山の主と賊の末路
深い雪に覆われた山道の奥。黒い口を開ける巨大な洞窟と、それを守るように群れをなす犬型の魔獣たちがいた。
村の近くとは比べものにならないほど空気は重く、肌を刺すような殺気に満ちている。
「おい……ここ、ベリアの街じゃねえぞ……! 何なんだよ、この不気味な穴は……!?」
「ま、まさか……お前! 俺たちをっ……!」
目隠しを外された賊たちが、ガタガタと震えながら周囲を見回す。ソリの上で身動きを封じられた彼らの視線の先、洞窟の暗がりから、ずしり、と雪を揺らす重厚な足音が近づいてきた。
現れたのは、セレスの山々を統べる狼の巨獣。「山の主」と呼ばれ、この一帯の魔獣の頂点に立つ存在だ。その背後の闇には、冬の飢えに喘ぐ凶暴な魔獣たちの紅い瞳が、幾つも浮かび上がっていく。
「ヒッ……!? ひ、ひぃ! 食われる……殺されるッ!!」
絶望に狂う賊たちをよそに、レイは静かに歩を進め、彼らをソリから雪の上へ引きずり下ろした。
「さて、村では散々暴れていただいたようですが。今度は貴方たちが弱者の側になるわけです」
無骨な『黄昏の杖』の先端を地面に突く。
ちりり、と静寂に鈴の音が響いた。
その瞬間、爛々と殺気を撒き散らしていた「山の主」がレイの気配を察し、ピタリと足を止めた。巨躯には古い傷痕がいくつも刻まれている。なかでも眉間の真新しい刀傷が、レイの発する空気の揺らぎに反応して、ヒクヒクと引きつった。
(……言わずもがな、伝わっているようですね)
かつてセレス村の領域を巡り、この主と死闘を繰り広げた日々があった。途中からは互いに腕試しのようなものになっていたが、その果てに結ばれた上下関係にも似た取り決めがある。村へは勢力として侵攻しないこと。そして、人の血を山に持ち込む者があれば、その始末は主に委ねること。
巨獣は鬱陶しそうに、だがどこか深い畏れと敬意の混じった唸りを漏らした。本能の奥底に、この盲目の青年の圧倒的な強さが刻み込まれているのだ。
「――久しいですね。冬の山は厳しいでしょう。ちょっとした差し入れを持ってきましたよ」
レイは穏やかに語りかける。人間と魔獣。本来なら相容れぬ存在でありながら、過去の死闘が結んだ「主従」にも近い協定が、そこにはあった。
「領域内に不穏分子が紛れ込んだようで。厳しい冬の夜中ですし、気づかなかったのは致し方ないでしょう。以後はもう少し警戒していただきたいところですが」
レイは賊たちへ顔を向けた。
「この男たちは村に侵入し、食料を奪おうとした。そして……そう、そこのお前」
レイの指先が、一人の男を指す。倉庫で自警団の若者の命を奪った張本人だ。
「な、なんだよ……っ!?」
「倉庫番を斬ったのは、お前でしょう。わたしの守るべきものに手を出した。なにより、命を奪った罪は、この場で受けてもらいます」
レイはスッと一歩引き、手先を払った。それが「許可」の合図だった。
「――ガアアアアッ!!」
「ぎゃあああああああッ!? た、助け――ッ!!」
主の周囲の群れが一斉に襲いかかる。手を下した男は、厳冬の山の掟――獲物として闇へと引きずり込まれ、一瞬で雪原の露と消えた。
「あ……ああああ……」
腰を抜かす賊たちを見下ろし、レイは穏やかに続ける。
「ああ、残った皆さんはどうぞ抵抗してください。得物もお返ししましょう。隊長さんはなかなか腕に覚えがあるようですし、生き残れるかもしれませんよ?」
レイが武器を投げ与え、賊全員の縄を解く。
「そ、そうだ! 隊長もいるんだ、モンスター程度っ!」
「さあ、今度は貴方がたが蹂躙される番です」
その言葉が終わるより早く、狼の群れが雪を蹴った。
「ひっ、来るな、来る――ぎッ!」
