古代エジプトの王名表は正しいのか? ⑦
実を言えば、抜け番の可能性は有名な新王国時代のその中でも華やかさが光る第18王朝にもある。
もちろんそれはアビドスの王名表で名を落とされたハトシェプスト女王、アクエンアテン、ツタンカーメン、アイ以外ということである。
まず、ネフェルネフェルウアテン。
内容が薄いエジプト関連本にはこの王の名がないが、その痕跡は数多くあるため、加えなければならない王である。
ここにスメンクカラーが加わる。
この王はネフェルネフェルウアテンと同一人物である可能性もあるのだが、もし、別人であるのなら追加となる。
さらに、ネフェルネフェルウアテンも同じ名を名乗った男女別の王がいると主張する専門家もいる。
怪しいと思いつつ候補者として挙げておかねばならない。
さらに王位についた痕跡が皆無といえるのだが、アイの後継者としてナクトミンという人物がいる。
一応、定説ではアイの後継者はホルエムヘブなのだが、ナクトミンの王位をホルエムヘブが奪ったという説もあるが定かではない。
ただし、ナルトミンが次王だった場合はアイの埋葬をおこなったのはナクトミンとなるのだから、アイの墓をホルエムヘブが荒らしたという多くの場所で囁かれる話と辻褄があってくる。
ホルエムヘブが次王ならば、自らが埋葬を指揮した墓を直後に荒らすという奇妙な出来事が発生することになるのだから。
さて、ここまではどこかで聞いたことがある話かもしれないが、これはおそらく初めて聞くというギャラリーが大部分だろう。
アメンヘテプ2世とトトメス4世の間にもうひとりの王がいた。
実はトトメス4世そのものも実はその即位の過程が怪しい人物である。
本人はギザの大スフィンクスの足元のステラに刻ませた夢の碑文によれば、信託によって王になったなどと述べているのだが、そのようなことを言っている時点で正当性がない王位継承だったことを示しているようなものである。
それで、トトメス4世に王位を奪われた「消されたファラオ」であるが、アメンヘテプという名だった可能性が高い。
これはキザのスフィンクス周辺で発見された多くのステラのひとつにアメンヘテプ2世を崇拝する別の人物がおり、その人物の名はカルトゥーシュに囲まれていた。
ただし、その名は綺麗に削られていた。
削り落とし不十分だったのでその名が読めたというわけである。
このように探せば王の候補者は山ほど出てくる。
困ったことに。
ついでに言っておけば、有名なトトメス4世の「夢の碑文」が刻まれたステラに使用された花崗岩ブロックは、アスワンから切り出し運搬してきたものではなく、現地調達したものである。
その調達先はカフラーのピラミッド付属の神殿。