第54話 逃げられる前に
少し前。
保守通路の扉が閉まり、ファイとレイヴの姿が岩壁の向こうへ遮られた。
ガルドは大剣を担いだまま、前を駆けるブエンへ声を飛ばした。
「ファイ一人で大丈夫なのかよ」
「ファイなら問題ない」
ブエンは振り返らなかった。
「急ぐぞ」
言い切ると同時に、ガルドが速度を上げて先頭へ出た。
その後ろを、セイルが光板を操作しながら走る。リネアが続き、ブエンは最後尾から周囲を警戒していた。
光板の上では、赤い反応が絶えず形を変えている。
セイルの指が不意に止まった。
「中継術式そのものを、別の場所へ移そうとしています」
走りながら表示を拡大する。
光板に施設内部の構造が浮かび、その中央に固定されていた赤い反応が細く引き伸ばされ、別の地点へ流れ始めていた。
ガルドの眉が寄る。
「ここから逃がすってことか?」
「その認識で問題ありません。完了すれば、現在追跡している接続反応も失われます」
光板の端で、移設の進行を示す表示が終端へ近づいていく。
ブエンの目が細くなった。
ここを失えば、また真名術師たちへ続く手がかりが消える。
「完了までに止める」
その時、光板から警告音が鳴った。
表示されていた反応が一つ増える。
二つ。
三つ。
次の瞬間、施設内の至るところに赤い反応が浮かび上がった。
リネアが光板をのぞき込む。
「増えたんですか?」
「違います」
セイルの指が高速で表示を切り替える。
「魔力反応を偽装されています。幻惑術式です」
十を超える反応が、通路や部屋の奥で同じ波形を示していた。
「本物は?」
「現時点では判別できません」
「解析できるか」
「時間が足りません」
返答を聞いた瞬間、ブエンが前へ出た。
「元の反応地点に近い順から確認する」
迷いはなかった。
「セイル、案内しろ」
「了解しました」
四人が走り出す。
一つ目の反応は、二つ先の区画にあった。
ガルドが扉を蹴り開ける。
中は狭い部屋だった。
壁一面に赤い文字が流れている。
セイルが解析器を向けた。
数値が走る。
「偽物です」
「次!」
ブエンの声と同時に、全員が部屋を飛び出した。
二つ目は、さらに奥。
角を曲がった瞬間、黒い外套の術師たちが行く手を塞いだ。
杖が一斉に持ち上がる。
「邪魔だ!」
ガルドが踏み込んだ。
大剣が横薙ぎに走り、先頭の術師が杖ごと弾き飛ばされる。
別の術師がブエンへ手を向けた。
魔力が集まり始める。
セイルは光板から目を離さないまま、空いた手を術師へ向けた。
「――《ストーン・ショット》」
小さな石弾が飛び、術師の手首を正確に打った。
「っ!?」
腕が跳ね、集まりかけた魔力が散る。
今度は横から一人がセイルへ走り込んだ。
「――《ウィンド・ショット》」
細い風弾が、踏み出された足首へ当たる。
術師の重心が崩れた。
その横をブエンが駆け抜ける。
剣の柄が腹へ叩き込まれ、男が床へ沈んだ。
さらに奥から魔力弾が飛ぶ。
ガルドが大剣の腹で受け、壁へ弾き流した。
「お前、戦えたのかよ!」
「話している暇があるなら前を見てください」
「はいはい!」
ガルドが次の術師へ突っ込む。
セイルの指は、戦闘中も光板を動かし続けていた。
「右の扉です」
ブエンが術師の剣を弾き、その身体を壁へ蹴り飛ばす。
「行け!」
四人が敵の間を抜けた。
二つ目の区画へ飛び込む。
セイルが解析器を向ける。
表示された数値が、すぐに判定へ切り替わった。
「……違います」
ブエンはその声を聞くより早く、踵を返していた。
「次だ」
三つ目。
さらに深部へ走る。
赤い反応は今も増減を繰り返し、本物と同じ波形を施設中へ撒き散らしていた。
扉を開く。
セイルが解析器を向ける。
数値が流れ、その目がわずかに細くなった。
「ここも違います」
ガルドが舌打ちした。
「まだあるのかよ」
「あります」
