30. 支配して
秘密結社の支社、イデアリス・ブランチが立ち上がった。
このイデアリス・ブランチの意図は、才牙が元の世界に帰るために必要な情報を収集する拠点と、本家のイデアリスがこの異世界に進出することになる未来が来た際の足がかりだ。
もちろんイデアリスが異世界進出するなんて話はないため、本質的には情報収集がメインとなる。
アゥトの町の表と裏を牛耳ったことで、才牙の元には色々な情報が集まってくる。商人が集めた情報から、後ろ暗い者が語る噂話までだ。
しかし情報は集まってくるといっても、まだイデアリス・ブランチは立ち上げたばかりだ。
有用な話が入ってくるには、時間が必要だ。
その待ち時間を有効に使うため、才牙は悪の科学者らしい悪事に手を染めていた。
「では、試験サンプル1号の投与を始めよう」
才牙が持っているのは、1度エッセンスを使えば壊れる、封入瓶。
その瓶の切っ先を向ける先には、手術台のようなものに手足を固定された、骨と皮ばかりの食い詰め者。
「は、はなせぇ~~~」
今まで食事をあまりとってこなかったのだろう。食い詰め者の言葉に力はなく、拘束から逃げようとしている手足にも力がない。
あと数日も放っておけば餓死しそうな相手に、才牙は何をしようとしているのか。
それは封入瓶を押し付けた後で判明する。
「うぐぅ。うがぐぐぐ……」
封入瓶から発生した煌めきは、乳白色。その乳白色の光が体内にはいり、食い詰め者が苦しげな呻き声をあげる。
やがて封入瓶がエッセンスを放出しきって崩壊した頃、食い詰め者の姿は一変していた。
全身がマッドブラックな色調の全身タイツ状の戦闘服に変わっている。頭もタイツ状に覆われているが、才牙やシズゥが変化した際にはあったヘッドギアは存在してなく、両目の部分にだけ白い横線が入っている。
その変化は、才牙が望んだ通りのものだった。
「完璧だ。ゴブリンやオークなどの魔物に共通して存在していたエッセンス――魔物エッセンスの抽出は成功だ。そして、その魔物エッセンスによる変化も。これで戦闘員が作れるぞ!」
才牙は喜びの声を上げながら、白衣の懐から解剖刀を取り出し、魔物エッセンスで作られた戦闘員用の戦闘服を身に着けた食い詰め者に斬りかかった。
どんな相手でも鋭い切れ味を見せた解剖刀だったが、しかし戦闘員用の戦闘服が相手だと火花を散らしながら表面を撫でるだけだった。
「防御能力も一定以上あるな。後はどれだけのダメージで変化が解除されるかを確かめないといけない」
才牙は勢い良く足を振り上げると、縛られている相手の腹部に踵落としを放った。
その蹴りの威力は大したもので、蹴った相手の体を浸透して通り抜けた衝撃で、頑丈に作ったはずの台の足の一本を折り飛ばしたほど。
普通の人間にやれば間違いなく内臓破裂ものの一撃だったが、縛られている者は激しく咳き込むだけで済んでいる。
「げほげほげほ――」
「ふむ。元が死にかけでも、俺の懇親の蹴りを受けきれるわけか。そして変化も解除されていない。では2発目と行こうか」
才牙は足が折れたを横倒しにすると、台に縛り付けられたままの相手を、サッカーボールを蹴る要領で攻撃した。
今度は台ごと吹っ飛んで壁面に衝突。
これでようやく、戦闘飲用の戦闘服の変化が解除された。
「ごべっ、ご、ごぶべ――」
元の姿に戻った食い詰め者は、空っぽだったはずの胃から胃液だけを出して嘔吐している。
その様子を見て、才牙は満足そうな顔になる。
「これだけの攻撃を与えても、死なずに済んでいる。戦闘員の生命保全機能は基準値を確保できているようだ」
才牙は十分な結果を得て、実験終了を判断した。
才牙が食い詰め者の拘束を解くと、その額に記憶を奪う封入缶を押し付けた。そうして記憶を抹消した後で、実験室の扉をあける。扉の前にはヌアハが立っていて、才牙の用命を待っていた。
「記憶の入れ込みと、食事の提供は任せる。俺は魔物エッセンスを入れた封入瓶――戦闘員変化用の装備の量産に入る」
「畏まりました。それと才牙様、ミフォンさんから質問があるようでして」
「アテタの記憶をいつ戻してくれるのかって話だろ。戦闘員用の装備の量産を終えたら戻してやると伝えておけ」
才牙は研究室に戻ると、魔物のエッセンスを入れた封入瓶を量産していった。
才牙がアゥトの町の表裏を牛耳ることになって、町内の様子は少し変わった。
富裕層が暮らす場所や、大通りに面した目抜き通りなどには変化はない。以前と変わらない光景が広がっている。
