表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

その9

 真夜中の事務所は、普段よりも幾らか賑やかだった。

 僕はいつも、一日の仕事を終えるとアパートに戻り、事務所は国栖の寝床となるのだが、今日は新しい住人を迎え入れる準備の為に色々と準備をしていた。

 劣化していた段ボール箱よりも、少し大きめの物を用意し、その中にタオルを敷き詰めて、まだ使っていない深めのガラス製灰皿に水を入れて、中に置いた。今度、ホームセンターに行って猫用の食器とケージを買おう。「ニー! ニー!」

 可愛い鳴き声に癒されながら、段ボールの中を眺める僕の後ろで国栖が聞いてきた。

「ところで、何故この子の名前はアイリーンなんだい?」

「ああ、お前にはホームズを貸したことが無かったな。その小説の名探偵、シャーロック・ホームズが唯一認めた女性の名前だよ」

「なるほど、君には獣姦の気があるのか、可哀想にアイリーン」

「そういった類の話じゃないよ」

 国栖に茶化されて多少苛立ちつつも、こんなのは日常茶飯事で正直、慣れたものだ。

「今度、高橋さんの家に行った時に冷凍庫の製氷皿を回収して、鑑定してもらえば僕の推理が立証される。真犯人を探すことは出来なくても、無実の人間を牢屋から出すことは出来るよ。拘置所に行く前に釈放されるかもしれないね」

「私は、彼の家からそんなものは見つからないと踏んでいるがね」

 僕は、国栖の聞き捨てならぬ一言に飛びついた。「どういうことだ?」

「考えて見たまえ。ペットボトルやカンをゴミに出すときは、君ならどうする?」

「それはまあ、種類別に分けてから袋に詰めるさ……」

「違う。警察署であの気弱オヤジが言っていただろう? 『洗って出した』と」

 そういえば、完全に忘れていた。信秀は確かにペットボトルを洗っている。しかし、「洗っていたからと言ってそれが、どう僕の推理に影響するんだい?」

 国栖の方を見ると、彼はソファーで足を組んで天井を見上げたまま喋っていた。

「まず、私が犯人であったなら、信秀の出したゴミに対してわざわざ容器を混入させるようなマネをしないんだ」

「それは何故?」

「普通、ペットボトルを捨てるときもカンを捨てるときも洗って出しておくものだ。わざわざ洗ってもいない容器を入れてしまうと、それは他に犯人が居るというアピールをしてしまう事になる。そんな間抜けが信秀を生贄にするなんて考えられない」

「真犯人に、洗って出すという習慣が無ければ、そういうミスも考えられるんじゃないのか?」

「君の推理では、高橋家に親交の在る者でないと犯行が出来ないのだろう? 水曜日は晩酌前に、信秀だけがゴミを出しに行く事まで知っていて、ゴミを洗わないと思い込むのは多少無理がある」

「どんな犯罪にだって、犯人の思い込みやミスはあるさ。行うのが人間である限りね。小説とは違うんだよ」

 僕は彼に、推理小説を読ませすぎてしまったのだろうか? 国栖はまるで人間がミスを犯すことを前提に考えて無いのだろうか。小説と現実の大きな違いはそこにあるというのに。

 小説の犯人が犯すミスは、うっかり犯人以外知り得ない情報を喋る、犯行に使った凶器を捨てることが出来ずに持ったままになっている等、まるで〝名探偵〟に〝名推理〟をさせる為の、ご都合主義のミスに他ならない。今回の事件だって、きっと、真犯人は推理物の作品か何かでトリックを思い付き『自分はこれで完全犯罪ができる』といい気になっていただけに違いない。

 恐らく捜査が進めば僕でなくても真相に辿り着けていた筈。

「国栖、お前の言いたいことは分からないでもないよ。ただ、僕たちの仕事は高橋信秀以外に、犯行が可能であった可能性を証明する事。犯人捜しは警察の仕事なんだ。創作物とは違って、人間は色々なミスをするし、思い込みだってある。お前の言う完璧を目指す犯人なんて、現実の世界ではこんなものなんだよ」

