彼の活動 終
過去の話。少し前の話だった。
皆殺し事件から二週間たった。
少女にとって最悪な出来事だっただろう。世界にとって些細な出来事であっても、年頃の子供には過酷なことだと彼は思う。
思い返すたびに、他人事でありながら彼の心は若干の痛みを覚えていた。彼は少女の両親など面識はない。されど、悲しみの中で必死に涙を押し殺していた姿を夢に見てしまう。事件解決後、少女の家へと一緒に向かい、玄関前で腐りかけていた死体。血痕も新しく、真っ赤だった。血まみれの部屋、強烈な異臭。その世界で少女はよく耐えていたと彼は本気で思う。
グラスフィールの都市で意味もわからなく泣いていた姿はなく、悔しさと世界の非情さを噛みしめていた子供を。彼はただ何も言えずに、外に出ていた記憶。
魔物たちを連れ、外へと待機。少女の気のすむままに、ここで待ちつこうとしていた。されど、少女は数分の間に出てきていた。最初に持ち合わせていなかった鞄を一つ。その鞄は少女の左腰にゆらゆらと揺れている。右肩にかけられたベルトから左側の腰に流す姿。ぎゅうぎゅうに詰められているためか、パンパンだ。
古びている。
「・・・護衛ありがとうございました」
少女はただ彼の姿を見て、礼をいう。躊躇いがちに浸食する憎悪を隠さず、ただ涙をこらえた子供の姿。少女が女性であるという点を忘れ、少女が唯の子供であるという事実を忘れ。
「・・・まだ時間は」
彼は空気を読んだつもりだ。だからこそ、急いでないと少女に伝えようとした。一瞬の合間を入れる何時もの会話であったはずだ。
「・・・いいんです、ここにいたら私は両親を嫌いになってしまいそうです」
少女の精神状態は彼にはわからない。人の心を判るつもりなどない。わかったふりをする宗教者の思いもない。
「・・・」
「私の知っている両親は暖かい人でした。生きているとき、抱きしめられたときに、ほんわかとした温かみが母にはありました。父には中年腹が出ていて、ぷにゅぷにゅしてました」
「・・・」
彼は何も語らない。少女は自分の世界に入り込んでいると理解したからだ。独白したい気持ちをもって、必死に耐えているのだ。泣きはしない、思い出を振り返すだけで泣かないと気迫が凄まじいものだった。
「・・・寝ているばかりじゃないんです。私の両親は、働く人です。寝ているだけの人ではありません。決して腐った異臭を放つ人ではないんです」
「・・・それは・・・」
「だから、あれは両親であって、両親じゃない。私は親不孝ものです。助けてあげれなかった。風邪を引いて熱を出したときも、怪我をしたときも、手伝いをして失敗をしたときも。必死に支えてくれて、慰めてくれた両親を助けてあげれなかった。それどころか両親の死体を見て、どうしようもなく吐き出しそうになりました」
「・・・墓を作るくらいなら」
彼は手伝える。それを認識してか否か、少女は顔を横に振った。
「必要ありません。あの両親に墓はいらない。腐った死体は両親への不義理の証です。私が駄目だった証、何も悪くない両親に、何もしてあげられない。それが私があの両親に対する覚悟です。墓を作らない、生きていた記憶をここで閉ざすための覚悟です。ここで墓を作り、悲しみを閉じ込めてしまったら私は上を目指せなくなります」
少女は一息ついた。
「 私が果たすべき役割を誰かに投げ出すつもりはありません」
彼はその姿に飲み込まれそうになっていた。他人が、彼の心に刻みこむ気高さ。心のありさま。未成熟な精神が描く芸術のごとき、その神聖さ。
話す内容、少女は娘としての責務を果たさないといっている。だが常識ある子供が、両親を弔わないという覚悟を誰が出来るというのか。
彼と違い、面倒だからではない。死者を埋葬する際に出る悲しみを残さないように、悔しさを前にするための覚悟なのだ。
「・・・このままにするのですか?」
「・・・町の人たちも仲良くしてくれました。とても優しい方たちです。ですが、皆死んでしまいました。死んで、異臭を放って町で眠っています。両親を仮に弔って、町の人たちだけ放置というのは不義理です。この町に対して、不義理なことなんです」
思い出すたびに、この世界は非常である。
されど、彼は町の人たちが可哀想であっても同情はしない。彼にとって死体とでしか面識はない。生きている姿を、動いていた形を示されていない。だから、可哀想という感情だけだ。
だが、少女は違う。生きている有様を見つめ、死体でなかった頃をしっている。その過去を知って尚、生きようとしている。