しかし職人区画や下町といった場所では、急速に治安が良くなっていた。
その理由は、それらの場所を巡回する自警団にあった。
町の住民の認識としては、いつの間にか出来ていた自警団。その団員のほとんどが、どこぞの犯罪組織の構成員だった者たちだ。
そんな怪しい集団は住民たちが警戒しないはずもないのだが、何日経っても悪い噂が聞こえてこない。
それどころか日を置くにしたがって、良い話を聞く機会が増えていく。
迷子で泣く子供を親の元まで案内してやっていた。不意の病気で動けなかったところを医者のところまで連れて行ってくれた。商店に難癖をつけていたチンピラを制圧して連れていった。日中だけでなく夜中も見回りをして泥棒を捕まえた。
そんな話が積み上がっていき、やがて住民は自警団に対して警戒心を抱くどころか歓迎ムードになっていった。
その自警団の裏には、才牙がいるとは知らないままに。
「しかし意外だったな。才牙が自警団を作るだなんて」
そう疑問を口にしたのは、ミフォン。
対する才牙は、アテタを手術台に寝かしているところだった。
「俺が人助けをすることが意外だったってことか?」
「ううん。才牙が人助けなんてするはずないってわかってる。あれはあれで別の意図があるんでしょ。でも、その手段が自警団って点が意外だったってこと」
「別の意図というほどの事じゃない。ただ、犯罪組織を潰して構成員を取り込んだからな。余っている人材の有効活用だ」
「記憶を消して、都合の良い記憶を植え付けた、そんな人材のね」
揶揄う口調に、才牙は半目をミフォンに向ける。
「なにが言いたいんだ?」
「才牙がやっていることは、人の記憶を消したり変に体を弄ったりって、悪い事だ。でも表面的に見ると、領主様は統治に心血を注ぐようになって、犯罪組織は壊滅して、自警団が発足して、町の治安は良くなっていっている。なんだか変だなーって」
ミフォンが言っている通り、常識に照らすと、才牙は悪いことしかしていない。
それにも関わらず、町の住民は暮らしやすくなったと喜んでいる。
そのギャップに、ミフォンは違和感を抱いているらしい。
しかし才牙に言わせてもらえば、いまの状況は当たり前だった。
「人間の社会というものは、負債を人に押し付けることで成り立っている。その負債を、記憶改ざんした手下どもが担っているんだ。暮らしぶりが良くなることは当然だ」
「負債? 押し付け?」
ミフォンが理解していなさそうに言うので、才牙は少し手を止めて理屈を語っていく。
「人間の社会は天秤のようなものだ。儲ける人がいれば、その儲けた分だけ損をする者が出る。成功する者がいれれば、失敗する者がでる。腹いっぱい食える者と、今日の飯にも事欠く者もいる。それは理解できているな?」
「そりゃ、まあね」
「その仕組みを逆用すると、こうなる。損をする誰かがいれば、その誰かの分だけ得をする者が増えるとな」
「……その損を、才牙が作った組織の人に押し付けているってこと?」
「そうだ。連中の記憶と考え方を弄ってあるんだ。どれだけ損を被ろうと、不平不満を言わないような人格にな」
人権もなにもあったものじゃない、ブラック労働環境だ。
しかし才牙が作ったのは、悪の秘密組織の支社だ。大した能力もない構成員が割を食う仕事をさせられることは、らしいといえばらしいことだった。
「そんな町のことよりかだ。ミフォンは、これから記憶の処置をしようとしているアテタのことを心配した方がいいんじゃないのか?」
才牙が話題の切り替えを行うと、ミフォンは首を傾げる。
「才牙は約束は守ると分かっているから。処置自体は心配してない」
「……俺が変な処置をするとは、考えてないのか?」
「現状のアテタは、なぜだか才牙にゾッコンでしょ。これ以上の変なことで、なりようがないでしょ」
考えが足りていないのか、それとも才牙の性格だけは信じているのか、判断になやむ意見だった。
才牙はミフォンに何か苦言をしようとして、直前で止めた。
「まあいい。俺は約束を果たすだけだ。アテタの記憶を、お前たちと出会ったときのものに戻す処置をおこなう。それで良いんだだな?」
「うん。お願い」
「あたしは、このままでもいいのだけれど……」
アテタは少し困った様子ながらも、ミフォンが強く言うのだからと従っている感じだった。
才牙は、悪の科学者らしく患者の意見を聞くことはせず、アテタの記憶の処置を行うことにした。