先頭の一匹が男の太腿に食らいつき、そのまま引き倒す。倒れた背に別の狼が飛び乗り、肩口へ牙を沈めた。肉の裂ける湿った音と、骨に牙の当たる鈍い音。
「やめ、やめてくれ、足が、足がぁッ!」
振り回す剣は空を切るだけだった。獣たちは急所を外し、足を噛み砕いて逃げ場を奪い、腕に食らいついては引きずり回す。這いずって逃げようとする背を爪が裂き、ふくらはぎを噛まれた男が、雪を掻いて泣き叫んだ。雪が見る間に赤黒く染まっていく。
その輪から離れた場所で、隊長だけが山の主と対峙していた。
「くそっ……化け物がァッ!」
渾身の斬撃が主の肩口を捉える。だが分厚い毛皮と筋肉に阻まれ、刃は浅く食い込んだだけだった。主は意にも介さず、片腕を振る。
「ぐ、あッ!?」
爪が脇腹を抉った。隊長の身体が雪の上を転がる。それでも歯を食いしばって起き上がり、折れかけた剣を握り直した。
「ほう、まだ立ちますか」
レイが小さく呟く。
隊長は死に物狂いで踏み込み、主の前脚を斬りつけた。血飛沫が舞う。主が低く唸り、初めて本気の殺気を剥き出しにした。次の瞬間、巨大な顎が隊長の左腕に噛みつく。ごきり、と骨の砕ける音が、悲鳴にかき消された。
「ああああああッ!!」
振り回され、投げ捨てられ、岩壁に叩きつけられる。肋骨が軋み、息が詰まった。それでも隊長は、残った右手で剣を離さなかった。
その向こうでは、部下たちがまだ嬲られ続けていた。悲鳴は一つ、また一つと弱まり、やがて泣き声と、荒い呼吸だけになる。
このままでは、誰かの命が尽きる。
――ちりり。
鈴の音が、一度だけ静かに響いた。
「もういいでしょう」
レイの一言で、主が牙を引いた。群れも一斉に動きを止める。
残されたのは、辛うじて息のある六人だった。足を噛み砕かれて立てない者。肩から腕にかけてを食い千切られ、血に濡れた腕をだらりと下げた者。背を裂かれ、雪の上でうめく者。隊長もまた、砕けた左腕を抱え、岩壁にもたれて浅く喘いでいる
レイの冷徹な一言に、主が雄叫びで応える。殺気立っていた魔獣たちが、ピタリと動きを止めた。
「……さて、殺される側は堪能されましたか? 次、村や仲間に手を出したら……わかりますよね。ああ、安易にこの山へ近づかないことです。皆、貴方たちの匂いはもう覚えていますので」
血と脂汗にまみれて震える賊たちへ、レイは一切の情を排した声で告げた。
「村人を殺めた者には死を。加担し、奪おうとした者には相応の報いを。……言っておきますが、次はありません。さてベリアへ向かいますよ」
ボロボロになった賊を再び縛り上げ、ソリに乗せる。
「主よ、また手合わせしましょう。ただ、冬とはいえ貴方の仕事はしっかりやっていただかないと。近いうちにまた食料を持ってきますね」
山の主は申し訳なさそうに頭を下げ、洞窟の闇へと帰っていった。
◇
ベリアの門が見えたところで、ルイスと合流した。が――。
「ちょっ……! モンスターに襲われたのか!?」
「ええ、山の主に遭遇してしまって。一人は間に合いませんでした。……ねえ?」
賊へ視線を送る。わかっているな、と言わんばかりの冷たい眼光が、一味に突き刺さった。
「だから一人は危ないって言っただろうが……。まぁ、お前が無事だっただけましか」
「ぁ……ああ……。こいつのおかげで、なんとか……一人の犠牲で、助かった……んだ……」
「しかし、重傷者が何人もいるな。ひとまず応急処置してやれ」
衛兵長の指示のもと、満身創痍の賊たちが治療のために連行されていく。
「捕縛と連行、感謝する。取り調べの後、改めて報酬を用意しよう」
事情を先に説明していた衛兵たちに賊を任せ、ルイスとレイはベリアの街へ。二人は一路、鍛冶屋へと向かい用事を済ませ帰路についたのであった。