セイルが光板を切り替える。
候補はまだ残っている。
だが、移設の進行を示す表示は、すでに終端の目前まで来ていた。
「次を外せば、かなり厳しいです」
ブエンが光板へ目を向ける。
次の地点を選ぼうとした、その瞬間。
ガルドの足元に落ちた影が、ぐにゃりと歪んだ。
「うおっ!?」
「キャッ!」
ガルドが飛び退き、リネアの肩が跳ねる。
影の一部がふくらみ、そこにファイの頭がにゅっと形を取り戻した。
続いて、小さな身体まで人の姿へ戻る。
ファイは赤い瞳のまま、周囲をきょろきょろと見回した。
「えっ?」
ブエンは一瞬でファイへ向き直った。
「ファイ! 糸を追えるか!?」
「えっ!? う、うん!」
ファイは慌ててその場にしゃがみ込み、両手を合わせた。
「――《ノクス・サーチ》」
足元から細い闇が伸びる。
壁を抜け、床を抜け、施設の奥へ走っていく。
光板は無数の偽反応で埋め尽くされている。
それでも、ファイの赤い瞳には一本の糸が見えていた。
何度偽の反応を重ねられても、それだけは消えていない。
ファイが立ち上がる。
「あっち!」
「行くぞ!」
五人が走り出した。
ファイが先頭を駆ける。
角を曲がる。
階段を下りる。
やがて、閉ざされた扉の前で足を止めた。
「ここ!」
ガルドが大剣を振りかぶった。
「どけ!」
刃が扉へ叩き込まれる。
黒い金属が大きくへこみ、二撃目で中央から裂けた。
扉が内側へ倒れる。
その先には、天井の高い円形の部屋が広がっていた。
黒い金属の床と壁。
部屋の中央に、丸い玉が浮かんでいる。
無数の赤い文字が、その周囲を激しく巡っていた。
前の中継地点で見たものと、同じ形だった。
あの時は静かに巡っていた文字が、今は玉の表面を這い、次々と位置を変えている。
そのたびに、玉の輪郭が少しずつ薄れていた。
玉を囲むように、黒い外套の真名術師たちが立っている。
そして、その奥。
一人だけ、明らかに纏う気配の違う男がいた。
武器も構えず、ただ立っている。
それだけで、周囲の空気が重い。
男の身体を覆う魔力は、これまでの真名術師たちとは比べものにならないほど濃く、強大だった。
ガルドの大剣がわずかに下がる。
ブエンは剣を構え直した。
男は何も言わない。
ただ、侵入してきた五人を静かに見ていた。
「セイル!」
「分かっています」
セイルだけが中央の玉へ走った。
真名術師たちが一斉に手を上げる。
「行かせるな!」
ブエンが踏み込んだ。
剣が術師の杖を弾き上げる。
ガルドの大剣が横から入り、別の二人をまとめて押し返した。
「ファイ、セイルを守れ!」
「うん!」
「――《フォートレス・ヴェール》!」
半透明の膜が広がり、セイルと中央の玉を包み込む。
飛んできた魔力弾が、その表面で次々と弾けた。
膜の内側で、セイルは膝をつく。
小型の解析器を三つ、玉の周囲へ滑らせた。
淡い波紋が重なり、玉を巡る赤い文字が激しく揺れた。
「移設処理へ干渉します」
光板を数値が駆け上がる。
赤い文字の動きは速い。
一つの文字列が消え、玉の反対側へ現れる。
セイルの指がその動きを追った。
一つの文字列を止める。
すぐに別の文字が動き出す。
残る二つの解析器を同期させる。
それでも、玉の輪郭は薄れ続けていた。
ファイが振り返る。
「セイル!」
「続けてください」
セイルは顔を上げない。
ブエンの剣が術師の魔法を斬り払う。
ガルドが大剣を振り抜く。
リネアはセイルの背後へ入り、周囲を警戒する。
その向こうで、異様な魔力をまとった男がゆっくりと一歩を踏み出した。
部屋を満たす重圧が、一段深くなる。
ブエンの視線が男へ向いた。
同時に。
解析器から甲高い音が鳴った。
薄れ続けていた玉の輪郭が、ぴたりと止まる。
玉を巡る赤い文字の速度が、一気に落ちた。
セイルの指が止まった。
「……延長に成功しました」




