薔薇色のお母さん
月の模様は、日本ではウサギが餅をついているなんて言われるけれど、わたしにはそう見えたことがなかった。その代わり、お母さんが裁縫をしているように見えた。それはわたしが幼いころ、お母さんが病床にあって、「もし私が空に昇っても、月からあなたを見守るからね」と繰り返し言ったことと、たぶん無関係ではない。お母さんは一時持ち直しかけたけど、突然とんでもない量の血を吐いて、病床のシーツを真っ赤に染めて、薔薇のように死んでしまった。わたしが八つのときだった。
そんなことを思い出してしまうのは、わたしもまた、いま病床にいるからかもしれない。といっても、ただのインフルエンザなのだ。げえげえ吐いたりしたのは二日前で、いまではだいぶいい。ただ熱はまだあって、頭がぼんやりするようだ。
夜になって、わたしはふと目を覚ました。すると閉めていたはずの部屋のカーテンが開いていて、レースのカーテン越しに月明かりが降りていた。わたしは月を見ようと思って、レースのカーテンに手を伸ばしたけれど、体がうまく持ち上がらなかった。もしかしたらまた熱が上がったのかもしれない。一人暮らしは心細いものだ。
「お母さん……」
そうつぶやいてみて、そう呼ぶことが懐かしいということに、寂しくなった。その寂しさが見せてくれるのだろうか、レースのカーテンの向こうに裁縫をするお母さんの影が大きく浮かんでいた。熱で遠近感がわからなくなって、月が大きく見えているのかと思ったけど、そのお母さんは確かにわたしの知っている愛らしい輪郭を持っていた。
「志帆ちゃん」
そんなふうにわたしを呼ぶ声さえお母さんだった。
「志帆ちゃん、寂しい思いをさせてごめんね。でもずっと、月で見守っているからね」
レースのカーテンの向こうで、お母さんの手がゆっくり伸びてきた。わたしも寝たまま手を伸ばした。それが布越しに触れ立ったとき、わたしはそのままお母さんのところに行きたい気がした。でも、それをお母さんが止めていることも、なんとなくわかった。
そのうち本当に目が覚めた。朝になっていた。わたしの熱はすっかり引いているみたいだった。そしてわたしは、熱に浮かされてなのか、いつの間にか幼少期に使っていた手提げかばんを引っ張り出してきて、胸にぎゅっと抱きしめていた。それはお母さんが縫ってくれたものだった。
何日かして、わたしは完全復活した。それから改めて手提げかばんを見てみると、持ち手のところの真っ赤な糸が、なぜか妙に新しく、縫いたてのように見えた。わたしはその持ち手を片方ずつお母さんと持って、あいだにぶらぶらさせて歩いたことを思い出した。
もしかしたら熱のうちに自分で縫ったのかもしれないけれど、わたしはそれをお母さんの針だと信じてもいいと思う。
月にはいまも、わたしだけのお母さんがいる。薔薇色で死んだお母さんが、月の色で笑っている。




