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25 被観測者の恋人

 昼下がりのキャンパス。


 購買の前でカップ焼きそばのソースを混ぜながら、俺はため息をついた。


「……落ち着け俺。昨日は鏡の中の澪と戦って、今日は学食の列との戦い……人生って忙しいな」


『観測者、戦闘ログの一貫性が崩壊してるわ』


「黙ってろ。こっちは現実と胃袋をリンク中なんだよ」


『消費カロリーのわりに戦果が薄い』


「トドメ刺すな!」


 ARIELの通信越しに澪の声が届く。


 この二十四時間リンク、便利なようで地味にプライバシーゼロだ。


 ――そんなとき。


 背後から軽やかな声が聞こえた。


「ねえ、それ、まだ観測者ごっこしてるの?」


 振り向くと、そこにいたのは――


 光をはね返すような明るい髪色の少女。


 白いイヤホンを片耳にかけ、笑っていた。


「……誰?」


「わたし? ほのか。――白瀬澪の元相棒」


 息が止まった。


 聞き覚えがある名前。


『――悠真、逃げて』


「え、逃げてって何!?」


『彼女、ARIELの「最初の観測者」よ』


「はあ!?」


 俺の脳内が一瞬でフリーズする。


 その隙をついて、ほのかがぐいっと距離を詰めてきた。


「ふーん、あなたが今の観測者?」


「い、いや、その……臨時代理的な?」


「澪のデータにアクセス権持ってる時点で『正規』だよ」


「なんか俺の知らない制度始まってる!?」


 ほのかは悪戯っぽく笑った。


 けれど、その目の奥にはどこか痛みのようなものがある。


「――澪のこと、ちゃんと見てる?」


「え?」


「見えてるようで、まだ『半分』しか見えてない。彼女、あんたにはまだ『死』の記憶を見せてないでしょ?」


 その瞬間、澪の声がノイズ混じりに割り込んだ。


『やめて、ほのか。まだ、その話は――』


「澪!?」


『通信遮断……!』


 ホログラムが一瞬だけ乱れた。


 ARIELの同期率が急速に下がっていく。


《link stability: 48%》


「……ねえ悠真」


 ほのかが少しだけ声を落とした。


「澪が『あの日』どんな実験をしてたか、知ってる?」


「……知らない。教えてくれ」


「――教えない。だって、彼女がそれを言わない限り、あたしが口出す資格ないもん」


 そう言って、彼女は歩き出した。


 キャンパスの人混みの中に紛れながら振り返る。


「でもね、もし本気で澪を救いたいなら、『観測』じゃなくて『選択』しなよ」


「……選択?」


「観測者は見てるだけ。本当に誰かを助けたいなら、見てる側をやめなきゃ」


 ほのかの言葉が風の中に消えていった。


 残された俺のARIEL端末が再び震える。


《observer emotional load: elevated》(観察者の感情的負荷:上昇)


《auto-stabilizer: active》(自動安定装置:アクティブ)


「……澪、大丈夫か?」


『……私は平気。でも……彼女がここにいるのは、想定外』


「知り合いなんだよな?」


『ええ。――私の「最初の失敗」』


 その言葉には、いつもの軽口がなかった。


 けれど、彼女はわざと明るい声を出した。


『でも、今はあなたがいるし。失敗も上書きできる』


「……おい、それ、けっこう嬉しいセリフだぞ」


『照れた?』


「照れてねぇよ!」


『観測データ:顔温度上昇+0.8℃』


「データ取るなあああ!」


 ツッコミを返したそのとき、目の端でARIELのホログラムが一瞬だけ点滅した。


《sub-node “HN-KA” connected》(サブノード「HN-KA」が接続されました)


《synchronization: pending》(同期: 保留中)


 ――どうやら、物語はまた一歩、面倒な方向に進むらしい。


        *


 白鳩荘の夜は時折静かすぎて、逆にうるさい。


 時計の針の音、外の虫の声、澪の足音(?)――全部が妙に鮮明に聞こえる。


 そして、今はその音にもうひとつ『心拍のリズム』が加わっていた。


《EIDOLON//link maintenance: required》(メンテナンス: 必須)


《synchronization unstable (48%)》(同期が不安定 48%)


