リーゼロッテの初恋 後編
馬車での移動中、リーゼロッテはうっとりとした表情で窓の外を眺めていた。
恋ってすごい。今までのリーゼロッテだったら、馬車の中の幻獣に釘付けなのに。
アルブムとルーチェ、パンケーキは足下に置かれた籠の中に入り、ぐっすり眠っているようだった。なんとも平和な光景である。
私とザラさんは、ひたすら刺繍をして時間を過ごしていた。
遠く離れた領地に、到着する。
自然が豊かで、見渡す限り小麦畑が広がっていた。
ぽつぽつと藁葺き屋根の家が並んでいる。小高い場所にあるのが、リーゼロッテに結婚を申し込んだ貴族の屋敷だろう。
リーゼロッテは景色を眺め、ほうと熱い息をはく。
「自然が、美しい場所だわ」
「それしか、褒める場所がないというか」
「お店や食堂もなさそうですね」
田舎育ちのザラさんと私は、ついつい現実的なことを呟いてしまう。
「ここ、王都から、けっこうかかりますよね」
「そうね」
もしも、この土地の貴族と結婚したら、リーゼロッテとあまり会えなくなるだろう。
私が寂しいのはもちろんのこと、父親である侯爵様は孤独のあまり夜な夜な泣いてしまうかもしれない。
「ねえ、王都暮らしのあなたが、ここでの暮らしに耐えきれるのかしら?」
「耐えてみせるわ。私は、遠征部隊での任務経験だってあるし」
「短期間の遠征任務と、長期を見越した田舎暮らしはぜんぜん違うんだけれど」
ザラさんの言葉は、希望を胸に抱くリーゼロッテには聞こえていないようだった。
「ねえ、早く行きましょう!」
ここから先は、侯爵家の大きな馬車は通らない。徒歩で行くしかないのだ。
ひとまず、一日分の荷物を持って歩き始める。
近くに見えた村も、実際に歩いてみると遠い。屋敷なんて、夕暮れ時までに近づけるのかどうか謎だ。
アルブムは小さな旗を持ち、ルーチェとパンケーキを誘導していた。
『アー、コッチニー、ツイテキテ、クダサイネエ』
『きゅ!』
『にゃうー』
小さな生き物たちが、てぽてぽと歩く様子は愛らしい。
が、ほっこりしている場合ではない。しっかり歩かなければ。
「はあ、はあ、はあ、はあ……!」
「あの、リーゼロッテ、ザラさんに荷物を持ってもらったらどうですか?」
「大丈夫よ。これくらい、平気」
リーゼロッテは恋をして変わったと思っていたが、リーゼロッテはリーゼロッテだった。本質は、何一つとして変わっていない。
安心したというか、逆に心配になったというか。
「あれ、誰か近づいてきていますよ」
「あら、本当」
ガラガラという、車輪の音が聞こえたのだ。
先のほうを見てみると、荷車をロバに引かせている青年が近づいてくる。
こちらに、手を振っていた。
「ロバを操縦しているの、もしかしてリーゼロッテに結婚を申し込んだという、ミラー子爵かもしれないです」
以前、リーゼロッテに見せてもらった姿絵に特徴が似ていた。
「そうに違いないわ!」
リーゼロッテは荷物を抱えたまま、ミラー子爵のほうへと駆けて行く。
残されたザラさんは、私の隣でぼそりと呟いた。
「リーゼロッテの王子様は、ロバに乗って登場するのね」
「みたいですね」
私とザラさんも、リーゼロッテのあとを追いかける。
「いやはや、遠いところから来ていただき、光栄に思います。今、麦の収穫期で、ここを離れるわけにはいかなくて」
ミラー子爵はリーゼロッテに聞いていたとおりの、好青年だった。
背はそこまで高くなく、リーゼロッテと同じくらい。
小麦のような薄茶色の髪に、優しげな灰色の瞳。少し猫背で、ぶかぶかなフロックコートをまとっていた。
リーゼロッテは頬を染め、嬉しそうに話している。あんなににこやかなリーゼロッテは、初めて見る。
「ああ、これが、幻獣!!」
パンケーキとルーチェを見たミラー子爵は、興奮している様子だった。
世にも珍しい銀色の山猫と、伝説の竜なので、余計に感激しているのだろう。
荷物とパンケーキ、ルーチェ、アルブムを荷車に乗せ、リーゼロッテとミラー子爵は操縦席に並んで座る。
私とザラさんは、その後ろを歩いてついていく。
ロバの引く荷車はそこまで速く進まないので、徒歩でもまったく問題ない。
「ザラさん、どう思います?」
「うーーん。恋は盲目って感じ? 優しさ以外で、彼に魅力を感じないわ」
「ざっくりいきましたね」
しかし、私の印象もだいたい似たようなものである。
正直に言って、リーゼロッテとは不釣り合いな気がした。
二時間後、ミラー子爵家に到着した。
「さあさ、今日は、鹿のシチューを用意しているんです。たんと、食べていってください」
血で煮込んだという独特過ぎるスープをいただく。さすがのザラさんも、眉を顰めながら食べていた。正直に言ったら生臭く、おいしくないのだ。
ザラさんの村でも血を使ったソーセージを食べていたようだが、加工の違いなのか。とにかく臭いのだ。
一方で、リーゼロッテは平然と食べている。
恋というスパイスが混ざっているから、食材の臭さも平気なのだろうか。
「リーゼロッテさん、ここの森には、たくさんの幻獣を見かけるんです」
「まあ、素敵!」
「それで、幻獣を捕獲して――」
「捕獲?」
「ええ。繁殖させて、国外の貴族に向けた商売をできればと、思っているんです。そのために、リーゼロッテさんの幻獣の知識を伝授いただけたらなと」
カチャーン。
リーゼロッテが匙を石の床の上に落とす。
恋する乙女だったリーゼロッテの顔が、エイの干物みたいに変わっていた。
あまりにも、怖すぎる。
「幻獣を、繁殖? 商売?」
「はい! 隣国の商人が、教えてくれたんです。幻獣で商売ができると」
「そう。あなた、そういうことが、したかったのね」
リーゼロッテの眼鏡が、怪しく光る。
恋が冷める瞬間を、目にしてしまった。
◇◇◇
あの日、リーゼロッテはミラー子爵の前でキレ散らした。
すっかり怯えきったミラー子爵は、リーゼロッテとの結婚を断る。
リーゼロッテは、残念ながら振られてしまったのだ。
ミラー子爵はまだ何もしていなかったが、それでも怪しいと幻獣保護局の家宅捜索が入った。
屋敷から、幻獣の皮や骨格標本などが押収され、騎士隊に連行された。
意外にも、侯爵様はリーゼロッテを怒らなかったらしい。何も言わずに、家に迎え入れたと。
さすがのリーゼロッテも落ち込んでいたようだが、一週間ほどで復活した。
「メル、わたくし、絶対に結婚なんかしないわ!!!!! わたくしの人生は、商売と幻獣に捧げます!!!!!」
「そ、そっか」
人生何が起こるかわからない。私だって、結婚なんてしてやるものかという思いで、王都にやってきたのだ。
第二部隊に入隊し、ザラさんと出会った。
今、私はとても幸せである。
しかし、結婚だけが人生の幸せではない。
リーゼロッテはリーゼロッテの幸せを、探してほしいと心から思った。




