31. 元に戻っても
ミフォンが求めた通り、アテタは才牙と出会う以前まで記憶が戻された。
記憶が戻ったアテタは、意識上では急に日にちが飛んでいることに加え、仲間の死の原因が才牙であることや、拠点にしていたアゥトの町の様子が一変していたりと、衝撃的な事実が多過ぎて混乱していた。
しかし日にちを置くにしたがって、アテタは少しずつ落ち着きを取り戻していった。そして意外なことに、ミフォンにとっては予想外に、アテタは才牙との関係を重視するようになっていった。
「ねぇ、才牙様。あたしとミィを生かしていたのって、魔法について知りたかったからよね。でも今まで、魔法を調べてたりしてなかったじゃない? 止めちゃったの?」
「いいや。一時棚上げをしていただけだ。魔法は現象だ。現象を観測し、理解し、そしてエッセンスを取り出すことは、骨が折れる作業だからな」
アテタが媚びを売るように才牙に話しかけている様子を、ミフォンは目にして驚いた。そして驚きついでに、ミフォンはアテタを引き寄せて、才牙の屋敷の部屋の1つに連れ込んだ。
「きゃ~。ミィったら、昼間から大胆ね。こんな人気のない場所にあたしを連れ込んで、なにをする気かしら?」
恥ずかしそうに目を伏せる演技をしながらも、アテタの口元には揶揄いの笑みが浮かんでいる。
ミフォンは怒りと呆れが混ざった表情の後で、急に心配そうな顔つきになる。
「ねえ、アテタ。才牙にまた洗脳されてたりしない?」
唐突な質問に、アテタは面食らった顔をして、そして笑い出した。
「あははははっ。ミィったら、才牙様の性格は知っているでしょう。あの方は、約束は守る人よ」
「その才牙『様』って言っている時点で、説得力がないんだけど?」
ミフォンが疑いの目を向けると、アテタは困ったような顔になる。
「ミィは、ずーっと才牙様のことを敵視していたらしいから、そう受け取っても仕方がないのかしらね」
「……らしいって、誰にそんな話を聞いたわけ?」
誰かが変な話をしてアテタが再び洗脳されてしまったと、ミフォンは考えたようだ。
しかしアテタは、違う違うと手を振る。
「誰でもないわ。あたし自身よ」
「話が合わない。だってアテタは――」
「記憶を戻される前のあたしと、いまのあたしとには、連続性がないって言いたいんでしょ?」
「――そう。才牙が記憶を戻す前のアテタのことを、いまのアテタ自身が知っているはずがない」
ミフォンの主張はもっともだが、彼女自身が忘れていることがある。
それはミフォンが才牙に協力するのはアテタの記憶を戻すため、という態度を常日頃から行っていた点だ。
そんな態度のミフォンを見ていて、才牙に洗脳されていたときのアテタはある用意をしていた。
「以前のあたしはミィに黙っていたのけど、日記をつけていたのよ。才牙様からポーションの売り上げの一部を給金としてもらった際、その給金で買った紙でね」
「日記……。それを見て、アテタはまた洗脳が」
「洗脳じゃないわ。日記に書かれていたのは、元素魔法使いとして冷静な目で見た、あたしの日常と才牙様の行いだったわ。それこそ、事実の列挙に近い感じで、以前のあたしの感情を抜きにしたね」
「それじゃあ、なんで」
「日記を読んで分かったの。才牙様って、かなり魅力的な人物だってね」
アテタが才牙を思い出して熱っぽい視線になる様子を、ミフォンは怪訝そうに見る。
「あの男のどこか魅力的だっていうの?」
「ええー、魅力の塊じゃない。まず強い。素手であたしたちの仲間を打倒しちゃうし、シズゥちゃんの模擬戦なんて兵士顔負けな激しさなのに涼しい顔をしているし、エッセンスで変化したらそれ以上に強いんでしょ?」
「……確かに、戦闘力は高い。でもさ」
「知性も高いわ。錬金術を学び、エッセンスなんてものを動植物から分離し、それを利用してもみせる。ポーションの件で商売も、秘密組織の運営で組織運営も優秀と分かるわ。そんな武力と知性と金稼ぎが得意な男性が、魅力的出なくてなんだっていうの?」
「即物的な意見だよ、それ。重要なのは人柄でしょ」
「才牙様は人柄もいいわよ?」
「どこが。悪巧みするし、人を実験の材料にしても悪びれない。まるっきり悪い人じゃない」
「でも、身内には優しい人よ? シズゥちゃんに優しいし、ヌアハくんを重用しているし、あたしやミィにだって無体な真似はしなかったじゃない」
「それは――そうかもしれないけど。でも他の人たちは!」