彼は過去の出来事を思い返すたびに。それと同じことができるかと思う。
そして、結論が出た。
出来る。
自分にとって。
世界なんて興味がわいて、興味を湧いてほしくても。道端の石程度の興味と、道端のごみ程度に目を向けてほしくない。この面倒くさい己の精神状態が。
目障りなのだ。自分の感情も、他人の感情も。全てにおいて、目障りだ。
少女という未来が定まらない存在と、彼という未来がある程度定まった大人では大きく異なる。彼は自分さえ無事であればよい。魔物さえ平和であれば、別にいい。
仮に。
目の前の少女が死んだとしても、泣くことはない。悲しむことはあるかもしれないが、泣くことはない。少女のような気高さも、神聖さも持ち合わさず。
そうか、死んじゃったか。
その一言だけで片づけてしまう。感情を示さず、無表情のままで記憶の処理を施すだろう。
だから、今彼は飲み込まれてしまっていたのだ。自分では敵わぬ、感情の豊かさを。少女が悲しみ、耐える。人間としての基本性能。感情の増減の表しが出来る事実を見つめてしまっていたのだ。
「私は生きています。今より、未来のことを」
考えていかないと。
そう小さく告げた少女の体の震えが未だに夢に出てくるのはどうしてか。彼は常に思う。
他人が彼の心に刻まれている。夢に出てくる。恋愛とかいう甘ったるいものではないが、人間としての真の強さを見せつけられた気がした。
これは夢だ。
少女と別れた後、すぐに彼はベルクに戻っている。彼が最初に訪れた都市であり、王国の中でも安全という点で上位の防壁世界。その中でも金銭が安い、ぼろの宿屋。部屋をずっとそのままで維持させていた。だれにもかさせず、金で開けて置かせておいた一室。魔物たちが沢山いるせいで、狭苦しいこの空間。
久しぶりに寝たときに見た夢だ。硬すぎるベッドと隣にいるアラクネたる雲。足元にはコボルト二匹がいつの間にか侵入している。
彼は起こさぬように、上体を上げた。布団から出ることも煩わしい。だが、寝るには汗があふれている。窓を覗けば、夜空の星々が空の綿あめに妨害されつつ、活動している時間帯。
静まり返った一室。魔物たちは全員寝ている。ベット脇に置いた腕時計を見れば、時刻は3時。寝るときが11時と思えば、それなりに寝たといえる。
眠気はない。
彼は面倒だが、ベットからそっと降りた。息苦しさを何処か感じる現実に、気分を変えたくなったのかもしれない。
顔が汗でべったりするが水を使うわけにもいかない。深夜の一室を歩き、椅子にかけられた上着を取る。脇に抱えるようにして、すたすたと歩きだした。行く先は外。目指すべきは空の下。
ぼろぼろの宿屋の前。彼は空を見上げている。
誰もいない。ときおり出てくるであろう深夜の人間も、彼とは目を合わさない。静かな空間、もう少し都市の中心へと進めば人気も出てくるのだろう。
だが行かない。そこまで足を延ばす気はない。脇で持った上着をその場で羽織る。防寒対策を果たして、今の天気で心の感情を流そうとした。
空を見上げて、彼は思い返す。
自分は酷い大人だと理解させられる。子供に対し、非情な現実を理解した子供に対しての、放置。その事件のあと、少女は誰も埋葬せずにグラスフィールの都市へと戻る選択をした。
彼の常識では、家族を埋葬し泣く姿があると思った。だが、一切せず町の姿を刻みこむようにして、悔しさの表情を保ち続けていた。
「・・・」
「・・・」
道中、会話はない。少女が選択し、彼がそれを追随した。それだけのことだった。
グラスフィールの都市に戻った際、広場前で少女から護衛の代金を渡された。受け取ることすら拒否しようとしたが、彼は結局受け取った。現実を噛みしめた子供がこれから生きていく。その際に必要なのは同情ではない。
人を動かしたら金を払う。賃金と金銭の動き。拘束時間と労働内容によって変化する金。少女は今、岐路に立たされている。
保護者がいない一人だけで道を誤ったら正す人もいない。一度限りの選択しかできない世界へと入りこまされたのだ。
社会の仕組みを知る。それだけのために、彼は受け取った。いらないと本音ではいいたい。他人に興味がない彼ですら、少女には同情したくなる。だが、決して同情を表に出すことはしなかった。
彼は何もしてあげられない。なぜなら二度と会うことはないと確信しているからだ。彼が出会った人物はたまに会う程度で、ほとんどが顔合わせすることがなかった。
二度と会わないのに。
気を使うべきか。
否。