「つまり、俺と澪のリンクがズレてるってことか?」


「簡単に言えば、観測者の脳波が怠けてる」


「人をスマホの電波みたいに言うな!」


「ちゃんと充電して」


「いや、元気いっぱいだぜ!?」


 ちゃぶ台の上にはARIELの端末が置かれ、青い光を淡く放っている。


 澪は隣で正座をしながら、両手を合わせて俺を見た。


「再同期を取るためには、共鳴波を合わせる必要があるの」


「共鳴波?」


「要は、心拍リズム」


「つまり、ドキドキをシンクロさせろってこと?」


「表現が小学生」


「ミオちゃ、おムネがドキドキちゅるねー……って誰が小学生だごらぁ!」


 澪は涼しい顔をして、両手を胸の前で重ねた。


 その姿はどこか神聖というか……いや、普通に可愛い。


「落ち着いて、観測者」


「その呼び方、いまだに照れるんだよな」


「じゃあ、『被観測者の恋人』でいい?」


「進化しすぎだろ!? もっと照れるわ!」


「でも、感情データ的には近いと思う」


「お……? いやいや、ややこしい言い回しでごまかすな!」


 笑いながらも、澪の表情は穏やかだった。


 彼女の指先がそっと端末に触れる。


《heart sync: initiating》(同期開始)


「……ん、始まった」


 ふわりと光が広がり、空気が少しだけ暖かくなる。


 ARIELの共鳴音が、まるで心臓の鼓動みたいに重なっていく。


 俺の胸の奥で、トクン、と音がした。


 それに応えるように、澪の輪郭が柔らかく揺れる。


「……ねえ悠真」


「ん?」


「前に、ほのかに会ったでしょ?」


「……ああ」


「あのとき、なにか言ってた?」


「『観測』じゃなくて、『選択』をしろって」


 澪は小さく息をのんだ。


 その目が一瞬だけ光を失う。


「……彼女らしいわ」


「あの子、昔からああいう感じだったのか?」


「うん。まっすぐで、嘘がつけない。だから、傷つくのも早いし、信じるのも早い」


「それって……お前に似てるな」


「え?」


「いや、その……なんでもない!」


「そこの観測者、顔が赤い」


「温度上昇データ取るな!」


 二人の笑い声が静かな夜に溶けていく。


 けれど、その端末の奥では別のノイズが小さく瞬いていた。


《sub-node HN-KA//connection unstable》(サブノード HN-KA//接続が不安定)


《attempting forced sync...》(強制同期を試行)


「……澪?」


「ちょっと待って。ARIELのサブノードが――」


 光が一瞬強くなり、澪の身体が透けた。


 まるでデータが乱れているみたいに。


「やばっ! おい澪!?」


「平気……少しだけ『思い出しすぎた』だけ」


「思い出しすぎた!? メモリー再生でフリーズすんなよ!」


「フリーズじゃない、バッファ中」


「用語でごまかすな!」


 彼女はふっと微笑んだ。


 その笑顔にはどこか懐かしい影が差していた。


「悠真。――私ね、『死ぬ前』の記憶が少しずつ戻ってきてる」


「……」


「怖いけど、もう逃げない。だって、見てくれる人がいるから」


 そう言って、彼女はゆっくりと俺の胸に手を当てた。


 心拍が重なる。


 トクン。


《synchronization rate: 94%》

《status: stable》(状態:安定)


 光が穏やかに収まる。


 澪がほっと息をついて、微笑んだ。


「……ねえ悠真」


「うん?」


「こうしてると、少し生きてる気がする」


「いや、生きてるよ。ちゃんと」


「そう?」


「観測者が保証する」


「ふふ、観測者って便利ね」


「観測料取ろうかな」


「請求書と一緒に成仏させるわよ」


「シュレッディングされる図が見えたわ! ふつーに怖ぇよ!」


 二人の笑いがまた響いた。


 ARIELの端末が小さく光り、外の風が窓を揺らす。


《link synchronization complete》(リンク同期完了)


《EIDOLON stage: ready for next phase》(次のフェーズの準備ができています)


 その光の奥で、ほのかの声がほんの一瞬だけ混じった。


『――澪、また会おうね』


 澪がわずかに振り返る。


 けれど、その声の正体を確かめる前に、ARIELの光は静かに夜へと溶けていった。


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