「ミィ。人は『誰にでも優しく』なんてできない生き物よ。けど才牙様は、その手に抱えられる人は大事にする気質の人よ。抱え込む判断基準が、能力のありなしや人材の要不要にあるかもしれないけれどね」
でもそれは他の人だって同じことだと、アテタは語った。
身近な人物の死に涙を流しても、身も知らない人の死を我が事のように悲しむ人は少ない。面識のない死者を悼むことができる人物を、人々は聖人と呼ぶほどなのだから。
「ともあれ、才牙様は超お買い得な物件ってわけ。そしてあたしたちは、利用価値のある身内として受け入れて貰えている。それなら、この立場を利用しないのは損じゃない」
「……そうだった。アテタって現実主義が強い人だった」
「元素魔法使いは、理論の徒だもの。感情や直感も大切だけど、現実に即した考え方じゃなきゃ大成できないわ」
アテタはミフォンの勘違いを笑った後で、真剣な顔つきに変わる。
「それで、ミィはどうするの? このまま才牙様と敵対的な態度を取り続けるの? あたしの記憶を戻すって鎖がなくなったから、才牙様に協力する理由はなくなったわよね? 神聖魔法使いとして役立つ気はあるの? それとも才牙様のもとから離れるの?」
矢継ぎ早の質問に、ミフォンはしどろもどろになる。
「え、なんで、私が責められる流れになっているわけ?」
「だって、この屋敷は――いえ、この町はもはや才牙様の城よ。才牙様と敵対している人が無事でいられる場所じゃなくなっているわ」
すでに才牙は、アゥトの町の陰の支配者だ。才牙が反抗的な者を殺そうと思えば、いつだってできる状態になっている。
そして才牙の身近な反逆者といえば、それはミフォンが当てはまる。
「私に町から出ろって言いわけ?」
「違うわ。あたし、これでもミフォンには感謝しているのよ。あたしの記憶のために、絶対的な強者に対して強気で交渉してくれたことをね。だから才牙様の下に、本心から入らないかって誘っているのよ」
ミフォンは反射的に拒否の言葉を吐こうとして、寸前で思い止まった。
冷静に考えると、ミフォンが才牙と敵対する理由が消えていることに気付いたからだ。
事前に約束していたアテタの記憶を戻すことは、既に行われている。才牙に冒険者仲間を殺されたという恨みはあるが、先に攻撃したのはミフォンの仲間だったこともあって、逆恨みに近い感情であると気付いている。
では、なぜいまでもミフォンが才牙に反抗的な態度を取り続けているのかといえば、それは惰性としか言いようがなかった。
今まで反抗的だったで、それ以外に才牙との接し方が分からないのだ。
「で、でも、いまさらでしょ」
「いいえ、才牙様は器の大きい人よ。ミフォンが素直な気持ちを言えば、受け入れてくださるはずよ」
ミフォンは、アテタが丸め込もうとしている気配を感じていたが、才牙に対する態度を改めるいい機会であることも確かだと悟っていた。
「と、とりあえず、才牙と話してみて決めようかなって」
「うん。そうしてみるといいわ」
アテタがニコニコと笑い、そしてミフォンと共に部屋の外へ。
そして訪れたのは、才牙が居る研究室。
「ねえ、才牙様。ミィが話があるらしいわ」
「ん? どうした?」
才牙は作業台から振り返ると、ミフォンと目と目を合わせた。
ミフォンは改めて面と向かって会話することに、気恥ずかしさを感じる。
「えっと、その。さっきアテタに、才牙に対する態度を改めたほうが良いんじゃないかって言われて」
気恥ずかしさから、アテタを逃げ道に使った言い方をしてしまう。
それが本心とは外れた言い方だったからか、才牙は誤解して受け取ってしまったようだった。
「態度など気にしていない。俺の価値観は、普通の人とかけ離れていることは承知している。俺の行いを見て嫌悪を抱く者は多いだろう」
「……そうだと分かっていて、どうして」
「どうして行動を改善しないのかか? それは改善の必要がないから――他人の価値観に自分の行動を沿わせることは、俺にとって『改悪』だからだ。目的まで最短で進もうとすることのなにが悪いというのか」
傲慢な言い方に、ミフォンの反抗心がむくむくと湧きあがった。
「やっぱり私、才牙のことは好きになれない!」
「俺に対する好悪など知ったことじゃない。むしろ俺を嫌っている部下を使えてこそ、悪の科学者というものだ」
ミフォンは確信した。才牙とは本格的に価値観が合わないと。
そんな確信の下、これからもミフォンは才牙と敵対しているような態度を取り続けることになる。
そしてミフォンのそんな態度を、才牙はどこか楽しんでいる様子があるのだった。