最後なのだから、嫌われてもいい。少女は上を目指すことを目標としている。両親が死に、町の人々が死ぬ。何より暴行未遂を受けている。不幸の連続を味わっている。それを上書きするように、彼はしなければならないことが出来てしまった。
現実を直視させること。狂気に満ちた上への向上心を果たしても、目指すべき道が定まらないものに幸せは持ち合わせない。
自分の失敗から学ぶ、失敗者の思いを少女に伝えなければならないのだと覚悟したのだ。
護衛の依頼を受けた。金を受け取った。少女は人を動かし、金を払うことを経験した。ならば、今度は彼が経験する番なのだ。
少女が何を目的として上を目指すのかを聞く。そして何もなければ、現実を直視させたまま出来る範囲での生活を補助する。
さりげなく、言葉で少女を否定しなくてはいけない立場。そこから出るであろう心の訴えを退けなくてはいけない。そうなったとき、彼はどうしようもなく吐きそうになった。
少女がグラスフィールに一か月ほど滞在すると消える前に言っていた。
少女は、泊まる宿を伝えて、彼の視界から消えた。
なぜ、伝えたのか。少女はなぜ彼へ伝えたのか。
そんなのは彼が一番知っていることだ。
助けてほしいのだ。何もなくても助けてほしいのだ。
知りたくもない。底辺が他者の気持ちを知ったかぶる気分。物凄く不愉快だ。自分が本当に嫌になるとその時の彼は思った。
彼はその日、グラスフィールの宿から出なかった。次の日もその次の日も出なかった。対策を考えるのもそう、会話を考えるのもそう。やるべきことを考えることから彼は始めた。
ようやく動いたのは大分時間が立ってからだった。部屋にこもり、魔物たちにその間指示を出す。
大人としての責務を果たすべき。大人とは何と傲慢な上から目線と、面倒くさい義務を兼ね備えているのかと本気で叫びそうだった。己への重圧。子供に対しての教育。
吐きそうになりながら、一週間の時間をもって果たした。食事をするという話を少女の宿まで言って一方的に伝えた記憶。
そして食事の前日。気分に耐えかねて、吐き出した記憶。魔物が寝静まった世界で、必死に桶に己の胃の中身を吐き出す姿。みじめだ。他人にたいし、被害をおったわけでもない自分が重圧に押しつぶされかけてしまっていたのだ。
どうすればいい。
どうしたらいい。
その中で、考えて悩みぬいて。
当日を迎えた。
今思い返せば何もできなかった。
もし視界の片隅にリザという淑女がいなければ失敗だった。
もし何もできなければ、彼は護衛の代金を全部返却し、日雇い仕事という底辺への道を歩かせたかもしれない。生きるために底辺の道を進むか。無収入という死ぬことが確定される廃人へと堕ちていくか。学業への道を突き進んで、仕事をこなすというのは。
労働法があって出来ることなのだ。縛られた時間、決められたこと。それだけをこなすという内容をもって兼業できるのだ。何もない少女が、出来るわけがない。
そう考えれば、彼はリザに頭が上がらない。
考えたくもない。失敗したときのことなど。
彼は空を見上げて、頬を両手で軽くたたく。
「・・・ハリングルッズの仕事を頑張らないと」
少女は救われた。彼が多少関与した斡旋のおかげとはいえ、少女に兼業できる道を示せてあげられた。心配事はない。無いはずだが、彼が他人のために動いたことに対する結果がこの先待っている。その事実が不安なのだ。
「・・・大丈夫、あの子は大丈夫」
今は自分のことだけを心配すればいい。そういって彼は何度も少女という他人から、自分へと感情を移行させていく。されどなかなか移行はしなかった。
彼は少女が死んでも悲しみはしない。死んでしまったらそこまでとすぐに忘れるのは間違いない。
だが、あの気高さと神聖さを前にし、少女が生きていることとなったら話は別。
生きている。死んでない。あうことは二度とないかもしれないが、どこかで会うかもしれない。その次の可能性がある限り、彼の心から消えはしないのだ。
少女は無理をしている。今も、これからも無理せざるをえないだろう。
子供は無理をせず、子供のままでいてほしいのだ。子供が無理をして、大人の振りをしてしまえば、本当の大人は何をすればいいのかわからなくなってしまう。
彼は他人に対して非情である。されど、少女に関して、興味がないふりをしつつ本音では心配もしている。
「・・・もし神様がいるならば、お願いがあります。・・・どうかあの少女に幸せを」
彼は夜空へ祈る。流れ星すらないが、手の届かぬ星々に願いを込めた。




