物を出す場所を変えるとかか?」
『単なる観戦記録ですよ。頑張る姿が好ましいので、その光景を保存するためです』
「頑張る姿だなんだの部分は理解し難いが、記録の重要性は認識している。なら竜の地区以内ではなく、珍しい戦い方をする連中の記録も保存してはどうだ?」
『迷宮に訪れる者の数は多いですから。出入口付近で遊んでいる人まで、ちゃんと目を通すことは難しいという問題があります』
才牙が当たり前のように黒い玉と喋り続けている光景に、ミフォンがツッコミを入れてきた。
「ちょっと、才牙。なんで普通に話せているわけ?」
「慣れているからだ。俺の世界では、ああいったものが喋ることは、よくあることだ」
「そういうことなら――って違う。あの玉は不思議でしょう!? 宙に浮いているし、なんか変な事喋っているし!」
「そう変でもない。要するにあの喋る黒玉は、迷宮の中枢制御プログラムと制御装置の複合体ということだろうからな。まあ、あの小ささで、この広い迷宮を管理していることに対し、その頭脳に興味がなくはないが」
『知能について褒めていただいてありがとうございます。ただ、解剖などを試みられませんよう、お願いいたします』
才牙の非常識っぷりが、この非常識な状況に合っているのかと、ミフォンは納得するしかない顔をしている。
ここで才牙は、中身が空のエッセンス封入缶を取り出す。
「なあ、黒玉。俺は別の世界から来た。そして戻りたいと思っている。お前の迷宮を運営する力を用いれば、世界を渡ることが可能か?」
才牙の質問に、黒玉は少しの間沈黙した。
『……不可能です。迷宮の力は、この世界のあらゆるものを再現し生産することが可能です。しかし世界を渡るために用いるには不向きな力です。例えるなら、千里を走る脚の力で、空を歩いて飛ぼうとするようなものです』
「工作機械を動かすための大電力は、成層圏を突破するロケットの燃料にはできないといったところか」
才牙は当てが外れたと思いつつも、迷宮の力に興味を抱いた。
「しかしながら、迷宮の力とは万能の工作能力というわけだ。利用価値は多分にあるな」
『貴方の支配下に黙って入るとお思いで?』
「お前の意思は関係ない。力は奪い取ればいいのだからな」
才牙が手の中にある封入缶を振りながら言うと、黒玉の合成音声の口調がより硬質となる。
『敵対すると仰られるのならば、それそうおうの対応を致しますが?』
不穏な雰囲気に、ミフォンとアテタが才牙の静止に入った。
「ちょっと、なにを考えるだって」
「才牙様。あの玉の発言が本当ならば、どんな魔物が出現するか分からないわよ」
先ほど黒玉は、この世界のあらゆるものを再現して生産できると語った。
その力を用いれば、竜種より上の存在を再現生産できても不思議はない。
しかし才牙は、新たな力を手に入れられる機会を前に、引き下がるような性格はしていなかった。
「戦って奪えというのなら、そうしてやろう」
『敵対意思を確認。最終防衛機構、発動開始いたします』
四方の壁と天井と床が、白色から赤色に変わる。そして警告サイレンのような音が、うーうーと唸り出す。黒玉は浮遊している自身の位置を、天井に着くほどにまで上げていく。
そうして天井近くに移動した黒玉が、2、3度白く明滅する。
その直後、黒玉の下の空間に突如、なにかが現れた。そしてその現れた何かが、床へと落ちてきた。
それは人型だった。
しかし人間ではない。
3メートルはある体躯。赤竜の鱗のようなものが全身の表面に。顔はオーガの顔をより醜悪に歪ませたもの。手には地味な見た目の片手剣と菱盾。
その姿は、ある存在を思い起こさせる。
「才牙が人間から作った、量産怪人ってやつに、そっくり」
ミフォンが思わず呟いてしまった通り、それは量産怪人に似ていた。
その存在を見て、才牙は片方の口の端を釣り上げる笑みを浮かべる。
「ほう。俺の技術を盗んだか。いや、さらに工夫を加えていると思った方がいいな」
『ご明察です。この迷宮に挑んできた人間の中で一番強かった男性を基にし、その男性の肉体に高く適合する力――貴方が「えっせんす」と呼ぶものを注入して作り上げた存在です』
「黒玉を守る存在。迷宮の守護者というわけか」
守護者は、生み出された直後の肉体の動きを確かめるように、その場で右手にある剣を振るった。
その動きは堂に入っていて、芸術の域に達する剣術の腕前を伺わせる。
これほどの腕前に持たせる剣だ。その素材と切れ味も、この世界で最高峰のものだろうと予想がつく。
しかし予想がついても、その実力のほどを知りたいと思うのが、科学者の性でもある。
「竜一匹。行け」
「ウゴオオオオオ!」
ここまで連れてきていた赤竜を、才牙は嗾けた
赤竜は地面を蹴りながら翼で空間を打ち、矢のような勢いで突っ込んでいく。
標的にされている守護者は、しかし慌てたようすはなく、静かに盾を構える。
3メートル大とはいっても人型。片や大型トラックを越える大きさの竜。
質量的に考えるのならば、竜の突進を防げるはずはない。
そんな予想は、すぐに打ち砕かれることになる。
突っ込んできた竜の頭が命中する直前で、守護者が左の盾でかちあげたのだ。
竜の飛翔突進が逸れ、守護者の直上を通過する軌道に変わる。
その上を通過しようとする竜が晒す喉に、守護者は剣を突き入れる。鋼鉄以上の硬さを持つはずの竜の鱗に、その剣の切っ先は水に突き入れたかのような容易さで入り込んだ。
そして剣の刃は、突き刺した場所から腹の下まで、竜が飛び込んできた勢いのままに切り裂いた。一切の抵抗がなかったかのような切れ味は、竜の切り裂かれた場所が1瞬出血を忘れるほどだった。
喉から腹まで割かれては、流石の竜も生きてはいられない。絶命した迷宮の魔物らしく消失し、竜の鱗を残した。
「これは、中々に危険な相手だ。そのぶんだけ、手に入るエッセンスは格別なものになるだろう」
才牙は相手の存在に魅入られたような目つきで、白衣の懐から1本の封入缶を取り出す。そして腰に巻いているエッセンスドライバーのスロットを開放した。
「混竜変化」
才牙は言いながらスロットの中に封入缶を入れて閉じ、ドライバーの右についている引き金を引いた。