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たくさん喋る田草くんは、遠井さんの沈黙すらも愛おしい  作者: 柊原 ゆず


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第八話 押し寄せる不純


  志弦と静香という、規格外の二人が文学部に入部してから数週間。

 普段はカビと埃の匂いが漂うだけで、誰一人寄り付かなかった特別棟の片隅の部室に、創部以来の『前代未聞の事態』が巻き起こっていた。


「あのっ、入部届、持ってきました!私、昔から文学にすごく興味があって……っ!」

「俺もっす!ぜひ入部させてください! 遠井さん……いや、その、文学について深く語り合いたくて!」


 放課後になるたび、油切れで立て付けの悪い部室のドアが次々と叩かれ、連日のように大勢の生徒たちが押しかけてきたのだ。

 その数は、幽霊部員をかき集めた程度の人数ではない。ドアの外には順番待ちの列ができ、狭い部室はあっという間に人で溢れかえってしまった。

 しかし。

 彼らの熱を帯びた目は、明らかに『文学』など見ていなかった。

 女子生徒たちの視線は、部屋の奥のパイプ椅子に座り、身振り手振りを交えながら流れるように言葉を紡ぐ、長身の少年に熱っぽく注がれている。

 少し癖のある柔らかな茶髪、アメジストのように深く澄んだ紫色の瞳、そして端正な顔立ち。黙っていれば息を呑むような美少年である志弦が、楽しそうに笑顔で喋っている姿は、年頃の女子たちのハートを撃ち抜くには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。


「田草くんって、頭もいいし顔もいいよね……あんなに一途に話しかけてくれるなんて最高……」

「私にもあんな風に話しかけてほしいな……」


 一方、男子生徒たちの視線は、窓際という特等席で、誰の声にも耳を貸さずに読書に没頭する少女に釘付けになっていた。

 艶やかな濡羽色のショートボブ、窓からの光を透かす白磁のような肌、そしてサファイアのように冷たく美しい青い瞳。誰も寄せ付けない絶対零度のオーラを放つ静香の神秘的な美しさは、男子たちの庇護欲と征服欲を同時に掻き立てていた。


「遠井さん、マジで綺麗すぎだろ……」

「あんな冷たい目で睨まれたい……いや、俺が笑わせてみたい……」


 そう、彼らは完全に『美貌の新入生二人目当て』という、あまりにも不純な動機で、この埃っぽい文学部へと足を踏み入れてきたのだ。

 誰一人として、手に本など持っていない。本棚に並ぶ名作文学には見向きもせず、ただ自分たちの欲望の対象を獲物のように見つめている。


「ど、どうしよう古崎さん……部員が増えるのは嬉しいはずなんだけど、なんかみんな、目が怖いよぉ……」

「渡辺くん。私達が読書するスペース、もうないね……」


 本来の主であるはずの三年生、文也と穂香は、次々と押し寄せるギラギラした生徒たちの圧に完全に負け、部屋の隅に追いやられて縮こまっていた。

 地味で平和だった文学部は、新入生二人の圧倒的なビジュアルが引き起こした『美の引力』によって、今や煩悩と下心が渦巻くカオスな空間へと変貌を遂げてしまったのである。

 そんな惨状など露知らず、新入部員たちはさっそくお目当ての二人へアプローチをかけ始めた。


「た、田草くん!もしよかったら、今度のお休みに一緒に本屋さんに――」

「遠井さん、その本難しそうだね。俺、結構そういうの得意でさ。よかったら解説してあげようか――」


 勇気を振り絞った甘い声と、自信ありげなナンパ文句。

 しかし、その程度の凡庸なアプローチで、この二人の間に築かれた『絶対的で歪な世界』が揺らぐはずもなかった。


「えっ、本屋さん!?」


 女子生徒の誘いに対し、志弦はパッと顔を輝かせた。脈ありかと思いきや、続く言葉は常軌を逸した弾幕となって女子生徒に降り注ぐ。


「ごめんね!僕、これから静香ちゃんが昨日読んでた本と同じものを買いに行って、隅から隅まで読み込んで、明日静香ちゃんと感想を深く熱く語り合わなきゃいけないんだ!一秒たりとも無駄にできないの!あ、でも君のおすすめの本があるなら教えてよ!それが静香ちゃんの尊い知的好奇心を満たすに値するかどうか、僕が厳正に審査してあげるから!!」


