看板娘シャーリィ
泡沫亭は、思っていた以上に居心地の良い宿屋だった。
商人が『布団が暖かい』と言っていた通り、ベッドの布団は厚めで柔らかく、実に寝心地が良かった。
部屋そのものもきれいに整えられ、食事も美味しい。コウタも気に入ったようであり、リョウジの分まで容赦なく奪う程度には好んでいた。
何より、受付の少女、シャーリィはコウタがシャボン玉が好きだと知ってから、ちょくちょく遊びに来てくれるのだ。わずかな時間とはいえ、コウタから解放される時間ができたことで、リョウジの負担は劇的に減った。彼女は今年で13歳になったそうで、あと2年で成人なのだと笑顔で語っていた。
「本当に助かりますよ。でも、シャーリィさんの仕事は大丈夫ですか?」
辺り一帯を泡まみれにして遊んでいるシャーリィに尋ねると、彼女は小さく笑った。
「はい。そもそも、私はお父さんとお母さんが忙しいときに代理でやってるだけで……あとは、お洗濯とかもありますけど、それはもう終わってますから」
コウタを包み込むほどの巨大な泡を作りながら、シャーリィは笑顔で答えた。
「そうだったんですか。ずいぶんと手慣れた感じだったので、いつもやっているものかと」
「そう思っていただけたなら、嬉しいで……うわっ!?」
「いひひーぃ!うぇいありだりやりや!!」
泡に包まれたコウタは大興奮し、わずか数秒でその泡を破壊していた。大きさが大きさだけに、辺り一帯に飛沫が降り注ぎ、近くにいたシャーリィはその大半を浴びてしまう。
「だ、大丈夫ですか?すみません、うちの息子が……」
「ああ、いえ、お気になさらないでください。それに、これはこうすれば……クリエイトバブル!」
シャーリィの全身から細かい泡が飛び出し、空中へと漂っていく。すると、全体に湿っていたシャーリィの服は、すっかり乾いているように見えた。
「そのスキルは……もしかして、水を操れるんですか?」
リョウジが尋ねると、シャーリィは少しだけ首を傾げた。
「うーん、そうとも言えますけど……えっと、たとえばお水とか、そういう泡にできるものを、泡にするって感じなんです」
「すると、普段は空気中の水分を泡にしているとか?」
「そうですね。あとは……そ、その、えーと……あ、汗……とか……」
少し恥ずかしかったのか、後半は声が小さくなって聞き取り辛かったが、リョウジもさすがに聞き返すような真似はしなかった。
「そ、そんな感じなので!だから、お洗濯物が乾かなかったときとかは、結構便利なんですよ。ぜーんぶ泡にして飛ばしちゃえば、すっかり乾きますから」
「なるほど、それは便利そうですね。今回みたいに、子供の相手をするのにも便利そうですし、宿屋をやるには最高のスキルなんじゃないですか?」
リョウジは笑顔で言うが、それを聞いたシャーリィの表情は、少しだけ沈んだようだった。
「そう、ですね。確かに、そうなんですけど……」
「……何か、不満があるんですか?」
リョウジの問いかけに、シャーリィは慌てて否定する。
「あ、いえ!そんな、不満なんて言うんじゃないんですけど……!ただ、その……」
言い淀んだシャーリィに、リョウジは何も言わないことでその続きを促す。コウタはまだまだいっぱいの泡で遊んでおり、当面は相手をしなくても大丈夫そうである。
やがて、意を決したように、シャーリィは口を開いた。
「私、その……本当は、お客さんみたいな、冒険者になりたかったんです……」
「何か、できない理由が?」
「え?それは、だって……私、喧嘩とかもしたことないですし、狩りだってできませんし……お父さんとお母さん、私のこと大事にしてくれるんですけど、だからこそというか、危険なことは何もさせてくれなくて……それにスキルだって、全然戦闘向きじゃないですし……」
「採取とか、探し物とか、それこそ孤児院で遊んでくれっていう依頼なんかもたまに出てますし、やりようはいろいろあると思いますよ?」
「ありがとうございます。でも……隣町すら、自分で行けないようじゃ、さすがに無理がありますよね?」
「うーん……自分の身を守れる程度には、力が欲しいところではありますね」
「ですよね。この村、武器の使い方とか習えるところもないですし、門番さんにも聞いてみたんですけど、『子供が、まして女の子が使うのは危ない』って、教えてもらえませんでした……」
思ったより行動してるなと思いつつ、リョウジは黙ってシャーリィの話を聞く。するとそこで、暗い雰囲気を嫌ったのか、シャーリィはリョウジに尋ねた。
「あの、お客さん……リョウジさんは、どうして冒険者になったんですか?」
「必要に迫られて、というのが一番の理由なんですが……長くなってもいいなら、聞きます?」
「ぜひ、聞いてみたいです!私、お話聞くの好きなんです!昔話とかも好きですし、特に冒険者さんのお話は大好きです!」
本人の許可が出たため、リョウジはこれまでの経緯をシャーリィに語った。
そもそも、自分は違う世界の人間であること。トリアの町で冒険者の基礎を学んだこと。貴族から命を狙われたこと。最古のドラゴンを倒す羽目になり、S級に上がったこと。戦争に巻き込まれたこと、同じ世界の人間の生まれ変わりに出会ったこと。他のS級の冒険者に決闘を挑まれたこと。
話している本人ですら、よくもここまで色々やったなと思うほどだったが、話を聞いているシャーリィはずっと目を輝かせていた。
「すっ…………ごいです……!『子連れ狼』って異名は聞いたことあったんですけど、まさかそれがリョウジさんで、しかもうちのお客さんに来てくれるなんて!お父さんとお母さんにも教えてあげなきゃ!」
きゃあきゃあ喜ぶその姿は、まさに年相応だった。宿屋の手伝いをしていることもあり、普段は大人びて見えるのだが、素の姿は普通の女の子なんだなと、リョウジは妙なところで感心していた。
「お夕飯も、すっごく美味しいの作りますから!」
「ああ、いえ、普通で大丈夫です。普通で。そうでなくても、美味しく頂いてますから」
「やったぁ!うちのご飯美味しいって言ってもらえた!ねえお父さぁーん!お客さんがね――!」
感極まったようで、シャーリィはそのまま走り去ってしまった。幸い、作り出された泡はそのままになっているため、コウタはまだまだ大興奮して遊んでいる。
走っていくシャーリィの後姿を見ながら、リョウジは彼女の言葉を思い返していた。
戦闘が得意ではないのは、自分も同じである。もっとも、体格差のおかげで彼女よりはマシだが、それでもこの世界の人間と戦えば大体負ける程度には弱い。
スキルに関しては、もう強い弱いがはっきりしている。魔法使いやアンデッド、魔法生物に魔道具相手なら無双の活躍ができるが、しっかり鍛えている戦士には勝てる要素がない。
よくよく、冒険者になれたのが奇跡的だなと思いながら、ぽつりと呟く。
「戦闘向きじゃないって言ってたけど……結構な壊れスキルだと思うけどなあ……」
「ぃいへぇーいひひひーぃ!!えいーあいあーい、とたぁー!」
「ああ、はいはい。一緒に遊んでほしいのね。シャボン玉は追加できないから、そこは勘弁してね」
そこで思考を中断し、リョウジはコウタの相手に戻る。その後はコウタの相手に集中するため、特にスキルなどについて考えることもなく、いつもの一日が過ぎていくのだった。




