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たくさん喋る田草くんは、遠井さんの沈黙すらも愛おしい  作者: 柊原 ゆず


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第一話 拒絶しない君


【登場人物】

⭐︎田草 志弦

挿絵(By みてみん)


⭐︎遠井 静香

挿絵(By みてみん)






 原色で彩られたプラスチックのブロックが、幾何学的な模様を描くようにプレイルームの床に散らばっている。そこかしこで上がる子供たちの甲高い歓声は、窓から差し込む午後の陽光と混じり合い、むせ返るような熱気を帯びていた。

 しかし、その無邪気な喧騒のただ中にあって、田草 志弦(たくさ しづる)の周囲だけは奇妙な静寂に包まれていた。まるで彼を中心にして、見えないコンパスで線を引いたかのように、誰もその円の内側へ入ろうとはしない。


「ねえねえ、どうして空って青いの?海が反射してるからって言う人がいるけど、でもさ、夜の海は真っ黒なのに、どうして夜の空は青くならないの?おかしいよね?あとさ、お庭のアリさんって、いつも綺麗に一列になって歩いてるじゃない?あれって、一番前のアリさんがもし道を間違えちゃったら、後ろの何百匹もいるアリさんたち、みんな一緒に迷子になっちゃうのかな それってすっごく大変なことじゃない?ご飯も食べられないし、お家にも帰れないよ。ねえ、聞いてる?たっくん、僕の話、聞いてる?」


 志弦の小さな唇からは、息継ぎの隙間すら与えないほどの勢いで、言葉の濁流が溢れ出し続けていた。五歳の彼にとって、この世界は果てしない疑問と、まだ見ぬ発見に満ち溢れた巨大な宝箱だった。頭の中に次々と浮かび上がる「なぜ?」「どうして?」を、彼は言語化せずにはいられなかった。

 だが、彼の思考のすさまじい回転速度と、そこから弾き出される言葉の出力の多さに、同年代の園児たちがついていけるはずもなかった。最初は「わかんない」「そうかもね」と、曖昧な笑顔で適当な相槌を打っていた遊び相手の男の子も、まるで機関銃のように放たれる、終わりの見えない質問攻めに次第に疲弊し、その表情から笑顔が消えていく。


「もう、しづるくんうるさい!むこういって!」


 苛立ちを隠しきれなくなった男の子は、耳を両手で塞ぎ、乱暴な言葉を投げつけると、脱兎のごとく別のおもちゃの輪の中へ逃げていってしまった。


「……え?」


 何度目かの新たな「なんで?」を口にしようと息を吸い込んだ志弦は、中宙で言葉を失ったまま、ぽつんと一人取り残された。

 志弦には、悪気など微塵もないのだ。ただ、脳裏に閃いた思考の火花を、余すことなく言葉にして外の世界に放たなければ、胸の奥がモヤモヤとして落ち着かないだけなのだ。純粋な知的好奇心の表れ。しかし、その圧倒的な熱量は、他者にとっては耳を塞ぎたくなる『鬱陶しいノイズ』でしかなかった。

 まただ……。

 志弦は眉を下げた。

 みんな、最初は僕のお話を聞いて笑ってくれる。面白いねって言ってくれる。

 でも、最後にはいつも、困ったように眉根を寄せて、僕から離れていってしまう。

 それが、この幼稚園に入園して以来、幾度となく繰り返されてきた、志弦の世界における絶対的な法則だった。

 ふと、志弦は部屋の片隅へと視線を巡らせた。騒々しいプレイルームの中で、そこだけまるで別の時間が流れているかのような、不思議な静寂に包まれた空間があった。遠井 静香(とおい しずか)だ。彼女は、他の誰と交わることもなく、一人で壁際に向かって座り、黙々と分厚い図鑑のページをめくっていた。喜怒哀楽の感情がすっぽりと抜け落ちたような、ガラス玉のように透き通った冷たい瞳。その視線は、周囲の喧騒など一切視界に入っていないかのように、ただひたすらに図鑑の紙面だけを捉えていた。

 志弦は、まるで目に見えない糸で引かれるかのように、ふらふらと彼女の隣へと歩み寄り、静かにしゃがみ込んだ。


「ねえねえ、静香ちゃん。何読んでるの?虫さんの本?それともお花?あ、違うね、それ動物の図鑑だね!わかるわかる、僕もね、図鑑すっごく大好きなんだ!だって図鑑って、世界中の僕たちの知らないことがいーっぱい載ってるじゃない?読んでるとさ、『どうしてこの動物はこんな形をしてるのかな?』とか『なんでこんなところに住んでるのかな?』って、新しい疑問が頭の中にどんどん湧いてきて、すっごく楽しいよね!ねぇ、静香ちゃんはどの動物が一番好きなの?僕はね、チーターかな!だって、車と同じくらいすっごく速く走れるんだよ。でもね、すぐに疲れちゃうから、長い時間は走れないんだって。面白いよね!静香ちゃんはどう思う?」


 再び、矢継ぎ早に言葉の礫を投げつける。普段の彼なら、ここで「うるさい」と突き飛ばされるか、無視して立ち去られるか、最悪の場合は泣き出されてしまうかのどれかだ。志弦自身、心のどこかでそれを予想し、少しだけ身構えていた。

 しかし――静香は逃げなかった。正確に言えば、彼女は『微動だにしなかった』のだ。

 図鑑を見つめる彼女の視線は、隣で堰を切ったように喋り続ける志弦の方へ、一瞬たりとも向かうことはなかった。一定のリズムでページをめくる指先の滑らかな動きさえ、止まる気配はない。彼女にとって、志弦が発する言葉の数々は、窓の外でジリジリと鳴く蝉の羽音や、遠くの道路を走り抜ける車のエンジン音と全く同じだった。つまり、単なる意味を持たない『環境音』に過ぎなかったのだ。興味がない。だから、反応する価値も、必要もない。そこにあるのは、他者に対する徹底した無関心だった。だが、その氷のように冷え切った態度を、志弦の特異な脳は、全く別の、そして彼にとって都合の良い形へと変換して受け取ったのだ。


『……逃げない』

『僕を「うるさい」って拒絶しない』


 志弦の胸の奥で、心臓がドクン、と大きく、痛いほどに跳ねた。

 今まで、誰一人として耐えられず、耳を塞いで逃げ出していった僕の言葉の洪水を、こんなに近くで浴びているのに。彼女は隣にいてくれる。立ち去ろうとしない。彼女は、僕を嫌がらないんだ。


「……静香ちゃんも、僕と同じで図鑑が好きなんだね。なんだか、とってもうれしいな」


 ぽつりと、志弦は熱を帯びた、うっとりとするような声で呟いた。もちろん、静香は図鑑から目を離さず、彼の言葉に相槌を打つこともない。


「静香ちゃんは、僕のお話、ずっと聞いてくれるんだね。……うれしいな。だったら、僕も静香ちゃんのこと、ずっと見ててあげるね。ずっと、ずーっとだよ」


 志弦の口元に、五歳の子供とは思えないような、どこか歪で、そしてひどく甘い笑みが浮かび上がった。

 他者との関わりを断ち、言葉を持たないクールな少女。溢れ出す言葉を止められず、他者から理解されない少年。

 決して交わるはずのなかった二つの孤独が、ひどく歪な形で結びついた瞬間だった。それは、後に続く長く、そして取り返しのつかない関わりの、ほんの始まりの合図に過ぎなかった。


 つづく

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