EP 9
影の始末屋VS魔人ギアン
「ヒィ、ヒィィィッ……!!」
地べたにへたり込んだ魔人ギアンは、カチカチと歯の根を鳴らしながら後ずさりをした。
背後には、彼が率いてきた死蟲軍の残骸。前には、一切の慈悲を持たない3人の怪物。
神々すら震え上がらせた死蟲王サルバロスの腹心である彼が、辺境のグルメフェスでただの『客』と『店主』に命を乞う羽目になろうとは、誰が想像できただろうか。
「待て! 待ってくれ! 弁償する! アクリル……なんだっけ、その板も! 鉄板も! いくらでも新調してやるからァ!」
必死の命乞い。しかし、限界オタクの魔王ラスティアは、地獄の底から響くような声で吐き捨てた。
「……あれは『夏の全国ツアー福岡公演』の物販でしか手に入らない限定品だ。金で買えるものではない。お前は、オタクの魂を冒涜したのだ」
「しかも俺のビールをこぼした。死刑で十分だ」
ラスティアの手にブラックホールが収束し、ルーベンスの魔鞭がギリギリと唸りを上げる。
万事休す。完全に死を悟ったギアンだったが、不意に、真っ白なコックコートを着た男――リアンが、二人の前にスッと立ち塞がった。
「待て。こいつは俺の店を荒らしたゴミだ。俺が片付ける」
「……チッ。まあいい、その代わり一番苦痛を与えてから殺せよ、兄ちゃん」
ルーベンスが舌打ちをして鞭を下ろす。
その瞬間。絶望に染まっていたギアンの仮面の奥で、狡猾な光がギラリと瞬いた。
(アヒャヒャ! バカめ! あのヤバい魔族二人が引っ込んだのは好都合だ! この無防備に近づいてきた料理人を『マリオネット』にして、人質にして逃げてやる!!)
ギアンは両手の指を複雑に絡み合わせ、必殺の術式を展開した。
「油断したねェ! 踊れ! 『死糸・凶演舞』!!」
ギシュゥゥゥッ!!
ギアンの十指から、鋼鉄すら容易く切り裂き、生物の神経に直接介入する不可視の『魔糸』が無数に放たれた。それは獲物を捕らえる蜘蛛の巣のように広がり、リアンの全身へと殺到する。
「もらったァ! 君はもう僕の操り人形だ!!」
ギアンが勝利を確信し、指先をクイッと引き寄せた。
しかし。
リアンの体は、ピクリとも動かなかった。
「……アヒャ?」
「言ったはずだぞ」
リアンの手元で、くぐもった爆発音が響いた。
彼が構えた銃口剣の刀身が、再び数千度の超高熱を帯びて白く発光する。
【焦熱灼刃】。
「……お前の悪趣味な手品には、味がしない」
リアンが赤熱した刀身を軽く振るうと、空中に張り巡らされていたギアンの不可視の『魔糸』が、対象に触れる前にジュッ……と音を立てて一瞬で蒸発した。
「な、なんだとォォォッ!? 僕の、僕の絶対切断の魔糸が、熱だけで蒸発したァ!?」
「料理人にとって、異物(髪の毛や糸)の混入は最大の恥だ。そんな不衛生なゴミを俺の厨房に持ち込むな」
リアンは一歩、また一歩と、一切の動揺を見せずにギアンへと距離を詰める。
その瞳には、かつて帝国軍の暗殺部隊を率いていた『影の始末屋』としての、完全な無機質さだけが宿っていた。
「ひぃぃぃっ! バケモノォォ!!」
ギアンは身の丈ほどある大鎌を構え、ヤケクソでリアンに向かって振り下ろした。
だが、その速度は、武芸百般すべてをS級まで極めたリアンにとっては「止まっている」に等しかった。
リアンは最小限の動きで大鎌の軌道を逸らすと、ガラ空きになったギアンの胴体に向けて、銃口剣を深々と突き刺した。
「ガ、ハッ……!?」
「お会計の時間だ。……ツケは高くつくぞ」
そのままリアンは、引き金を引いた。
奥義、【ゼロ・インパクト】。
ドゴォォォォォォォォォォォォッ!!!
数千度に熱せられた刀身から、さらに圧縮された魔力弾がギアンの体内(ゼロ距離)で炸裂した。
熱と爆発の凄まじいエネルギーが、外に逃げることなくギアンの内臓と骨格をすり潰し、完全に焼き尽くしていく。
「アヒャァァァァァァァァァァッ!!?」
この世のものとは思えない断末魔の絶叫と共に、魔人ギアンの肉体が内側から弾け飛び、炭化してボロボロと崩れ落ちた。
完全に勝利した、圧倒的で理不尽なまでの蹂躙劇。
ポロッ、と。
炭化した肉体の残骸の中から、ピンポン玉ほどの大きさの、ドス黒く濁った球体が転がり落ちた。
ギアンの『魂』である。肉体を失っても、このコアさえ天魔窟に持ち帰れば、主であるサルバロスの力で復活することができるのだ。
『ヒィィィィッ! お、覚えてろォォ! この屈辱、死蟲軍が必ず――』
コアから微かな念話が響き、ギアンの魂は地割れの奥深くへと猛スピードで逃げ込んでいった。
「……チッ、魂だけ逃げやがったか。まあいい、俺の仕事は『厨房の清掃』までだ。世界を救う義理はない」
リアンは深追いすることなく、カチャリと音を立てて銃口剣を魔法ポーチに仕舞い込んだ。
そして、足元に飛び散った死蟲機やギアンの肉体の残骸を指差し、自身の影に向かって低く命じた。
「喰丸。広場を綺麗にしろ」
リアンの足元から飛び出した30センチのワーム、喰丸が、凄まじい吸引力で残骸という残骸を一瞬にして丸呑みにしていく。数秒後には、フェス会場には血の一滴すら残っていなかった。
完全なる静寂。
フェス会場にいた何万もの観光客たちは、空から降ってきた悪夢のような化け物たちが、たった3人の(ちょっと変な格好をした)客と店主によって、あっという間に消し去られた現実を前に、声を発することすらできずにいた。
リアンはゆっくりと息を吐き出すと、脱いでいた真っ白なエプロンを拾い上げ、再び腰にキュッと巻き直した。
「……おい、お前ら」
リアンが群衆に向かって声をかけると、全員が「ヒッ」と肩をすくませた。
「鉄板が割れたせいで、たこ焼きの提供は中止だ。……だが、串焼きとビールならまだある。フェスは中止じゃない、並ぶなら早くしろ」
数秒の沈黙の後。
フェス会場に、「うおおおおおおおおっ!!」という割れんばかりの歓声が響き渡った。
こうして、純粋悪による最悪の襲撃イベントは、スローライフを愛する料理人の手によって、ただの『ちょっとした厨房のトラブル』として処理されたのだった。