 志弦は女子からのデートの誘いを、息を吸うように『静香のための行動』へと変換し、笑顔のまま木っ端微塵に粉砕した。


「えっ……あ、え……」


 女子生徒は引き攣った顔のまま石像のように固まってしまう。

 一方、静香に声をかけ、馴れ馴れしく机に手をついた男子生徒への反応は。


「…………」


 完全なる『無視』であった。

 静香は微動だにせず、サファイアの瞳は活字から一ミリも動かない。瞬きすらしていないのではないかと思えるほどの集中力だ。声が聞こえているのかすら怪しいレベルの徹底した無視に、男子生徒はプライドを粉々に砕かれ、顔を真っ赤にして後ずさるしかなかった。


「あーあ。君、ダメだよ」


 恥辱に震えるその男子生徒の背後から、不意に冷ややかな声が鼓膜を打った。

 振り返ると、そこには志弦が立っていた。

 先ほどまで女子に向けていたヘラヘラとした笑顔は完全に消え失せている。少し癖のある茶髪の奥から覗く紫色の瞳には一切の光が宿っておらず、まるで深淵のように昏く、男子生徒を容赦なく射抜いていた。


「静香ちゃんは今、すごく大事なところを読んでるんだ。彼女の神聖な思考の海を邪魔するなんて、文学部として、いや人間として最低の行為だと思わない?次に静香ちゃんの視界を遮ったら……どうなるか、わかるよね?」

「ヒッ……!」


 声のトーンは決して高くはない。だが、志弦から放たれる理不尽で純粋な殺気に当てられ、男子生徒は恐怖で顔を青ざめさせた。

 愛する者以外を完全に『排除すべき障害物』としか見なさない狂気の眼差し。それに耐えきれず、男子生徒は「す、すみませんっ!!」と悲鳴を上げ、這々の体で部室の隅へと逃げ出した。

 賑やかになるどころか、恐怖と困惑、そして一方的な言葉の暴力と冷徹な無視によって支配されていく文学部。

 下心を持って入部してきた希望者たちは、もはや二人に近づくことすらできず、ただ遠巻きに彼らを眺めるだけの『観葉植物』のような存在へと成り下がっていくのだった。


「う、うう……僕たちの、穏やかな読書の時間が……」


 すっかり酸素が薄く、息苦しくなった部室の一番隅っこで。

 部長の文也は、胃の辺りをきつく押さえながら、情けないうめき声を上げていた。

 かつては穂香と二人きりで甘酸っぱい時間を過ごしていた愛すべき聖域は、今や見る影もない。

 部屋の空気を支配しているのは、ただ一人我が道を往き、サファイアの瞳で冷酷に文字を追い続ける静香。そして、その静香を崇拝し、彼女を守るという大義名分のもとに、少しでも彼女の視界に入ろうとする輩を片っ端から威圧し、排除していく志弦の二人だけだ。


(渡辺くん、大丈夫……?お薬、飲む?)

(ありがとう古崎さん……でも、この胃痛は薬じゃ治らない気がするよ……)


 穂香が心配そうに文也の背中をさするが、文也の顔色は青白いままだ。

 彼らの視線の先には、壁際に追いやられ、怯えた顔で息を潜める大量の「観葉植物という名の新入部員」達と、その中央で周囲の空気など一切気にせず、相変わらず息継ぎなしの弾幕トークを繰り広げる志弦の姿がある。


「ねえ静香ちゃん!今日の静香ちゃんも最高に綺麗だよ! さっきの本の続きなんだけどね――」


 狂気と無関心が織りなす、絶対に誰も入り込めない歪なテリトリー。

 カオスと化したこの文学部で、善良で地味な先輩二人の平穏が取り戻される日は、どうやら果てしなく、絶望的なまでに遠いようだった。


つづく

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