 暫しの沈黙が続き、国栖は組んでいた足を直して、立ち上がった。

「さて、これから私は仕事をするのだが、付いてくるかい? 君が来るのならば、こんな真夜中にバイクを出さずに済むのだが」

 これから仕事? 時計を見ると時刻は0時30分。二階堂以外からは今の所、僕の知っている依頼などは言っていない筈なのだが、まさか僕を通さずに国栖は自分で仕事を取ってきていたのだろうか?「一体どこへ?」

「ゴミ収集所。だよ」


 金曜日午前0時50分、僕達は夕方に訪れたゴミ収集所から少し奥へと行った、アイリーンの捨てられていた空き地に居た。

 辺りは静まり返っていて、宅地も無いせいで街灯以外の灯りは存在しなかった。といっても仮に宅地があっても、こんな時間に明かりの点いた家などは、滅多にないものだが。

 車の中で、大体の話は国栖から聞いていた。

 信秀が原付のナンバーの数字だけを覚えていても、それを手掛かりに所有者を特定するのは我々の手では難しく、アイリーンを回収した為に、今日を逃すと、その原付の所有者と会話をする機会を逃すだろうというものだ。

 説明を聞いた僕は、素直に納得してアクセルを踏んだ。そうして、今に至る。

「もしかして、既に帰っているんじゃないかな」

「そろそろ来るさ」

「何故、そう言い切れる? 事件当日も、そんな時間に来たからという理由からなのかい? お前がもっと早く僕に言ってくれていれば、もっと早く張り込んでいたのに」

「生憎だが私は、無駄な労力を消費したくないのでね。必要最低限で最大限の効率を求めているのだよ」

 知っている。そんな性格でもなければ、相方である僕を差し置いて喫茶店のマスターを脅し、依頼を達成させるような真似はしない。彼の協力が得られなければ、会話を盗み聞きすることも出来なかったし、写真を間近で撮るようなことも出来なかった。一見、もう1人分の浮気調査をするという無駄な労力を使っている様にしか見えなくもないが、恐らく国栖にとって、マスターを脅す材料になる物であれば何でも良かったのだろう。それだけ、マスターの浮気調査は国栖にとって何でもない簡単な内容だったのだろうと推測する。そんな彼の性格と勘の鋭さは刑事か探偵でもしていなければ、悪用する以外に使い道など無いのかも知れない。そして何よりも彼の探偵としてのもっとも強力な武器が他にもう1つ、あることを僕は知っている。

「どうやら、君の心配は必要が無い物だったようだね」

「え?」

「聞こえないのか。相変わらず耳が悪いと不便なのだな。2ストロークエンジンの音がこちらに向かってきている。少し古いスクーターだな。スズキか、レッツ2だろう」

 彼の感覚の鋭さには、毎度驚かされる。この発言が当てずっぽうで無い事は、僕が一番よく知っている。

「お前の耳がどうかしているだけだ。とにかく、アイリーンを世話してくれていた人が、僕たちの前に現れるんだ。挨拶くらいしておかないとな」

「大分、近付いて来たな。そろそろ君にも聞こえてくる筈だ」

 確かに、微かだがエンジン音の様なものが聞こえてくる。耳を澄まして、こんな他に何の音もしないような場所でもないと聞こえないような音だが。近くに虫でも飛んでいたら、その羽音に掻き消されていたのだろう。

「随分近づいたな。それに、このニオイ……もしかするとだが、乗っている人物は、もっと面白い人物かもしれないぞ」


 静かな空き地の手前に、1台の黒い原付スクーターが停まった。ナンバーは『阿笠町 か 615』。

 信秀の覚えていた情報とピッタリ一致するスクーターから、男は降りて、フルフェイスを外した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